摂理のほんやくコンニャク
世界の摂理は広い!摂理の海外情報を勝手にほんやくするブログです。
CATEGORY : チョウンソリ
「天国は本当にある」を読んで
DATE : 2009-11-10-Tue  Trackback 0  Comment 0
チョウン本 文:ぺ・ジェヨン牧師

「天国は本当にある」を読んで

「天国は本当にある」(トマス・チュナム著、チョ・ヨンギ訳、ソウル出版社、2003)は韓国系アメリカ人トマス・チュナム女史が、イエス様の特別な恵みによって選ばれ、過去7年間、天国へ実に17回も行って来たという驚くべき体験を記録した本だ。1996年1月にイエス様と共に行って来た一連の天国訪問は、彼女の人生と運命を変え、ついにこの注目すべき本を誕生させた。この本は特にチュナム女史がイエス様に直接会って見聞きしたことを記録しているので読者たちに感動と霊的な悟りを与える。トマス・チュナム女史は、イエス様に対する愛によって霊魂の救いのための責任感を感じて家族全員を伝道し、彼女が出会う全ての人に影響を与えている。この本はアメリカで出版された後、多くの国の言語に翻訳され、数十万人の人々が読み、数多くの人々に霊的な覚醒を呼び起こしてくれた本だ。
しかしキリスト教では、聖書の完成と共にそれ以上特別啓示はないと考えているため、イエス様の声を聞いたというチュナム女史を異端視し、本の内容が聖書的でないと批判したりもした。しかし神様の歴史は今も進行中であり、神様は御心をお広げになるためにいつの時代も特別啓示を始めとして、自然万物を通しての自然啓示、そして夢や幻、夢うつつのような超自然啓示を与えていらっしゃるということを考えるとき、チュナム女史を通してのイエス様の切実で切迫したメッセージは、この時代に対する預言者の叫びであるということを、私たちははっきりと認識すべきであろう。

イエス様との出会いと天国訪問
平凡な主婦であったが、イエス様を真実に愛していたチュナム女史の告白は、私自身に霊的な戒めを悟る心がけを呼び起こしてくれた。「どうしたことか神様は、ご自分の特別な働きのために私を選ばれました。主イエス様は、私が何よりもまず、主イエス様を知るようになり、主に従う事を学んで、主だけを仰ぐ事を願うと語ってくれました。主は私に、天国とそのほかの全ての幻を体験する特権を与えてくださいました。このようにされながら私は、主が呼ばれた働きのために準備をするようになったのです。」
チュナム女史は心が純粋で、イエス様に従順する娘だった。イエス様はチュナム女史を信頼なさった。それゆえに重要な働きのためにチュナム女史を選んだのだと私は信じる。そしてイエス様がチュナム女史を訪問するたびに見せて下さった姿は、時には友達のようで、時には親のようで、時には恋人のようで、全ての命に対するイエス様の愛を切々と感じさせてくれた。本を読みながら、本当にイエス様の心で全ての人に接するなら、自然に天国が成されるだろうと思った。
天の国、天国は既に準備されており、イエス様は早く来られるとおっしゃった。またイエス様は主の数多くの子供たちが天国に行くことを切実に願っていらっしゃり、地獄は実際に存在するというもどかしい心情を伝え続けていらっしゃった。イエス様が早く来ることを切迫して伝えながら、時間がほとんどないことを警告している。
「余りにも多くの子供達が、まだ、わたしを迎える準備ができていないのだ。彼らがこの世を、愛しすぎているからだ。これがあなたに本を書いてもらいたい理由だ。」
「良い信仰を持ったクリスチャンさえも、実のところ天国の存在を疑っている。わたしは全ての子供達が、天国は実在するという事実を信仰によって受け入れるよう願っている。」
「わたしの言葉通りに生きる者達を全て天国に連れて行こうと思うが、天国に行く道は簡単ではない。全ての信じる者達は終わりの日にわたしの前に立たなければならない。その中でわたしの言葉によって生きなかった多くの者達は、大いに失望するだろう。」
「わたしは全ての子供達に天国に来てほしい。この本を読む誰もが、天国に入るためにこの世でどのように生きなければならないかを悟ってほしい。」
「この本は、私がどれ程早く来るのかを人々に悟らせる最後の機会となるだろう。わたしは、彼らが予想するよりももっと早く来るのだ。」

チュナム女史を通してのイエス様の強力なメッセージは、ちょうどゲツセマネの園の切迫した劇的な祈りのようだった。天国の民になるためには急いで悔い改めて自分をきれいにし、マタイによる福音書25章に記録されている通りに油を準備した思慮深い五人のおとめのように、新郎を迎えるために準備し、備えなくてはいけないということだ。この本は私に信仰の目を覚ましてくれ、新しく変化するのを助けてくれた。いったい私は天国に備えて本当に主が喜ばれる生き方をしているのかと反省してみる。チュナム女史は天国に入ることのできる条件をイエス様の直接的な御言葉によって何度にも渡って記録している。
「そこに行く事ができる人は、従順で心がきれいな子供達だけである。」「すなわち自分の人生においてわたしを優先に置く者を選ぶのだ。」「ただ透き通った水のように心がきよめられた人だけが、婚礼の礼服を着るようになるのです。」
このメッセージは先生の詩篇を思い浮かばせもする。
「植物が/地にくっついて/生きるように/あの空に/星々が/くっついて生きるように/精神が/神様に/くっついて/生きなくてはいけない//清潔な人/従順者が/主は/好きだ/主を/最優先に/考える/人だ」(<チョウンソリ2008.8〜9.>)
セミの幼虫がセミにならなくては空へ飛んで行くことができないように、私たちも新しく変化しなくては天国の民になることができない。ローマ人への手紙12:2「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」という御言葉のように、今こそ目を覚ましてわきまえ知るべき時だと思われる。

