証 イ・ヒョンチュン牧師
伝道されて使命をもらうまで
岩を直接選んで月明洞(ウォルミョンドン)へ移してきたイ・ヒョンチュン牧師。20代の初め、既成の教会に通っていた彼は、摂理についての話を聞いて、電話番号だけで教会に直接訪ねて行って御言葉を聴いた。とても温かい感じと深い講義に15日間で30個論を全部聴いて火がつき、恵みも受けるようになり、路傍伝道も熱心にやった。当時健康が良くなかったが、先生が運動される時に一緒に走り、一人でもノリャンジンからポラメまで走り、コンディションが良ければ家まで走って行って近所をもう一回りした。そうして1年走って鉄のような体になると、91年、神様が月明洞(ウォルミョンドン)へ導かれた。月明洞(ウォルミョンドン)の開発の草創期、先生が岩を探されているのを見たイ・ヒョンチュン牧師は、直接岩を探し回りながら報告をし、これを機に岩を買う使命を任されることになった。使命のせいか、本当に御心ある岩を見たら必ず持って来て置かなければという感動が来るという。
私が出会った先生
「私は言葉より実践だ」岩の造景をしながら見た先生の生き方は、明日がないかのようにその日一日の一瞬一瞬に最善を尽くされる生き方をされていた。「私は言葉より実践だ」という詩のように、そういう生き方をしていらっしゃり、これは信仰を離れて人間的な姿としても尊敬できた。村の住民たちが月明洞(ウォルミョンドン)の開発にひどく反対した時も、むしろ村の祭を開いてあげ、その後も村の会館の建立、チンサン小学校の奨学金の伝達まで、果てしなく施された。深い山奥を開発して自然聖殿として天の前に捧げるまで、人々に感動を与えるだけでなく、神様が働かれるしかない生き方をされたのだ。
命を生かすための犠牲
岩の造景の過程で、命が危険な瞬間がたくさんあったが、人命被害が出なかったのは、神様が守って下さったことと、先生の弟子への愛があったからだ。岩の造景の作業には、両側から岩を掴んで、支える石を置き、土を固める人まで、基本的に2〜3人がいることになる。岩を持ち上げて動かすワイヤーは縒られたものなので、力を受けると中心を掴んでもひとりでに回転する。1996年、聖歌隊の席と薬水の場所の近くで作業していた時、ワイヤーにぶら下がった岩が回転しながら先生に近づいて来た、危険な瞬間があった。数十トンの岩が回転までしたため、軽くぶつかるだけでも人間にとっては死の危機だ。岩が来たら人間は本能的にその岩を押すしかない瞬間だった。しかし先生は、その岩を押されなかった。弟子たちが危険だから、直接身を下に投じて、弟子たちが怪我をしないようにされた。普通の人なら骨が折れて大怪我する高さだった。神様が助けられたので皆の命を生かして下さり、先生の犠牲によって一人も怪我をしなかった。人間の生存本能に先立つ命に対する愛の実践は、一瞬でできることではなく、いつもそのように生きてこられた先生だからできたのだ。先生に接して経験したこともなく誤解する人々を見ると、その愛を体験した者として、とても心が痛く、天の前に申し訳なくさえ思う。月明洞(ウォルミョンドン)は私たちの歴史の中で最も大きな宝物だと仰った。私たちがそのような作品を造ったことも重要だが、いつも持ち歩くことのできる作品、「自分」という作品を、勇壮に、美しく、そして神秘的につくれば、月明洞(ウォルミョンドン)を喜ぶようにその人を喜ぶと仰った。
アブラハムが99歳で得たイサクを捧げたように、先生もまたいつもそういう信仰と実践の条件を立ててこられた。岩のような信仰を基盤として、もがきの中に神様の傑作品を造った先生のように、私たちもやはり絶対信仰を持ち、希望で櫓を漕ぎながら、最後まで行かなくてはいけない。岩が自分の位置にあってこそ最も輝くように、私たちも自分の使命地で愛と公義によって平和の世界を成し、弟子を愛するために犠牲を払ってこられた先生のように、お互いのために犠牲を払う生き方をすべき時だ。
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年3-4月号より
この記事はこちらのサイトでも読めます。http://cgm.or.kr/
伝道されて使命をもらうまで
