霊で行なってこそできる
霊的な人だけ主の再臨を迎える
本文 ローマ人への手紙8:5−11
ハレルヤ!神様の全能な愛と主の平安を祈ります。
今日の聖書の本文の御言葉から始めます。
本文の御言葉に「肉体ですれば絶対にうまくいかない。むしろ死亡だ。」とあります。肉体は肉的にだけ行き、肉的なことだけするようになり、肉的に悟るようになります。だから「肉の思いは死である。」と結論づけました。
肉的な人たちは神様を喜ばせることができないし、いつも損害を与えて心配させます。しかし霊は霊の考えをして神様と主をいつも思います。霊の考えは永遠の命を与えます。肉体は神様の法に屈服しません。しかし霊は神様の法に従順し従います。
使徒パウロは主からこの真理をもらって実践し、そのように生きたので、霊的で信仰的な人になって主がお使いになるのにふさわしい人になったし、偉大な使徒になりました。使徒パウロは毎日自分の肉性を殺して祈り、霊的な人になって主の御心を悟って生きました。偉大な人生を生きました。成功しました。
霊について知らなかったり、霊的な人でなければ、霊の盲人であり、おしであり、耳の聞こえない人です。主が「どうやって盲人が盲人を手引きすることができるのか。盲人が盲人を手引きすればふたりとも落とし穴に落ち込み、何かにぶつかって怪我をしたり死んだりまでする。」とおっしゃいました(マタイ15:14)。
宗教の指導者たちの中で盲人たちは自分を信じてついて来る人たちを間違って導くので地獄に行かせ、自分も地獄に行っています。霊界に行って来た人たちや、地獄に行って来た人たちはみんな知っています。どんな宗教なのか一度考えてみて下さい。主の再臨を前にして霊的な英雄たちと霊的な指導者たちに会わなくてはいけません。会った人は幸せな人です。
肉の考えは死亡であり、霊の考えは生命です。主の考えは霊的なものであり、人間の考えは肉的なものです。神様と主がお使いになる使命者が霊的な人です。霊的な人であればあるほど聖霊の働きを起こして聖霊が充満します。肉的な人は聖霊の働きのおかげで聖霊を受けて暫し霊的に行っても再び肉的に考えて生きるので後には離れて行きます。
神様と主と聖霊様は霊でいらっしゃるから、私たちも霊に属して霊的な人にならなくてはいけません。そうしてこそ神様と主と聖霊様と通じます。人はそれぞれ肉もあり霊もあるから、霊に属して霊が中心になって生きなさいということです。霊は祈ってこそ神霊になります。絶対に主第一主義で生きて主を愛してこそ霊が肉体を主管して霊的な生き方をします。
霊が天の国に行くから霊に気を遣わなくてはいけません。霊を中心にしてこそ肉も霊と一緒に忽然と変化します。肉体の考えと行動が全て霊の考えに変化しなくてはいけません。聖霊を受けると霊的に生まれ変わって霊的な人になります。霊を中心とした人になります。
霊的な人になっても再び肉に属した人になる理由は、霊を中心とせず肉を中心とするから、だんだん肉に属した人になっていくのです。いつも霊を中心として霊に属した生き方をしなくてはいけません。一度得たなら奪われてはいけません。
主が「時間を計算してみると、肉で走れば足りなくて行けない。肉的にはいくら熱心にしても時間が足りない。これからはもっと霊的にすることによってのみすることができる。残った時間を見ると、肉的にすればできないが、霊的にすればできる。肉ですると時間が足りなくてできなくなる。霊的にすることによってのみすることができる。」とおっしゃいました。
主の御言葉を聴きましょう。
肉が見て聞いて考えて熱心に行なうが、今は肉がいくら熱心にやっても私の再臨のためにすべきことを全てすることはできないから私を迎えられない。時間が短い。できない。だからあなたがたは「できないときは方法を変えなさい。」と学んだとおりに霊でしなくてはいけない。霊ですればできる。
今も霊でする人は十分にやっている。あなたがた霊の人が私を悟って感じて見て、霊の耳で聞いて、霊で話し、霊で考え、霊界で自分の状態を見て、啓示者たちを通して私が啓示した御言葉を聴かなくてはいけない。そうして霊が肉よりたくさん分かって、もっと速く、もっと能力があって、もっと知恵深くなって、すべきことだけして、すべきでないことはしてはいけない。