終末の兆しとイエス様の再臨の時
終末には人々がお金を愛し、自分ばかり愛する、と聖書を通して終末の現象と兆候について語った。神様のことを思わず地上のことばかり思い、物質と経済とお金ばかり追い、思うため、神様は悟りなさいと世界的に多くの兆候を見せていらっしゃる。
「わたしは、洪水と大いなる風と地震をもって、多くの国々を滅ぼそう。これは、わたしが神であり、わたしの再臨に備えなければならない事を、人々に示すためなのだ。多くの人々は苦しみを受け、離婚し、彼らの愛する者達のために胸を痛め、クリスチャンを含めて多くの人々が死ぬだろう。わたしの娘よ、あなたは全ての幻を本に記録しなければならない。」
終末には何よりも神様を愛してこそその霊魂が神様とイエス様につながって天の国に行き、全てのことが地上のことより数十億万倍良く、完全に、実際に存在する世界で生きるようになるのである。終末とは、人間たちの時が終わったから、神様の計画を実践する時だ。目を覚まして準備してこそ主を完全に迎えることができるのである。
「誰であれ、わたしに会う準備ができた者はラッパの音を聞くであろうし、準備されていない者達は患難を通る事だろう。そして準備のできていない者達の多くは、サタンに属するようになるだろう。私は既に、人々にわたしの再臨を準備する十分な機会を与えた。けれども彼らは、私の言葉に耳を傾けないのだ。わたしは彼らを永遠に待ってやる事はできない。わたしはわたしのために準備された者達のために来るのだ。」
最後の再臨の時、救われて主の栄光に参加する人になるためには、何よりも自分自身を徹底的に点検し、少しも残さず悔い改めて、清く清潔になることが急いですべきことだ。実際に深い祈りの中に入って悔い改めると、それまでに思いもよらなかった全ての罪と過ちが思い出され、イエス様に申し訳なく恥ずかしい思いばかりだった。天国を望みながらも生活の中で完全にイエス様を最優先に仕えられなかった自分自身が限りなく恥ずかしかった。世の中と世の中にあるものを愛しながら、どうやってその国とその義を求めることができるだろうか。
光にある者はその日が盗人のように臨まないとおっしゃったように、この世に暮らしながら生活の中でイエス様を迎え、もっと緊張して目を覚ましている信仰人になってこそ、来られるイエス様を迎えることができるだろう。
先生は今まで生活の中でイエス様に仕える生き方をもって私たちに信仰の手本を見せて下さった。イエス様の霊的な降臨について教えて下さりながら、イエス様をメシアとして信じて生きた人は救われた人であり、生まれ変わった人だとおっしゃった。これが霊と肉の復活であり、地球という空中で引き上げられたことだと教えて下さった。そして私たちが考えるより天国が近く、終わりの時が差し迫っているとおっしゃった。緊張して目を覚ましていてこそ、新郎でいらっしゃるイエス様を迎えることができるとおっしゃった。
これまで患難と迫害を通してむしろ神様をもっと近くし、イエス様をもっと求めるようになったから、これもまた感謝するしかない。ひとりの命も地獄に行かず、みな天国のためになることを願うイエス様の切実な願いを思いながら、この地上に望みを置かないで、天国を望んで生きていかなくてはいけない。漠然と再び来られるイエス様ばかり待っているのではなく、平素に命よりももっとイエス様を愛し、イエス様との深い人格的な交際を切に求めなくてはいけない。自分自身にも準備していらっしゃる特別な計画があるとすれば、それを一つ一つ成すために準備し備えなくてはいけない。みな水と聖霊で生まれ変わって主を迎えなくてはいけない。




摂理の月刊誌「チョウンソリ」2009年2-3月号より
この記事はこちらのサイトでも読むことができますhttp://cgm.or.kr/

文中の本書からの引用文(青字の部分)については、日本語版「天国は本当にある!」の訳文を引用させて頂きました。
page top
健康コラム 文:ホン・ハナ(聴覚学博士修了)

耳のある者は聞くがよい

「耳のある者は聞くがよい(マタイによる福音書13:9、43、ヨハネの黙示録2:7)」、「聞く耳のある者は聞くがよい(マルコによる福音書4:9、ルカによる福音書8:8、14:35)」聖書を見るとこの言葉が本当にたくさん出てくる。耳があるから聞くのは当然だが、聖書ではこれを強調している。ここで耳は二種類を意味する。肉的な耳と霊的な耳。まず肉があるから神様の御言葉を伝えてくれる時代の代言者を通して聞かなくてはいけないし、これを聞いて霊的に覚めてその御言葉の根本を悟らなくてはいけないだろう。霊と肉が全て祝福されうまくいく成約時代を生きていく私たちにとって、この二種類の意味は非常に重要だ。聞くということは耳を傾けて理解し、心を開いて従順するという意味だ。さらには聞くということは命と祝福を意味し、聞かないことは裁きを意味する。ヨハネによる福音書5:24を見ると「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」とある。まずは聞いて信じることだ。ローマ人への手紙のまた別の聖句では、「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」と言った。まず聞くことができてこそ信仰を持つことができるという意味だ。それでイエス様は耳の聞こえない人たちを哀れに思われ天を仰いでため息をつき、「エパタ(開く)」とおっしゃって治して下さる働きもあった(マルコによる福音書7:34)。
肉で聞くことができ、時代の御言葉を聞く耳がある今、私たちにはそんなに難しい御言葉ではないだろう。むしろ祝福の御言葉であり、感謝の御言葉だ。しかしこの祝福と感謝を続けていくのは各自の責任分担だ。誰でも家族や友達の中に聴覚障害者がいれば、時代の御言葉を伝えたくても伝えられない困難を理解するだろう。現代の学問は障害の前でそれ以上障害者と正常者に区分しない。いつ誰に訪れるか分からない数多くの事故と、知り得ない病気が増えている今、私たちは正常という単語の代わりに非障害者と障害者に区分する。だとすれば祝福の時代に非障害者として生きていく責任分担を果たすために私たちはどんな予防と対策が必要なのだろうか。

音はどのように聞こえるのか
耳には二種類の器官がある。よく知っている聞くこと、聴覚を担当する蝸牛があり、もう一つ体の均衡を保ってくれる三半規管がある。まず聴覚器官は外部から伝達される音が外耳で集められ、外耳道を過ぎて鼓膜を振動させ、鼓室内の三個の小さな骨を動かし、この運動は蝸牛の中の有毛細胞を刺激するようになり、有毛細胞はこれを電気的な信号に変えて聴神経に伝達し、脳に到達して音として解析するようになる。このように音が伝達される過程で外耳や中耳、内耳の中のある一箇所でも異常があると音が弱く聞こえたり話し声の区別が難しくなって相手方との対話に支障を来す。

