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CATEGORY : 御言葉
(2008年10月5日)一週間の御言葉
DATE : 2008-10-06-Mon  Trackback 0  Comment 0
主題;顔は看板だ。顔で神様に栄光を帰しなさい
本文;詩篇39:1、150:1−6、34:10−19

よく「人物が看板」だと言い、「自分の位置が看板」だと言います。

顔には目、耳、鼻、口があります。目はよく見なくてはいけません。耳はよく聞かなくてはいけません。口はよく話さなくてはいけません。鼻はよく息をしなくてはいけません。見る看板、聞く看板、話す看板、呼吸の看板です。皆、看板の価値を立派に果たすことを願います。

一番目、目が看板です。

人をよく見られないと、失敗するし、自分の願いを成就できないし、損害を被ることになります。だから人もよく見て、足を踏むところもよく注意して見なくてはいけません。薄氷の張った場所なのか、かちかちに凍りついた氷なのか、石橋なのか、腐った橋なのか、よく見なくてはいけません。

人を見誤ると、とても大きな害を被ることになります。それによって自分の良い心が落胆するようになるし、害を被るようになるし、信仰と救いまで奪われるようになります。神様とイエス様のように、炎のような目で注意してよく見て、精神と霊魂と、間接と骨髄とを切り離すまでに見ながら、完全によく見て行なわなくてはいけません。特に事業をする人たちは、人を見誤ってつぶれてしまうことがよくあります。よく見れば繁盛するようになります。

心の目、霊の目、心霊の目まで全て動員して見なくてはいけません。目がかすんでよく見られなければ、主に伺わなくてはいけません。人の外見を見ないで、その人の行いを見なくてはいけません。焦って見ないで、徹底的に見なくてはいけません。

狼なのか、狐なのか、よく見なくてはいけないし、うわべは羊の服を着て、中身は狼の行いをしているのか、よく見なくてはいけません。中身が違い、うわべと違う行動をしているのか見て、雰囲気で信仰が入っているのか、群れを成す信仰で生きているのか、本当に信仰生活をしているのか、よく見なくてはいけません。

二番目、耳が看板です。

神様は自らもお聞きになりますが、完璧に治めるために、数百億の天使たちの中から最も有能な天使を人間たちにそれぞれ配置しておかれ、人々が話すことを全て聞いて、毎日時間ごとに報告させます。だから、間違ったことがあるなら、1日の日が沈む前に悔い改めて解かなくてはいけません。

天使たちが私たちの行いを神様に報告する前に、早く悔い改めるべきことを悔い改めて、すべきことをしなくてはいけません。教会でも御言葉を聴くとき、長い間居眠りしたら目につきます。間違いをした状態で長い時間が過ぎると目につきます。悔い改めも、長い間しなければ、神様に報告されて、解くのが大変です。罪を犯したらすぐに悔い改めなくてはいけません。

神様もこのように耳の看板を貴くお使いになります。

私たち人間も、耳が軽くてはいけません。誰かがこうだと言うとこちらへ傾き、誰かがああだと言うとあちらへ傾いて、右往左往しては絶対にいけません。よく聞き、確認して聞き、他の人たちが聞いたことを総合して聞き、あちこちで聞いたことを総合し、家で分析して聞き、秤にかけて見るようにした後に、話をしなくてはいけません。それも必ず話すべきことなのか見て、それに該当するなら話すべきです。

耳が看板の価値をきちんと果たせないなら、耳の門を閉じなくてはいけません。耳の門を閉じなさいという話は、耳をふさいで暮らしなさいということです。水泳するときに耳をふさぐもので耳をふさいで暮らせばいいです。先生も雑談を聞くまいと耳をふさいで暮らしながら、上から来る主の御言葉だけを聞いて暮らしたので、ひと時の患難に打ち勝ちました。

正しいことも聞き誤ると信仰が崩れることになります。信仰が病にかかることになります。サタンと悪霊に惑わされて行なう人たちの言葉を分別できなくて、耳で聞いて、心で受け入れると、毒薬を一杯飲んだのと同じです。だからすぐに倒れるのです。毒薬を一匙飲んだ人なら吐かせて応急処置をすれば助かりますが、与えるままにすべて飲んでしまったら、死亡へと至ることになります。

天国に行くのは易しいことだと思うなら、無知な人です。

三番目、口が看板です。

神様は完全な御言葉だけを語られます。主も完全な御言葉だけを語られます。その口から出た御言葉は、空しく戻って来ることがありません。裁きと祝福の言葉です。ペテロの第一の手紙3:10を見ると、幸いな日々を過ごそうと願う人は、舌を慎み、言葉を慎みなさいとあります。

神様はダビデ王をご覧になって、私の心に適うと仰いました。ダビデは万事においていつも神様を讃美し、祈りました。私の舌で罪を犯さないようにして下さいと祈り、万事において口を慎みながら暮らしたことを、聖書を通して見ることができます。これだけでなく、顔の看板である、見ることと聞くことを慎みながら、呼吸であるお祈りもいつもしながら暮らしました。

神様は御言葉で天地を創造したと言いました。私たち人間も、言葉で自分の人生を創造しながら生きています。良い言葉は良く生きていくようにし、悪い言葉は悪く生きていくようにします。見たとおりに、聞いたとおりに、話した通りに、人生を生きていくようになるから、よく見て、聞いて、話しながら生きなくてはいけません。そうしないと全ての苦労が無駄になり、人生を失敗し、行きたくない地獄の道を歩むことになります。

良い言葉と行いで神様に栄光を帰し、伝道しお祈りし和睦して神様に栄光を帰して生きることを願います。そうしてこそ良い便りを聞くようになり、良い日が必ず訪れるようになります。ハレルヤ〜アーメン!!




元記事はこちらです
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