霊が私と対話もし、霊が祈り、霊が私に切実に真実をもって悔い改め、霊が走らなくてはいけない。霊が肉体にさせ、命令し、治めながら走ってこそ、いくばくも残っていない私の再臨を肉も霊も準備して迎える。神霊な人だけが私の再臨を迎える。肉に属した人は熱心にやっても私の再臨を迎えられない。
あの時代のパリサイ人やユダヤ宗教人たちが熱心にしなかったのか。肉で熱心にやった。だから私が見せたが信じなかった。信じないから迎えられなかった。肉に属していたからだ。あの時代に霊に属した人だけが私を迎えた。霊の目を明けなくてはいけない。この時代も霊的な神霊な人だけが私を迎える。
肉ですると遅くて再臨の前に各自すべきことをできないし、準備すべきことを準備できない。肉は時間をあまりにもたくさん使わなくてはいけないからだ。霊ですれば十分にすることができる。肉ですると10倍、20倍時間がもっとかかる。肉が知恵深くて熱心にやっても霊がすることについて行けない。霊が主人になって肉体を運転し指導し教えて、肉体はその言葉通りについて行かなくてはいけない。
祈りも肉ですると長くやってもいくばくもできず、深い祈りをできなくなる。霊ですれば10分、20分、30分、1時間だけやっても一日中した分することになり、深いことを知るようになる。悔い改めも霊でしてこそ根本的にすることになるものだ。
今日の御言葉は実際に二言だ。あなたがたの先生にこのように啓示した。
1、霊的に行くべきであって、肉的に行くと時間が遅れてできない。
2、霊的な人だけが私の再臨を迎える。
あなたがたもこのように話したら根本を悟って分からなくてはいけない。
いつの時代でも霊的な人だけが私の父を迎え、私も迎えて、後悔なく御心を成しながら生きて死んだ。肉体を中心として生きたら千年の倍を生きるとしても天の国の人になることができない。聖霊で生まれ変わってこそ霊の人になる。聖霊で生まれ変わった人も霊を中心として霊を優先に生きてこそ霊の人になる。
しかし霊は後ろに立てて肉が前に行く人たちが多すぎる。霊的な人にならなくてはいけない。神霊で霊的な人になるように祈りなさい。摂理史の特技は霊的なことだ。あなたがたの先生からして霊的なことが特技だ。あなたがたもそうでなくてはいけない。神霊であれば神霊なことを知るようになる。肉に属した人は私と遠い人だ。霊に属した人は私と近い人だ。
肉的に生きた人たちは自分のすべきことをできなくて私と私の父を迎えられずに死んだ。現実もそうだ。今はあなたがたに残った時間さえいくばくも残っていない。あなたがたが霊でしなければ私の再臨を全て用意して迎えるのが不可能だ。
肉の考えで自分の罪を罪と思わず、悔い改めは神様が下さった一つの当然な信仰生活と思って悔い改めない人たちがいる。このように肉の目で見て肉の考えで生きた人は、これまで私イエスが天の御座に気楽に座ってあなたがたのために切実に求めてくれるものとばかり思ったのだろう。だから私の心情を分かるだろうか。
霊に属した神霊な人たちは私の姿を見て、私の心情の対象になり、私の心を受ける人たちは皆同じく私を見て、本に記録し語ったのではないか。私が主人になって話しなさいと言ったのだ。私が心情を焦がして涙を流している姿を言葉で言うからといってできることではない。あなたがたを見つめているが、私が願っていることを知らず、しないから、もどかしくて泣いている。あなたがたが熱心にやっているが、肉でするからやっても私を迎えられないので泣いている。
だから私の心を知っている人を通して私が叫び、今日私の心情のいきさつをあなたがたに話すのだ。
天の愛を知らずに生きていくから広い死亡の道へ行く人たちが多すぎる。彼らを見るのがどんなに辛いから涙ばかり流すのか。私があなたがただけでなく、世の中の全ての人たちを見つめている。私を知らない人は救われない。あなたがたが神霊な霊の体で人々を救わなくてはいけない。