高齢化時代、老人の慢性疾患の3位、難聴
聴神経の損傷はただ聞こえないという問題だけでなく、意思疎通にとって一番大切な対話音の分別を難しくする。つまり、正確に聞き分けられなくて的外れな答えをするという間違いを犯すことになる。中耳炎等の中耳の異常がない感覚神経性難聴の場合ほとんどがこういった特性を持っているが、老化による老人性難聴と、周りの騒音による騒音性難聴がこれに属する。老人性難聴は老化に関連した疾患の中で高血圧と関節炎についで3位に該当する。老人性難聴の一番大きな特徴はおもに「ス」、「チュ」、「トゥ」、「プ」、「ク」等の高音の話し声(訳注:日本語では高音や、「ク」や「ソ」といったカ行やサ行の特定の音だそうです)を他の言葉と間違って解釈するようになって対話が難しくなり、しばしば聞き直したり繰り返すことで話し声が高くなり、結局は喧嘩につながったりもする。難聴は治療しても回復できなくて、予防だけがその方法である。老人性難聴の場合、騒音やストレスを避け、程よく栄養の供給をしながら、難聴を深めることになる高血圧、糖尿といった慢性疾患を予防したり管理することが大切だ。そして聴器毒性薬物である抗生剤、鎮痛剤、解熱剤、利尿剤、抗がん剤等は難聴を誘発し得るので注意しなくてはいけない。また1年に一度、定期的な聴力検査を受けるべきである。

イヤホンをしているうちに補聴器をすることに
その次に最近最も話題になっている騒音性難聴は全体の難聴原因のうち二番目に発病頻度が高い難聴である。時々バスや地下鉄で隣の人が何の音楽を聞いているのか分かった経験を誰でもしたことがあるだろう。このようにMP3、DMB等の過度な使用によって、わずか5〜6年前まででも騒音性難聴患者は騒々しい工場で働く30〜40代の勤労者がほとんどだったのに、最近イヤホンの使用が増えて10代の青少年にも大幅に増加している。騒音性難聴はトラックが通り過ぎる時に出る音くらいの80〜90dB異常の騒音に一日8時間以上さらされた時にかかりやすい。個人によって違いはあるが、地下鉄で隣りの人に音が聞こえるほどに大きく音楽を聞いたり、イヤホンで騒々しい音楽を一日3時間以上聞くと、耳はジェット機が通り過ぎる音と似た120dB異常の音を聞くのと同じ衝撃を受けるので、2〜3年後に騒音性難聴の初期症状が現れる。青少年がよく利用するカラオケやネットカフェの騒音も100dBに近い。騒音性難聴が進行するとまず周りの音を区別する能力が落ちる。隣で自分を呼んでも反応しなかったり、突拍子もない反応を見せやすい。テレビを見るときボリュームを上げ続け、電話を受けるとき相手方に聞き直す癖も生じる。特に高音に対する障害のために女性や子供の声を正しく聞けない。耳でこおろぎの声のようなものがぐるぐる回る耳鳴りが3〜4日続いたりもする。その他にも全身が疲労し、眠られず、ひどい場合、高血圧や消化不良、集中力の低下等のような身体症状も現れる。年を取るにつれてうつ病、認知能力障害が生じたりもする。アメリカの場合、青少年期にロック音楽に熱狂していた40〜50代のアメリカ人の6人中1人が聴覚障害で生活に不便を感じているという。騒々しいロック音楽に初めて接したこの世代は、青少年期から持続的にどんどんどんどん大きな音で音楽を聞いた結果、数十年後に騒音性難聴へと進行したのである。その例としてロック音楽マニアだったアメリカの前大統領クリントンも補聴器を着用しているという報道があった。韓国の場合、他の国と違って特別に軍の服務が必須である男性たちが、騒音性難聴の数が多いと報告されている。騒音性難聴もやはり治療方法はない。特に青少年の騒音性難聴は、その問題を認識できない場合、壮年層になった時に補聴器を使用しなくてはいけない等、その問題が次第に深刻になり得るし、また老化による難聴が並行する場合、難聴の程度と進行速度もより速くなるので、初期に難聴による不便を味わうことになる。よって外国の場合、MP3等に非常に大きな音に対する危険性を知らせる警告文を表示する等多角的な努力がなされている。MP3の使用は一日一時間以下の使用を勧めており、途中で耳を休ませることが望ましい。ボリュームは最大ボリュームの60%を超えないように勧め、インナーイヤー型イヤホンが7〜9dB以上の大きな音を伝達してくれるので、ヘッドホンを使うほうがより安全だ。また騒音にさらされたら1〜2日、騒々しい音が聞こえる環境を避けて耳を休ませるべきだ。耳鳴りがしてよく聞こえなかったり響く症状がある時は、すぐに検査を受けるべきだ。

ゴッホはなぜ自分の耳を切ったのだろうか
ゴッホが自分の耳を切って描いた自画像は、いろいろな逸話で有名だ。ほとんどゴーギャンとの喧嘩の末に自分の体を害したという見解が大勢だ。しかし後に彼の日記を追跡してみると、彼がメニエール病を患っていたと推定される。激しいめまいと嘔吐、そして獅子が吠え立てるような耳鳴りが続いて彼を苦しめていた。だから彼は、外耳がなくなればその苦痛が消えるだろうと思って自分の耳を切ったものと推測される。このように苦しいメニエール病は、難聴、めまい、耳鳴りの3大症状を特徴とする。その中で突発的に起こる難聴が最もよくある症状であり、最初は片方にだけ表れるが、進行すると20〜50%は両側に表れる。そして最も特徴的な症状であるめまいは、特別な前触れなくいつでもどんな場所でも突然表れるため、症状がひどい場合には社会生活をするのが難しいこともある。また耳の別の機能である平衡感覚が失われ、恐怖感を持つこともある。この治療のためには前庭抑制薬物、利尿剤、副腎皮質ホルモン剤、聴器毒性薬物等が使われる。しかし完治できる方法がなく、ただ突然訪れるめまいとその影響を避けたり最小化するために低塩食や禁煙、ストレスの調節等が要求される。最後に耳鳴りは難聴者の90%、正常者の70%が経験する症状で、不治の病に該当する。その原因と治療法が分からなくていまだに病名がつけられず、耳鳴り症状と呼ぶ。これは聴覚的な音以外に耳あるいは頭で音が響く感じで外部の音の刺激なしに自分の身体内部から聞こえる聴感覚で、虫の声、口笛の音、脈拍の音、機械音等、いろいろな音の高さと種類がある。耳鳴りは時々聞こえたりもするし、続けて聞こえる場合もあるが、長期間持続する耳鳴りは心理的あるいは社会的にひどい被害を抱き与えるので早く適切な治療が必要だ。この予防のためには大きな騒音にさらされることを避けるべきであり、定期健診をして糖尿や高血圧を治療し、塩分の摂取を減らし、適度な休息と運動を通して過労やストレスを避けるべきである。

