主題;信じて祈る者にはどんなことでもできる。
本文;マルコによる福音書9:23、ヘブル人への手紙11:6
イエス様は、信ずる者には、どんな事でもできる、と仰いました。絶対信仰の祈りは、できないことがありません。私たちが信じてこそ実践するようになり、実践してこそ成されるものです。信じて祈ったことは、神様がふさわしければ必ず神様の時に成して下さいます。
「あなたがたが信じて祈ったものはみな与えられるであろう。」と仰いました。信じるということは、神様を信頼して任せるということであり、頼るという意味であり、認めるということです。全知全能の神様を信じる人たちは絶対的な信仰を持って生きていかなくてはいけません。
神様を信じていても揺れたり、信仰が破船するのは、自分の願うとおりにしてくれないからです。それが間違ったことでなければ、信じて祈ったものはその愛する人に、時になれば絶対的に、祈り通りに、信仰通りに成して下さいます。
人々は、祈って信じてもがくことは熱心にやります。しかし信じて祈ったことが成されてもよく分からず、実感できず、感謝感激して神様に栄光を帰すことには弱いです。希望を持つときの喜びが希望が成された喜びより大きいのは矛盾です。
その中の一つを考えてみましょう。伝道する時は、その希望と喜びが非常に大きいです。そして望んでいたとおりに伝道された時、嬉しいです。そうしてその喜びがすぐに終わります。伝道する時はやきもきする心も希望も喜びも数ヶ月続きます。あるいは6ヶ月から1年その希望と喜びが消えません。
しかしそんなに願っていた命が伝道されてからは、そのことによる喜びは暫しの間です。けれどその希望と喜びが一生続くべきではないでしょうか。神様に感謝し、喜び、希望を成したから、ずっとその人と共に喜ぶべきです。いつも管理し、その人を通して連続的に神様の願われる御心を広げていくべきです。祈って成されたら何でもその最初の喜びが冷めてはいけません。だから過去を忘れるなと言ったのです。してくれたことだけ忘れるなということではありません。
神様を頼り、絶対的に信じてこそ、願っていることが成され、絶対的に信じる人は、信じて祈ったことが実際に成されます。信仰によって先に分かって喜び、感謝して生きていくべきだということです。
信仰も徹底的に、お祈りも徹底的にしなくてはいけません。成した後に感謝と喜びもしてこそ甲斐があります。聖書の中で、信じて祈った人たちが成したことを探し出して読んでみて下さい。信仰を受け、お祈りもするようになるでしょう。
いつも手厚く下さる神様です。過去にして下さったように、またして下さいます。だから自分もそのようにしっかりとやるのです。
人間の言葉を信じなくても自尊心が傷つくのに、全知全能の神様の御言葉を信じなければ、神様がどう思われるでしょうか。だから絶対的に信じて祈って下さい。
元記事はこちらです
http://cgm.or.kr/
本文;マルコによる福音書9:23、ヘブル人への手紙11:6
イエス様は、信ずる者には、どんな事でもできる、と仰いました。絶対信仰の祈りは、できないことがありません。私たちが信じてこそ実践するようになり、実践してこそ成されるものです。信じて祈ったことは、神様がふさわしければ必ず神様の時に成して下さいます。
「あなたがたが信じて祈ったものはみな与えられるであろう。」と仰いました。信じるということは、神様を信頼して任せるということであり、頼るという意味であり、認めるということです。全知全能の神様を信じる人たちは絶対的な信仰を持って生きていかなくてはいけません。
神様を信じていても揺れたり、信仰が破船するのは、自分の願うとおりにしてくれないからです。それが間違ったことでなければ、信じて祈ったものはその愛する人に、時になれば絶対的に、祈り通りに、信仰通りに成して下さいます。
人々は、祈って信じてもがくことは熱心にやります。しかし信じて祈ったことが成されてもよく分からず、実感できず、感謝感激して神様に栄光を帰すことには弱いです。希望を持つときの喜びが希望が成された喜びより大きいのは矛盾です。
その中の一つを考えてみましょう。伝道する時は、その希望と喜びが非常に大きいです。そして望んでいたとおりに伝道された時、嬉しいです。そうしてその喜びがすぐに終わります。伝道する時はやきもきする心も希望も喜びも数ヶ月続きます。あるいは6ヶ月から1年その希望と喜びが消えません。
しかしそんなに願っていた命が伝道されてからは、そのことによる喜びは暫しの間です。けれどその希望と喜びが一生続くべきではないでしょうか。神様に感謝し、喜び、希望を成したから、ずっとその人と共に喜ぶべきです。いつも管理し、その人を通して連続的に神様の願われる御心を広げていくべきです。祈って成されたら何でもその最初の喜びが冷めてはいけません。だから過去を忘れるなと言ったのです。してくれたことだけ忘れるなということではありません。
神様を頼り、絶対的に信じてこそ、願っていることが成され、絶対的に信じる人は、信じて祈ったことが実際に成されます。信仰によって先に分かって喜び、感謝して生きていくべきだということです。
信仰も徹底的に、お祈りも徹底的にしなくてはいけません。成した後に感謝と喜びもしてこそ甲斐があります。聖書の中で、信じて祈った人たちが成したことを探し出して読んでみて下さい。信仰を受け、お祈りもするようになるでしょう。
いつも手厚く下さる神様です。過去にして下さったように、またして下さいます。だから自分もそのようにしっかりとやるのです。
人間の言葉を信じなくても自尊心が傷つくのに、全知全能の神様の御言葉を信じなければ、神様がどう思われるでしょうか。だから絶対的に信じて祈って下さい。
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