神霊であって、どうか私について知りなさい。あなたがたが聖霊を受けて私の心を知るようになるから声を張り上げて泣き叫んだのではないか。だからと言ってあなたがたが私が見ているものをすべて見たのではない。私の心情を感じて泣いただけだ。神霊な人、霊的な人だけが感じて見て迎えるように、再臨の時もそうだ。再臨の時、私が人間のように肉体で来るだろうか。霊で来る。私を霊で見た人たちが証したのではないか。あなたがたは見ないと信じないのか。あなたがたが霊的であれば全て見ることができるだろうが、見えなければ見た人たちを通して信じるべきではないか。もし、自分が乗る車を誰かが見たけれど、その車が出発したと言うなら、直接見なくても見た人の言葉を信じるべきではないのか。もし信じないで待ち続けるなら、自分だけ損害だろう。
今は私の再臨の準備のためにあなたがたと共に長くいて助けてあげている。私がいつまでこのようにするだろうか。私が前もって啓示者たちとあなたがたの先生を通して話したことを考えなさい。時間がないと言ったのではないか。
今、準備するこの時は、ちょうど結婚を準備するある女性が準備ができずにいるので、新郎が結婚前に来てとても愛しているので助け、準備ができていないのを見てあまりにももどかしくて助けているような時だ。新郎が新婦を助けてあげながら準備させて結婚式の日を少し先に控えて行くのではないか。私もすぐに行くべき時になった。
あなたがたはこれを信じるのか。信じないなら肉的な人だ。霊的な人は私の言葉を信じる人であり、霊の言葉をもらった人の啓示を信じる人だ。私が行って再び来る時は瞬間、全ての行事が終わる。結婚を準備する日は長いが、新郎を迎える日は一日だ。その一日の中でも数時間だ。
今、新婦として準備できて選ばれる人だけ、私が再び来る時も連れて行ってもらえる。残りは新婦と新郎のためにパーティに参加した人たちだ。新婦として準備できていない人は、宴会場の雰囲気と飲食の雰囲気だけ味わって終わることになる。今あなたがたが私の再臨のために準備する新婦たちならば再臨の前から私を迎えるだろう。宴会場には前もって用意できた新婦だけ連れて行くように、再臨の時も準備できた人たちだけ連れて行く。
しかし準備できた人たちよ!本当に時間がない。霊に属した人は今、私の言葉を霊で聞いてこの言葉を信じるだろう。肉に属して肉で聞く人は普通に聞くだろう。だから肉で考え、見て、聞く人は、私の再臨について目を覚ましはしたが、時代は飛ぶように速く進んでいるのに、時間が足りなくて結局できずに終わってしまう。
私が真実をもって言う、今から肉でしないで霊でしなさい。霊でしてこそ各自自分のものを準備して十分に私を迎えることができる。あなたがたは私の再臨を熱心に準備しているが、肉が中心になってしている人が多すぎる。私が摂理の全世界を貫いて見たから分かる。神霊な人だけが私が再臨しても私を見て迎える。霊的な人だけが私を見て迎える。
肉は無益だ。肉の考えは死亡だ。肉が霊の考えを信じてついて行けば命の考えをするようになるだろう。あなたがたは肉であり、私は霊だから、私が話したことを必ず考えなさい。先生がいつも箴言で「私は霊であり、あなたがたは肉だ。」と言ったことを覚えて、私と一つの体になりなさい。「先生が肉なら主は霊でいらっしゃる。旧約は肉であり、新約は霊だ。」と言ったではないか。この全て、私イエスの御言葉だった。私イエスが与えた法だった。
肉に属して肉的なことばかりしないで、霊に属して霊的なことを中心としてやりなさい。その次に肉的なことをするものだ。霊が祈ってこそ深く祈る。私は毎日、毎時間、誰が私にふさわしくしているのか見て、ふさわしければ誰のところにでも行く。私に会うことも知恵が必要だ。あなたがたの先生に会うのも、知恵深くした人は会ったことがなくても会ったのではないか。
愛の功績だ。私が言ったではないか。神様を心と思いと命を尽くして愛しなさい。私が命を尽くしてあなたがたを愛したから、そのようにする人は誰でも私が会ってあげたし、働きかけてあげた。会ってあげたことを尊く思わないならまた肉的に流れて行ったのだ。
誰でも、自分の霊が私を救い主と認め、私が話した御言葉も認めてこそ、認められる。肉は無益だ。肉は摂理を認めても患難が来たり信仰が弱くなると否認して摂理から出て行く。全て霊で認めなくてはいけない。誰でも霊で私を認めない人は私と共にできない。
あなたがたは聖霊を受けて私を主だと認めたのではなかったのか。私の父と聖霊様についても分かって認めたのではなかったのか。なぜそこで終わる人たちが多く、休む人たちが多いのか。休まず聖霊を受けることによって霊的に行った人たちは限りなく行った。