散漫な児童、そのまま見過ごさないで下さい
最近になって10歳未満の児童の難聴が大きく増加していると報告されている。これは風邪による中耳炎等による一時的な難聴が最も大きな原因であるが、音を聞いて言語を学ぶ重要な時期には、一時的な難聴だとしても後に大きな問題へとつながることがある。小児難聴の場合、早期の発見と治療が最も重要であるが、これは教育的側面と社会的側面において岐路になるからである。初期に発見できなくて立ち遅れた治療を受けた児童は特殊学校へ進学するしかなく、一般の社会活動に迎え入れられないこともある。したがって児童が学校で授業に集中できなくて注意が散漫であったり、テレビをあまりにも近くで見るとか、音を上げて見る、あるいは大きな音で話さないと聞き取れない場合には、一度くらい検査を受けてみるのがよい。おもに児童の難聴は鼓膜の内側に水または膿がたまっているという滲出性と急性中耳炎が主な原因だ。急性中耳炎は痛み等を伴うため親たちが容易く耳鼻咽喉科を訪れることができるが、滲出性中耳炎の場合には特異な症状がない場合がほとんどなため長い期間放置することがしばしばある。滲出性中耳炎と急性中耳炎を適切に治療しなくなると、一部では鼓膜に穴が開いて持続的な耳漏を見せる慢性中耳炎に移行する場合がある。慢性中耳炎はすでに取り返しのつかない変化が鼓膜と中耳の粘膜にあるため薬物治療だけでは完治できない場合がほとんどなので、中耳内の炎症除去、聴力の維持および改善、合併症予防のための手術治療を勧める。新生児の難聴は遺伝的な原因による難聴と非遺伝的な原因による難聴に区分することができ、特異な病歴がない場合には親によっては発見が難しいので、早期発見と適切な聴力リハビリの機会を逃す場合がある。このためアメリカでは全ての新生児を対象に聴力検査を施行するように法が制定され、生まれさえすればとにかく聴力検査を無料で実施する。この過程で難聴が疑われると各分野の専門家たちが早期治療に入り、一般学級で教育を受けられるように多年間補聴器および人工蝸牛の着用と聴覚リハビリを助ける。アメリカの新生児難聴比率と同じ発病率を見せている韓国は新生児聴力選別検査がいくつかの大学病院で今試験施行段階だ。このため遺伝性難聴がある場合には妊娠と関連して産婦教育および薬物中毒防止について事前教育が必要であり、非遺伝的難聴が疑われたら選別検査を通しての早期発見および治療が必要であろう。

祝福された時代を生きていく私たち皆は貴い人だ。2000年前イエス様が耳の聞こえない人をご覧になって天を仰いでため息をついておられた時代と違って、現代は情報が満ち溢れ、少しでも関心を持って対処すれば難聴は事前に予防することができる。霊の耳も、肉の耳も全て開いて時代の御言葉に耳を傾けるべき時だ。これから私たちはそれにふさわしく聞くことの責任分担を果たす耳のある人にならなくてはいけない。(訳注:「貴い」という意味のクィハダのクィと「耳」という意味のクィは同じ発音)


難聴の自己診断
次の質問事項で「はい」という答えが3個以上あるなら聴力に問題があるかもしれないので専門家の相談を受けなくてはいけない。

Q電話で話す際に問題がある。
Q騒々しい所で対話することに困難がある。
Q二人またはそれ以上の人と一度に対話するのが難しい。
Q他の人との対話を理解するために耳を傾けなくてはならない。
Q他の人が話すとき独り言を言っているように見える。
Q他の人が言ったことを間違って理解したり不適切に反応したことがある。
Q人々にもう一度言って下さいと要請したことがしばしばある。
Q女性や子供が話すのを聞くとき、理解する際に困難がある。
Qテレビの音が大き過ぎると周りの人が自分に不満を言ったことがある。
Q響く音、うなる声、あるいは「しっしっ」という声がよく聞こえる。
Qある音が大き過ぎると感じられたことがある。
Qよく聞こえないために多くの人々との集まりを避けたことがある。
Q親戚や友人たちと飲食店に行ったとき、対話の困難を経験したことがある。
Q人々と話したくてもよく聞こえないために、思ったほどよく対話に参加できない。
Q多くの人々と一緒にいる時に疎外感を感じたことがある。





摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年11-12月号より
この記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
page top
科学コラム 文:クォン・ヨンワン博士

宇宙人とUFO

UFOと宇宙人は実存するのだろうか。
1982年にスティーブン・スピルバーグが監督したSF映画(空想科学映画)E.T.が封切られ、全世界的に旋風的な人気を呼び、話題になったことがある。映画E.T.は、宇宙船に乗って地球に来た宇宙人たちがいろいろ標本を採取していたときに人間たちが現れたので急いで発つときに、一緒に行けなくて残された宇宙人と地球人の子供たちとの友情を描いた映画で、最後の場面でE.T.が宇宙船に乗って再び自分の星へ帰って行きつつ「いつも君の傍にいるよ。」という言葉を残していくことで有名だ。そして当時、映画の主人公であるE.T.の人形が子供たちに相当な人気を呼んだ。この時E.T.が乗って来た宇宙船がUFO(Unidentified Flying Object)、すなわち未確認飛行物体だ。多くの人々がUFOを目撃したと言い、ある人は宇宙人に会ったとも言い、地球のどこかに宇宙人が不時着し、その死体をどこで保管していて、宇宙人の死体を解剖する映像がある等、人々の関心を呼ぶ話が絶えずある。それだけでなく最近は宇宙人を崇拝する宗教が出てきて一部の人々が従っているというほどだ。1950年代、ジョージ・アダムスキーが宇宙人に会ったと主張して以降、1960年代にはバリアント・トーという人は金星から来たと主張したりもする等、今までも宇宙人と地球外の文明体に関する話はずっと出てきており、多くの人々は地球以外の他の世界にまた別の文明を成して宇宙人が暮らしているだろうと想像している。そしてある時は宇宙人が地球を侵攻しないだろうかという杞憂に陥ってじたばたしていたときもあった。では一体UFOと宇宙人は実存するのだろうか。もしくは空想科学小説の中にも登場する主人公なのか。