岩を直接選んで月明洞(ウォルミョンドン)へ移してきたイ・ヒョンチュン牧師。20代の初め、既成の教会に通っていた彼は、摂理についての話を聞いて、電話番号だけで教会に直接訪ねて行って御言葉を聴いた。とても温かい感じと深い講義に15日間で30個論を全部聴いて火がつき、恵みも受けるようになり、路傍伝道も熱心にやった。当時健康が良くなかったが、先生が運動される時に一緒に走り、一人でもノリャンジンからポラメまで走り、コンディションが良ければ家まで走って行って近所をもう一回りした。そうして1年走って鉄のような体になると、91年、神様が月明洞(ウォルミョンドン)へ導かれた。月明洞(ウォルミョンドン)の開発の草創期、先生が岩を探されているのを見たイ・ヒョンチュン牧師は、直接岩を探し回りながら報告をし、これを機に岩を買う使命を任されることになった。使命のせいか、本当に御心ある岩を見たら必ず持って来て置かなければという感動が来るという。
私が出会った先生
「私は言葉より実践だ」岩の造景をしながら見た先生の生き方は、明日がないかのようにその日一日の一瞬一瞬に最善を尽くされる生き方をされていた。「私は言葉より実践だ」という詩のように、そういう生き方をしていらっしゃり、これは信仰を離れて人間的な姿としても尊敬できた。村の住民たちが月明洞(ウォルミョンドン)の開発にひどく反対した時も、むしろ村の祭を開いてあげ、その後も村の会館の建立、チンサン小学校の奨学金の伝達まで、果てしなく施された。深い山奥を開発して自然聖殿として天の前に捧げるまで、人々に感動を与えるだけでなく、神様が働かれるしかない生き方をされたのだ。
命を生かすための犠牲
岩の造景の過程で、命が危険な瞬間がたくさんあったが、人命被害が出なかったのは、神様が守って下さったことと、先生の弟子への愛があったからだ。岩の造景の作業には、両側から岩を掴んで、支える石を置き、土を固める人まで、基本的に2〜3人がいることになる。岩を持ち上げて動かすワイヤーは縒られたものなので、力を受けると中心を掴んでもひとりでに回転する。1996年、聖歌隊の席と薬水の場所の近くで作業していた時、ワイヤーにぶら下がった岩が回転しながら先生に近づいて来た、危険な瞬間があった。数十トンの岩が回転までしたため、軽くぶつかるだけでも人間にとっては死の危機だ。岩が来たら人間は本能的にその岩を押すしかない瞬間だった。しかし先生は、その岩を押されなかった。弟子たちが危険だから、直接身を下に投じて、弟子たちが怪我をしないようにされた。普通の人なら骨が折れて大怪我する高さだった。神様が助けられたので皆の命を生かして下さり、先生の犠牲によって一人も怪我をしなかった。人間の生存本能に先立つ命に対する愛の実践は、一瞬でできることではなく、いつもそのように生きてこられた先生だからできたのだ。先生に接して経験したこともなく誤解する人々を見ると、その愛を体験した者として、とても心が痛く、天の前に申し訳なくさえ思う。月明洞(ウォルミョンドン)は私たちの歴史の中で最も大きな宝物だと仰った。私たちがそのような作品を造ったことも重要だが、いつも持ち歩くことのできる作品、「自分」という作品を、勇壮に、美しく、そして神秘的につくれば、月明洞(ウォルミョンドン)を喜ぶようにその人を喜ぶと仰った。
アブラハムが99歳で得たイサクを捧げたように、先生もまたいつもそういう信仰と実践の条件を立ててこられた。岩のような信仰を基盤として、もがきの中に神様の傑作品を造った先生のように、私たちもやはり絶対信仰を持ち、希望で櫓を漕ぎながら、最後まで行かなくてはいけない。岩が自分の位置にあってこそ最も輝くように、私たちも自分の使命地で愛と公義によって平和の世界を成し、弟子を愛するために犠牲を払ってこられた先生のように、お互いのために犠牲を払う生き方をすべき時だ。
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年3-4月号よりこの記事はこちらのサイトでも読めます。http://cgm.or.kr/
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