あなたがたに私が話したことを何一つとして聞き流すな。私が話したことを慎んで信じて守る人は、私の国を相続する人であり、私の再臨を迎える人だ。誰かに自分が再臨を迎える人かどうか訊かないで、あなた自ら私の言葉を守りなさい。自分について把握すれば私の再臨を迎える人なのかそうでないのか自ら分かるようになる。
誰でも私イエスとどれだけ近いかによってその運命が左右される。予定が左右される。その人がもらうものが左右される。私を真心で愛する人が私に近く接するだろう。私の心情を分かってその時その時にすぐ気持ちよく行なう人が、私と近いだろう。あなたがたの先生も近くした人にその願いを聞いてあげたのではないか。
どのくらい私があなたがたと近いことを願っているのか分かるか。私の手に届くくらいに近くなくてはいけないし、私が普通の声で話しても聞こえるくらいに近くなくてはいけない。それから私と一体となって、私はその人の中に、その人は私の中で、恋人のように一体にならなくてはいけない。
霊でしなくてはいけない。霊的な人だけが私の再臨を迎える。この二つの御言葉をあなたがたが悟って分かりなさいと今日いろいろと話した。もう分かったか。私の心がすっきりする。私の言葉によってあなたがたが霊の人になることを願い、平安を祈る。ハレルヤ。アァメン。
自分の霊と主と共に霊的にする人は霊に属した人です。霊的にしてこそ不可能な時間にもすることができます。主が模範を見せて証させようとなさることです。このように先生がやってみても霊的に主と共にしてこそできるということです。
明け方の祈りの中で見たことを話してあげます。先生が必ず行くべき所があったのですが、列車に乗って行かなくてはいけない遠い道でした。一時間ほど歩いて行って駅前に行ってみると、私が感じるには列車がすでに出発したようでもあるし、出発していないようにも思いました。「もし列車が出発したなら困るんだけど・・・早く行こう。」と目的地に向かってせっせと歩いて行きました。
長い間歩いてある場所に行ってみると、私が乗ろうとしていた列車が止まっていたので乗り込みましたが、人が一人もいませんでした。列車で赤いランプが点滅していました。列車から降りなさいという信号でした。分かってみると、その列車の終着駅に来たので降りなさいという信号でした。
そこから私が行くべき所がまだかなり残っていたので歩いて行こうとすると、西の山に日が沈むまで三尋くらい残っていました。「行こうか。行くまいか。行く途中で暗くなったらすべきことができないから、行ってみたところで無駄になる。必ず列車に乗って行かなくてはいけなかったのに・・・」と後悔していました。その瞬間、場面が消えました。
列車は霊的なことを意味します。必ず霊的にやってこそ目的地に行くことができるということです。しかし肉的にすべきこともあります。歩いて行った所と歩いて行った道は、肉的にすべきことでした。列車の道がない所は歩いて行かなくてはいけません。最初に列車に乗ろうとして行く時に、肉的に歩いて行ったから、列車が出発したのです。列車で移動すべき所はあまりにも遠い所だったので、必ず列車に乗るべきだったのです。霊的にすべきことは列車と同じです。また主が列車と同じです。自分が霊的であってこそ主と列車に乗ることになります。
今日の御言葉を準備する時に見せて下さったものです。主と共に霊でしなければ残念な結果に終わります。このような啓示をもらって、主が私におっしゃったことを全て人々が分かりやすいように直接詳しく話して下さいと言いました。だから主と共に霊でやって奇跡的に5倍も早く終わったのです。
再臨も霊的に準備してこそ残った時間に全てすることができます。歩いて行くと不可能ですが、車に乗って行けば十分に行くことができるように、今すべて肉ではいくら熱心にやってもできませんが、霊ですれば全てすることができます。聖霊の火を受けて主と共に霊的にしなくてはいけません。
主、神様の恵みと、聖霊の働きと、主キリストの愛と慈悲が、御言葉を聴いて行なう全ての人たちに満ち、みな霊的に生きて霊で働く人たちになることを祝福します。
元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