人類が生きている地球のような星は存在するのか。
私たちは神様が創造なさった地球でものすごい文明を成して生きている。1984年アメリカは有名な科学ドキュメンタリーの進行者であり「コスモス」という本を書いた天文学者カール・セーガン博士の強力な主張によりNASAからモハビ砂漠に60mの電波望遠鏡を使ってSETI(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)という地球外の文明体の探査プログラムを始めた後、1992年からNASAは超短波観測事業という、より発展した方法で地球外の信号の探査を続けてきて、特別な探査結果を得られないと、このプロジェクトを1994年に結局中断することになる。NASAが探査をやめた1994年から民間人たちが参加してSETIに入ってきた電波資料をインターネットを通して各自が所有しているパソコンを利用して分析する方法を活用している。こういった方法による地球外電波の1次判読結果が2003年に出たが、参加した数多くの人々の期待とは違って、なんでもないものと判読された。鄭明析先生はすでに30年余り前から神様に祈って答えをもらい、イエス様に学び、UFOはないと20年前から話してきた。特に1995年のアメリカ巡回時、UFOに関する話で最も湧き立っていた時だったが、先生はアメリカの各地で講義なさる中でUFOはないとすっきりとおっしゃったことがある。

事実、地球外文明体を探すSETIというプログラムはフランク・ドレイクというアメリカの天文学者がドレイク方程式を1960年に提案したことがきっかけとなった。1967年にバーネルとヒューイッシュというイギリスの天文学者が正確な周期を持って瞬く星を初めて発見したが、それを一部の学者たちが宇宙人が送っている信号だと主張したりもした。しかし後に学者たちによってこの信号は宇宙人が送った信号ではなく中性子星だと明らかにされ、これをパルサー(Pulsar)と名付けた。ところで文明体探査の始発点となったドレイク方程式とは何なのか。ドレイク方程式は次の通りだ。

ドレイク方程式(N=R* X fp X ne X fl X fi X fc X L)

:この銀河の中に存在する交信が可能な文明の数
:この銀河の中で恒星が誕生する速度
fp:恒星が惑星系を持っている確率
ne:惑星系で生命体が生きられる惑星の数
fl:条件を備えた惑星で生命が発生する確率
fi:発生した生命が知的な生命体に進化する確率
fc:そのような知的な生命体が交信を望み、できる程度に発展する確率
L:そのような文明が存在できる期間


つまり、この銀河内に私たちと通信をやり取りできる文明を成す地球外文明体の数は、太陽のようにいつも光を発する星(恒星)を持っており、その恒星が水星、金星、地球、火星等の惑星系を持っていなくてはならないし、その惑星系で生命体が生きられる地球のような惑星が存在しなくてはならず、その地球のような条件を具えた惑星であるとしても生命が発生しなくてはならず、その生命体の中で人類のような知的な生命体が存在しなくてはならないし、その知的な生命体が人類が現在成している文明のような文明を成し、その文明が長い時間持続してこそ、そういう文明体が信号を送ることができるという意味だ。一言で話すと、この宇宙にこの太陽系とそっくりな太陽系があり、そっくりな地球があって、そこに人々が住んでいるだろうという考えだ。そしてそういう文明体があるとすれば必ず信号を送るだろうと信じてその信号をSETIというところで熱心に探しているのである。ところが先に言及したとおり、いまだに地球外文明体から送られて来た信号はたったの一件もない。最近の東亜日報の記事(2008年7月23日付)を見ると、アメリカでこれまで250個の恒星を調査したが、「太陽系は例外」という研究結果が出た。地球が属しているこの太陽系の環境があんまり独特なのでこれと似た他の太陽系を見つけるのは容易ではないという研究結果だった。分かりやすく話すと、地球外文明体はないということだ。そして最近アメリカのカリフォルニア大学バークレー校の研究陣がオリオン星雲に属する恒星250個を調査した結果、木星程度の大きさの恒星を形成し得る高密度のちりの円盤を周囲に持つ恒星は全体の6〜10%に過ぎず、これらの高密度のちりの円盤は太陽の1%以上になる質量を具えてこそ恒星の周囲を回る惑星を形成することができると説明した。研究チームのリーダーであるジョシュア・アイスナー博士はこの太陽系が一般的なものではなく、例外的な存在であるという事実を示唆するものだという記事が掲載された。事実、この太陽系で木星は地球より1300倍大きくて重力がものすごく大きい。したがって外部から飛んで来る宇宙岩石を木星が引き寄せて内側の軌道の惑星(特に地球)を保護し、火星と木星の間の小惑星を引きとめて地球に落ちないようにする、地球にあっては必須の守護神のような存在だと言うことができる。ところがこの木星の大きさの惑星を持った別の太陽系が存在し難いとすれば、地球以外の宇宙のどこかに生命体が存在する可能性はほとんどない。そしてSETIで地球外文明体を探すことを続けているが、いまだにどんな信号も観測されておらず、多くの科学者たちが地球のような人類が住んでいる星を見つけられずにいる。

肉的、霊的な無知から目覚めてこそ
空想科学映画にはいつも宇宙に地球のような生命体が住んでいて、ほとんど地球よりはるかに発展した文明を成して暮らしているように描写される。しかし先生は、人が住める星は地球しかないということをすでに30年前に分かって宇宙生命体の研究を終えたと説教の中でおっしゃり、宇宙は人間の頭で学ぼうとすると一部は分かっても、全て知るのは不可能だとおっしゃった。ただ天地を創造なさった神様だけがご存知だとおっしゃった。この宇宙に神様が創設なさった生命体が存在する唯一の天国はまさに私たちが住んでいる地球なのである。そして先生はイエス様と共に宇宙にある26個の星に霊で行って来られたという。星の世界へ行ってみてこそ特に用はないとおっしゃった。エゼキエル書やダニエル書等、聖書にもUFOと類似した記録がたくさん出てくる。ほとんど祈りの中で目撃したもので、霊的な現象である。人々が宇宙人だとかUFOだとかいうものに惑わされるのは、霊的な無知によるものだ。仮に宇宙人がいるとしても太陽系から一番近い星は4.3光年も離れたセンタウルスの位置だという。光の速度で4.3年も行かなくてはならない、ものすごく遠い距離だ。現在1977年に発射された無人宇宙船であるボイジャー1号は30年が過ぎた今もまだ太陽系を抜け出せずにいる。まもなく機能が停止して廃棄されるという。人類がいくら良い性能の宇宙船を造るとしても太陽系を抜け出すのは不可能だと思うべきだ。反対に地球外から地球に到達するのも難しいということだ。
最近人々がよく話すことの中にユビキタスという言葉がある。その用語の起源は宗教改革者マルティン・ルターのUbiquitarianism(キリストの臨在論)と見ることもあり、「いつもどこにもある、偏在する」という意味を持っている。神様と主は霊でいつもどこにも私たちと共にいらっしゃり、いつも霊的なメッセージを送っておられる。私たちは霊と肉を持っていながらも霊的な信号に鈍感だ。今日、人類が霊と肉の無知から覚めるには、地球外の信号に関心を持つのではなく、私たちにいつも共になさる神様のメッセージに耳を傾けるべきではなかろうか。霊的な無知と肉的な無知によって過ぎた時間NASAとSETIで注がれたお金だけでも天文学的な額である。いくら科学をよく勉強しても霊的に無知であれば一生をとんでもない研究をすることにお金と時間ばかり浪費することになる。UFOと宇宙人を探すことは蜃気楼を探すのと同じだ。先生のUFOに関する御言葉が科学者たちに伝えられていたなら、その多くの人力と学問が人類のためにより良いことに使われたであろうにという残念さがある。私たちはこの時代に先生から科学と宗教が一つになる、神様とイエス様の明快な真理の御言葉を通して霊的な無知と肉的な無知から抜け出て世の中に惑わされない人生を生きるようになった。摂理人生がどれほど幸せで感謝すべき人生であるか!




摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年11-12月号より
この記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
page top
CATEGORY : 御言葉
<2009年11月1日 主日の御言葉>
DATE : 2009-11-04-Wed  Trackback 0  Comment 0
その日には全て目につき、全て露見する 早く悔い改めて備えるべきものを用意しなさい


本文 マタイによる福音書22章1−14節


ハレルヤ!主の平安を祈ります。

植物の花の季節が去り、美しく勇壮な紅葉の季節が徐々に過ぎ、もう物寂しい季節がだんだん近づいています。それでも11月の一ヶ月は物寂しさを感じながら街を歩いても歩くことができます。大地の花も散り紅葉も散ると物寂しいですが、クリスチャンという人の花を咲かせれば冬にものどかでしょう。

今日の本文の御言葉を見ると、イエス様はその当世にあった状況と未来に起こることについて比喩を使って話されました。

ある王が自分の息子の結婚披露宴を催し、しもべたちを遣わして招いた人たちに来なさいと言いましたが、彼らが来ることを嫌がりました。王は他のしもべたちを遣わして「私が牛も肥えた獣もほふって食事を準備したから、私の息子の結婚披露宴に来なさい。」と言いました。しかしある人たちは見向きもしなかったし、ある人たちは田畑を耕しに行き、ある人たちは商売に出て行き、またある人たちは王が遣わしたしもべたちを辱め、悪評し、一部は殺しまでしました。誰が聞いても本当に悪い人たちであり、王を無視して踏みにじった人たちであり、「生まれたばかりの子犬はトラを怖がらない」(訳注:「無知は恐れを知らない」という意味のことわざ、日本語で言えば「知らぬが仏」「めくら蛇に怖じず」)と言いますが、王を陵辱した人たちです。

王がその話を聞いて激しく怒って軍隊を遣わし、しもべたちを殺人した人たちを滅ぼして彼らが住んでいる村を燃やしてしまいました。悪い人たちは自分の悪によって迫っていることを本当に知らずに生きています。

王はまたしもべたちを遣わして、道でも、野原でも、出会う人は誰でも、悪人でも善人でもみんな連れて来なさいと言いました。すると結婚披露宴にお客さんがいっぱいになりました。

王は誰が来たのか見ようと結婚披露宴の宮殿の庭をことごとく歩き回りました。ところがその多くの人々の中に、礼服を着ずに来た人がいました。王はその人に「友よ、どうして礼服を着ていないのか。」と訊くと、その人は食べていた食べ物を口にくわえて何も言わずに見つめているだけでした。本当に困ったことです。荒唐無稽なことです。それで王はそばの者たちに命じて「この人の手足を縛って外の暗闇に追い出せ。そこで泣き叫んだり歯噛みをしたりするであろう。招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないなあ。」と言いました。

この時代の私たち皆は、天の国に行くに当たって歴史の宴に招かれて来た人たちです。
今は私たちが神様とイエス様を選んで生きなくてはいけません。イエス様のこの比喩の御言葉はその当世のときに成されたし、その後にも成されました。

王は神様をたとえたものであり、王の息子はイエス様をたとえたものです。イエス様をこの世に新郎のように遣わして、迎えた人は信仰的にその方の新婦の立場になって救われ、その方と一つの体になって天の国に行くようになり、この世で生きる間にもイエス様に仕え、信じて生きることをおっしゃったのです。

王がしもべたちを遣わして宴に来なさいと言ったけれど来なかったということは、イエス様が来られる前の旧約時代4000年間、神様を信じて生きることを願ったけれど信じなかったことをおっしゃったのです。しかし小さな都市くらいのイスラエルの中には神様を信じる人たちがいました。

また王がしもべたちを遣わしたことは、イエス様の天国の福音の宴に来なさいと神様のしもべたちを遣わしたけれど来なかったことをおっしゃったのです。その理由は、自分の生活の場へ行き、あるいは世の中に溺れて生きているためについて来ないし、あるいは関心がなくて来なかったのです。残りの人はイエス様に反対し、異端視し、排斥し、遣わした人たちを悪く言い、その中には殺す人たちまでいました。

イエス様の当世、信じない人たちは福音を蔑視し、反キリストたちだと言って迫害し、異端視し、捕まえて回り、捕まえると獄に閉じ込め、殺しまでしました。どれほど心が傷つき、心情が苦しかったでしょうか。王のような神様がご覧になってどうなさったでしょうか。

イエス様の当世、どれだけイエス様の福音に反対し、迫害したのかご存知ですか。イエス様の福音を伝えると無条件に捕まえて回りました。捕まえる人たちは特にその時代に神様の弟子たちが福音を伝えるたびに、ともすれば彼らに告げ口しました。ローマ人たちはたいてい軍隊でイスラエルを支配し治めました。ローマ人たちが行って聞いてみるとこれといった特別な問題になることではありませんでした。

招いた人たちが来ないので、街で出会う人は誰でも福音を伝えて来させました。悪人でも善人でもみんな来させました。結局、天の国の宴に多くの人たちで満ち溢れました。多くの群れがイエス様の御言葉を聞いて天の国の宴の歴史を成しました。

