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CATEGORY : 御言葉
(2008年6月15日)一週間の御言葉
DATE : 2008-06-17-Tue  Trackback 0  Comment 0
主題;人間は人間として生きるものだ。
本文;テモテへの第一の手紙2:4−5

本文の御言葉を見ると、神様は全ての人々が救われ、真理を知るにいたることを願っておられるとあります。どんな真理を知ることを願っておられるのか、真理とは何であるか、今日話して下さるでしょう。神様は地球上の全ての人々が皆救われることを願っておられ、真理を知ることを願っておられると言いました。神様とイエス様を信じて生きる全ての人たちに、個性どおりに救いの歴史をお広げになり、また信じない人たちまでもそれなりに良心の法を与えて全心的に救う歴史を広げていらっしゃいます。ペテロの第一の手紙4:6に見られるように、慈悲と愛の神様は、霊界でもそのように救いの歴史をなさいます。霊界で再び機会を与えて、霊たちが神様を信じて救われることができるという真理を知って生きることを願っておられます。だから私たちの両親や兄弟が肉体の世界で伝道されるよう祈るように、肉が死んだ人でも霊のために祈ってあげなくてはいけません。

死んだ人も生きている人も、神様は皆救われることを願っておられ、救われるように予定しておられます。だから肯定的に考えて、福音を伝えれば、神様もイエス様も聖霊様も感動させて信じさせて下さいます。偶像に仕える人たち、異邦の信仰人たちも、肉界でも霊界でも、結局神様とその遣わされたメシアを信じ、その御言葉に従順してこそ救われることができます。いくら善良で義なる仕事をしても、その義によってそれに伴う祝福を受け、心の喜びを享受するだけであって、救われることはできないのです。このような真理をはっきりと知り、伝えて生きなくてはいけません。ある日、お祈りする中で、「人間は人間として生きるものだ。」という声を聞きました。あまりに難しい言葉なので、どういう意味かと続けて神様に訊いてみました。比喩を使って話して下さいました。豚10頭がいましたが、主人がその中の1頭に、お前がみんなの隊長になって働きなさいと言いました。その日から豚たちは、その豚がさせるとおりに暮らしました。数日後、主人が来てみると、豚たちの間に騒ぎが起こっていました。主人が調べてみると、使命を与えた豚が、豚のように暮らすことができなくて、使命によってだけ暮らしていたのです。これはどういう話でしょうか。職責によってだけ生きていたということです。職責がないと人々が分かってくれないと言って、職責を中心にし、また接する人々も牧師か、講道師か、伝道師か、何の職責もないのかということを問います。職責をもって人を扱ったり接したりないで、人間だから人間として生きなさいということです。それでは、職責はなぜ与えるのでしょうか。どんな仕事をするのか分からないから、あなたがすべき仕事はこれだと、ある仕事をすべきだと、職責を与えるのです。職責を与えなければ、自分のすべき仕事が何なのか分からないから、職責を与えるのです。ところがその職責を持って主権として治め、導き、教えます。職責は一人の家令の名前です。豚のように自分の職責によって治めてはいけません。

今日の本文の御言葉に、イエスは神様と人間の仲保者の役割をしに来たとあります。御言葉で、その生き方で、仲保の役割をしてくれました。

「人間であられるキリストだ。」と言いました。イエス様はこの上なく人間のように生きました。メシアの使命と看板によって治めず、その主権によって人を導いて行きませんでした。誰より命を哀れみ、かわいそうに思って、友達になり、真実に接して下さり、慰めて下さり、心配すると「私が責任を負うから。心配するな。」と仰り、心配しないで生きなさいといつも力を下さいました。親のように、友達のように、恋人のように生きて下さいました。これが人間のように生きることです。これは神様の御言葉です。




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