霊的な人だけ主の再臨を迎える
本文 ローマ人への手紙8:5−11
ハレルヤ!神様の全能な愛と主の平安を祈ります。
今日の聖書の本文の御言葉から始めます。
本文の御言葉に「肉体ですれば絶対にうまくいかない。むしろ死亡だ。」とあります。肉体は肉的にだけ行き、肉的なことだけするようになり、肉的に悟るようになります。だから「肉の思いは死である。」と結論づけました。
肉的な人たちは神様を喜ばせることができないし、いつも損害を与えて心配させます。しかし霊は霊の考えをして神様と主をいつも思います。霊の考えは永遠の命を与えます。肉体は神様の法に屈服しません。しかし霊は神様の法に従順し従います。
使徒パウロは主からこの真理をもらって実践し、そのように生きたので、霊的で信仰的な人になって主がお使いになるのにふさわしい人になったし、偉大な使徒になりました。使徒パウロは毎日自分の肉性を殺して祈り、霊的な人になって主の御心を悟って生きました。偉大な人生を生きました。成功しました。
霊について知らなかったり、霊的な人でなければ、霊の盲人であり、おしであり、耳の聞こえない人です。主が「どうやって盲人が盲人を手引きすることができるのか。盲人が盲人を手引きすればふたりとも落とし穴に落ち込み、何かにぶつかって怪我をしたり死んだりまでする。」とおっしゃいました(マタイ15:14)。
宗教の指導者たちの中で盲人たちは自分を信じてついて来る人たちを間違って導くので地獄に行かせ、自分も地獄に行っています。霊界に行って来た人たちや、地獄に行って来た人たちはみんな知っています。どんな宗教なのか一度考えてみて下さい。主の再臨を前にして霊的な英雄たちと霊的な指導者たちに会わなくてはいけません。会った人は幸せな人です。
肉の考えは死亡であり、霊の考えは生命です。主の考えは霊的なものであり、人間の考えは肉的なものです。神様と主がお使いになる使命者が霊的な人です。霊的な人であればあるほど聖霊の働きを起こして聖霊が充満します。肉的な人は聖霊の働きのおかげで聖霊を受けて暫し霊的に行っても再び肉的に考えて生きるので後には離れて行きます。
神様と主と聖霊様は霊でいらっしゃるから、私たちも霊に属して霊的な人にならなくてはいけません。そうしてこそ神様と主と聖霊様と通じます。人はそれぞれ肉もあり霊もあるから、霊に属して霊が中心になって生きなさいということです。霊は祈ってこそ神霊になります。絶対に主第一主義で生きて主を愛してこそ霊が肉体を主管して霊的な生き方をします。
霊が天の国に行くから霊に気を遣わなくてはいけません。霊を中心にしてこそ肉も霊と一緒に忽然と変化します。肉体の考えと行動が全て霊の考えに変化しなくてはいけません。聖霊を受けると霊的に生まれ変わって霊的な人になります。霊を中心とした人になります。
霊的な人になっても再び肉に属した人になる理由は、霊を中心とせず肉を中心とするから、だんだん肉に属した人になっていくのです。いつも霊を中心として霊に属した生き方をしなくてはいけません。一度得たなら奪われてはいけません。
主が「時間を計算してみると、肉で走れば足りなくて行けない。肉的にはいくら熱心にしても時間が足りない。これからはもっと霊的にすることによってのみすることができる。残った時間を見ると、肉的にすればできないが、霊的にすればできる。肉ですると時間が足りなくてできなくなる。霊的にすることによってのみすることができる。」とおっしゃいました。
主の御言葉を聴きましょう。
肉が見て聞いて考えて熱心に行なうが、今は肉がいくら熱心にやっても私の再臨のためにすべきことを全てすることはできないから私を迎えられない。時間が短い。できない。だからあなたがたは「できないときは方法を変えなさい。」と学んだとおりに霊でしなくてはいけない。霊ですればできる。
今も霊でする人は十分にやっている。あなたがた霊の人が私を悟って感じて見て、霊の耳で聞いて、霊で話し、霊で考え、霊界で自分の状態を見て、啓示者たちを通して私が啓示した御言葉を聴かなくてはいけない。そうして霊が肉よりたくさん分かって、もっと速く、もっと能力があって、もっと知恵深くなって、すべきことだけして、すべきでないことはしてはいけない。