そのように福音を広げている途中でイエス様が十字架につけられて亡くなった後に、イスラエルはローマの兵士たちによって陥落するようになりました。イエス様の比喩の御言葉どおり、神様が軍隊を遣わして、福音を伝える人たちを迫害し殺した人たちのその悪い行いどおりに行なわれました。

王の息子の結婚披露宴に来た人たちは、悪人でも善人でもみんな追い出されませんでした。しかし礼服を着ていない人は縛られて追い出されました。宴会場に行った人なら、他のことはできなくても礼服だけは整えて着なくてはいけません。整えなければ皆が見て気分が悪いのです。礼儀のない行動です。

この時代も神様がイエス様を世の終わりの終末に遣わされ、再臨を控えて主を迎えさせるために恵みと聖霊の宴をしています。天の国の主を迎える結婚披露宴をしていらっしゃいます。救いの結婚披露宴、恵みの結婚披露宴、聖霊の結婚披露宴、主を新郎として迎える結婚披露宴を神様は進行していらっしゃいます。私たちの目に見えなくても主は私たちの中に現れて行き来していらっしゃいます。

主は人々を遣わして招いて来なさいと言いましたが来ませんでした。再び人々を遣わして、ちょうど王が「肥えた獣をほふって全てのものを用意しておいたから、結婚披露宴に来なさい。」と言ったように、「世の終わりの日だ。再臨の前だ。私が約束どおりに聖霊を与えるから来なさい。聖霊の熱い働きを通して、人間たちが願う全ての恵みを与えてあげるから来なさい。人生を変化させ生まれ変わらせる聖霊の働きをするから来なさい。霊魂が救われて天国に行くようにする永遠の命の御言葉が準備されているから来なさい。」とおっしゃっています。

神様はあちこちイエス様の新婦たちを見て回っていらっしゃいます。ちょうど王がきれいな礼服を着ていない人を見てそばの者たちに命じて引きずり出して外の暗闇に追い出すように、神様は礼服を着ていない人たちをご覧になって追い出されるでしょう。

では礼服はいったい何のことなのか、礼式場に来るお祝いの客たちが着る礼服と新婦たちが着る礼服は信仰人たちにとって何のことなのか話します。

神様の人々は信仰の服を着なくてはいけませんが、これは救われるにあたって絶対に必要な義の服です。

ヨハネの黙示録19章7−8節を見ると「汚れのない衣」は「正しい行い」だと言っています。

汚れのない行いの服を着なくてはいけません。主を信じて生きながら正しく善良な行いをしてこそ、光り輝く汚れのない麻布の衣を着るようになります。悔い改めて主の御心どおりに生きる人にこの服が着せられます。

天国の救いの結婚披露宴に来た人たちなら、誰でも悔い改めなくてはいけません。この世に生きながら神様を信じなくて今信じて神様を愛するようになったこと、神様より世の中を愛して異性で人をより愛して生きたこと、神様の法から外れて生きたこと等を全て間違いだったといって悔い改めてこそ、義人になって神霊で光り輝く白い服を自分の霊に着せてあげることができます。そうしてこそ天国に入って行く福音の宴で礼服を着ていないといって追い出されません。

主がこの世に現れて2000年間働きかけられて以降、今この時は私たちにとって最高の機会です。主は私たちを変化させようとして来られました。限りない御言葉で啓示して下さり、聖霊で働きかけ、しるしで働きかけていらっしゃいます。

引き上げは変化です。変化してこそ引き上げられます。変化しなくては天の国に行くことができません。御言葉を聞いてそのとおりに行なって変化しなくてはいけません。悔い改めることで変化し、聖霊を受けることで変化し、主の啓示を何度も聴いて実践することで変化しなくてはいけません。変化しなかった人たちは結局追い出されました。主は「幼子のように変化しなさい。そうしてこそ天国に行く。」とおっしゃいました。この世で生きても天国の生き方でなければ地獄の生き方をしています。早く彼らのところへ行って「神様が天国に来なさいと招いていらっしゃいます。早く来なさいとおっしゃっています。」と言って連れて来て、時代の御言葉を聞かせ、天国の生き方をさせてあげて下さい。




元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
page top
寄稿 文:チョン・ミギョン

ゲームが脳に及ぼす影響

ゲーム産業を奨励する社会
インターネット強国!500万のゲーム族、100万のチャット族!大韓民国のこの地にインターネットがどの国より発達するようになったのは、明らかに神様が下さったプレゼントだ。しかし、刃物を子供の手に持たせるときは、どう使えば有益であり、誤って使う場合どんな問題点が発生するのか事前に徹底的に教育し教えるのが順序であろう。しかしただインターネットを活用する人口を増やすことを急いだまま、それによって病んでいく青少年たちの文化についてあまりにも無責任な大人たちが、今日の多くの青少年のゲーム中毒者を作り出したと言っても過言ではない。
韓国の満3〜5歳の間のインターネット使用人口は50%を超えるという。この年齢でインターネットを接続してできることがあるだろうか。幼い幼児たちまでコンピュータの前に座って「かたつむり捕り」ゲームに没頭していて、子供たちはもうゲームがなければ退屈で生きられない子供たちに変わりつつある。親たちが、幼い年齢でマウスを触って自らインターネットに接続する子供を見て感心しているうち、子供は自分も気づかないうちにゲームが与える魅力に溺れてしまうようになるということを看過してはいけない。子供たちが単純な暇つぶしとして始めたゲームは、年々より刺激的なゲームへと発展するようになり、小学校高学年くらいにもなると武器を使って残忍に相手を殺すゲームを楽しんでいるのが、子供たちの現実だ。
2005年以降、100億以上投資して作ったゲームは10種を超えるが、こういったインターネットゲームに接続してゲームを楽しむにはお金がかからない。メイプルストーリー等の無料ゲームをサービスする会社は、有料ゲームがないにもかかわらず年刊キャッシュアイテム販売等によって上げた収益が3千億ウォンに達し、2004年の全てのベストセラーを押さえて最高にたくさん売られた本が「メイプルストーリー解説集」だというから、私たちの社会の病的な文化の実態を端的に見せてくれる例ではないかと思う。ゲーム産業で外貨を稼ぐ韓国の経済の現実について見る時、なぜ幼児期から無料ゲームを楽しむようになるのか、その答えはそれほど難しくない。青少年たちの教育と人性問題は後回しにしたまま経済の論理によってゲーム産業を奨励せざるを得ない大人たちに、このまま子供たちを任せてばかりはいられない。

ゲームと脳

「人間は聞いたとおりに話し、見たとおりに行ないます。」
学校と塾を行き来する子供たちは、余暇の時間をどのように過ごすのだろうか。韓国青少年相談院の2008年青少年の余暇実態調査の結果によると、青少年たちは学校と塾の生活を除いた余暇の時間の大部分をテレビの視聴(78.9%、複数回答)とインターネット(一日2時間未満55.3%、2時間以上24.1%)で過ごしていた。そして25歳未満の若者たちのうち80%がオンラインゲームを楽しみ、コンピュータを使用する小中高生の10人中3人はコンピュータ中毒だという。
日本の脳神経科学者である森昭雄博士の研究結果によると、「ゲームをたくさんする人の脳波は、痴呆患者の脳波と同じだ。」という。人間の脳の領域は機能面で知・情・意という三要素に区分することができる。いるかのような動物を見ると分かるように、人間以外の動物にも「知」の要素はある。しかし人間の脳と動物の脳を区分する最も決定的な要素は「意」の部分をつかさどる、私たちの脳の前側に位置している前頭葉にある。この前頭葉は人間に最も人間らしい品性を持たせてくれて、多様な知識に照らして最も望ましい表現や行動を判断し、衝動を抑制し、最終的な意思決定を下す良心の高等裁判所のような役割をする所だ。だから前頭葉前部皮質の機能が低下すると、判断力を喪失し、状況や周囲に配慮しない行動が出るようになる。では、ゲームをたくさんする人たちの脳はなぜ痴呆患者の脳と同じだというのだろうか。
テレビやコンピュータゲーム、携帯用ゲームを通しての画像刺激は、ほとんど後頭葉に位置する視覚野を経て、図のように神経回路に乗って伝達される。テンポが速いゲームでも遅いゲームでも、前頭葉前部皮質には信号が到達しない。つまりテレビゲームを通して情報を受け入れる過程には、前頭葉の思考活動がほとんど介入しない。映像に馴れ過ぎた脳を持った人間の類型の場合、ふだん視覚情報を毎度受け入れるために前頭葉をあまり使わない。言うなれば、ゲーム機を操作するときは一つ一つ考えずに機械的に手の動作をするようになり、そうしてみると後頭部中心の神経回路が強くなって、前頭葉前部皮質の脳細胞活動の必要性が減る。従ってゲームをする間、前頭葉はほとんど機能しないが、これは視覚系神経回路の活動があまりにも強力で前頭葉前部皮質の細胞活動が停止してしまったためだ。前に先生は私たちに御言葉の中で「脳は精神のエンジンと同じだ。」とおっしゃった。エンジンに異常があると機械がそれ以上正常に作動できないように、脳に異常があるとすれば当然行動に障害を来すしかないのである。実際に研究結果によると、ゲームをよくする子供たちは、そうではない子供たちに比べて前頭葉の機能が大きく低下して、学習能力はもちろん、小さなことにもよく興奮し、暴力性、攻撃性が高く現れた。そして中毒になった子供たちの場合、ゲームによって家族や友達と対話が減ってうつ病の症状が現れたりもする。
ゲームに中毒になった学生の実例を見ると、1年生の時に成績が80点以上だった子供が、1年間ゲームに溺れた後、3年生の成績は50点台の下位圏から抜けられずにいる。この学生の場合、親とゲームによる葛藤が非常に深刻な水準に来ており、治療センターに通ってみたりもしたが、特別な変化がない状態だ。一日30分から1時間くらいしかしないからといって安心すべきことではない。学年が上がれば上がるほど親の統制は難しくなり、毎日1〜2時間以上ずつやり始めるとだんだんゲームの沼にはまって出て来るのはより難しくなる。ゲーム中毒は麻薬中毒のように禁断症状がひどく現れるため、何よりも徹底した予防教育だけがその解決策である。
2007年上半期に青少年が最も多くやるインターネットゲームの上位20個を見ると「サドンアタック(Suddenattack)」を始めとして、拳や刃物(刀剣類)、そして銃器類を利用して相手方を殺すゲームが80%に及ぶという。こういった暴力的で残忍なゲームを楽しむ子供たちに「むごたらしくないか。」と質問を投げかけると、子供たちは「面白いじゃないですか!ストレスが解れます。」と答える。
数年前ゲームに中毒になっていたキム・イルビョンが同じ軍の部隊の軍人たちにまるでゲームの中の場面でのように銃器を無差別乱射した事件や、昨年バージニア工科大学であった銃器殺人事件、全てゲームに夥しく中毒になって仮想と現実を区別できなかったところから起こったむごたらしい事件だったということを私たちはよく知っている。またわずか1500ウォンのゲームアイテムのために怒って小学校5年生の双子の兄弟が友達を屋上に呼び出し、凶器で数十回刺した事件や、小学生が自動車競走ゲームを真似て他人の自動車を盗んで乗って事故を起こした事件等は、ゲームが脳(前頭葉)にどんな影響を及ぼすのかよく分かる事例だ。
先生は「脳の作用は録音機と同じで録音するとおりに入っていく。私たちの脳は良い言葉を聞き、良いものを見てこそ脳でよい刺激を受ける。」とおっしゃり、人が見る通り、聞く通りにどんどん考えが変わって行動するようになるのだとおっしゃった。
10代たちはこの民族のビジョンであり、天の歴史の希望だ。「彼らの精神に何を入れるのか、彼らの脳に何を入れるのか」について私たち大人は頭を突き合わせて深刻に悩むべきだ。水準の低いテレビの画面は親たちから果敢に消してしまおう。大人たちから私たちの子供たちの見本にならなくてはいけない。少なくとも親がゲームを楽しんだりテレビの前に気をとられている姿を見せるなら、それ以上子供たちに話せることがなくなる。そして必ず必要な場合でなければコンピュータの前に座っているようにするよりは、家族たちと対話し、読書をするようにしたり、汗を流して外で健康に跳び回るようにすべきだ。結局、子供たちに何を聞かせてやり、何を見させるのかは、彼らを養育する親の任務であり、この時代の御言葉を聴いた人がすべきことだ。
ご飯を盛るなら茶碗、水を入れるならコップ、師の御言葉と教えに従ってひたすら私たちの頭の中には神様の愛と精神、キリストの愛と精神で満たさなくてはいけない。夢がある人は人生を浪費しない。10代!何を見て何を聞き、何を考えるのかによって人生の成功と救いが左右される。私たちの人生、私たちの子供たちの人生、誰に使われることを望むのか。




摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年10月号より
この記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
page top
Copyright © 2005 摂理のほんやくコンニャク. all rights reserved.