霊が私と対話もし、霊が祈り、霊が私に切実に真実をもって悔い改め、霊が走らなくてはいけない。霊が肉体にさせ、命令し、治めながら走ってこそ、いくばくも残っていない私の再臨を肉も霊も準備して迎える。神霊な人だけが私の再臨を迎える。肉に属した人は熱心にやっても私の再臨を迎えられない。
あの時代のパリサイ人やユダヤ宗教人たちが熱心にしなかったのか。肉で熱心にやった。だから私が見せたが信じなかった。信じないから迎えられなかった。肉に属していたからだ。あの時代に霊に属した人だけが私を迎えた。霊の目を明けなくてはいけない。この時代も霊的な神霊な人だけが私を迎える。
肉ですると遅くて再臨の前に各自すべきことをできないし、準備すべきことを準備できない。肉は時間をあまりにもたくさん使わなくてはいけないからだ。霊ですれば十分にすることができる。肉ですると10倍、20倍時間がもっとかかる。肉が知恵深くて熱心にやっても霊がすることについて行けない。霊が主人になって肉体を運転し指導し教えて、肉体はその言葉通りについて行かなくてはいけない。
祈りも肉ですると長くやってもいくばくもできず、深い祈りをできなくなる。霊ですれば10分、20分、30分、1時間だけやっても一日中した分することになり、深いことを知るようになる。悔い改めも霊でしてこそ根本的にすることになるものだ。
今日の御言葉は実際に二言だ。あなたがたの先生にこのように啓示した。
1、霊的に行くべきであって、肉的に行くと時間が遅れてできない。
2、霊的な人だけが私の再臨を迎える。
あなたがたもこのように話したら根本を悟って分からなくてはいけない。
いつの時代でも霊的な人だけが私の父を迎え、私も迎えて、後悔なく御心を成しながら生きて死んだ。肉体を中心として生きたら千年の倍を生きるとしても天の国の人になることができない。聖霊で生まれ変わってこそ霊の人になる。聖霊で生まれ変わった人も霊を中心として霊を優先に生きてこそ霊の人になる。
しかし霊は後ろに立てて肉が前に行く人たちが多すぎる。霊的な人にならなくてはいけない。神霊で霊的な人になるように祈りなさい。摂理史の特技は霊的なことだ。あなたがたの先生からして霊的なことが特技だ。あなたがたもそうでなくてはいけない。神霊であれば神霊なことを知るようになる。肉に属した人は私と遠い人だ。霊に属した人は私と近い人だ。
肉的に生きた人たちは自分のすべきことをできなくて私と私の父を迎えられずに死んだ。現実もそうだ。今はあなたがたに残った時間さえいくばくも残っていない。あなたがたが霊でしなければ私の再臨を全て用意して迎えるのが不可能だ。
肉の考えで自分の罪を罪と思わず、悔い改めは神様が下さった一つの当然な信仰生活と思って悔い改めない人たちがいる。このように肉の目で見て肉の考えで生きた人は、これまで私イエスが天の御座に気楽に座ってあなたがたのために切実に求めてくれるものとばかり思ったのだろう。だから私の心情を分かるだろうか。
霊に属した神霊な人たちは私の姿を見て、私の心情の対象になり、私の心を受ける人たちは皆同じく私を見て、本に記録し語ったのではないか。私が主人になって話しなさいと言ったのだ。私が心情を焦がして涙を流している姿を言葉で言うからといってできることではない。あなたがたを見つめているが、私が願っていることを知らず、しないから、もどかしくて泣いている。あなたがたが熱心にやっているが、肉でするからやっても私を迎えられないので泣いている。
だから私の心を知っている人を通して私が叫び、今日私の心情のいきさつをあなたがたに話すのだ。
天の愛を知らずに生きていくから広い死亡の道へ行く人たちが多すぎる。彼らを見るのがどんなに辛いから涙ばかり流すのか。私があなたがただけでなく、世の中の全ての人たちを見つめている。私を知らない人は救われない。あなたがたが神霊な霊の体で人々を救わなくてはいけない。
神霊であって、どうか私について知りなさい。あなたがたが聖霊を受けて私の心を知るようになるから声を張り上げて泣き叫んだのではないか。だからと言ってあなたがたが私が見ているものをすべて見たのではない。私の心情を感じて泣いただけだ。神霊な人、霊的な人だけが感じて見て迎えるように、再臨の時もそうだ。再臨の時、私が人間のように肉体で来るだろうか。霊で来る。私を霊で見た人たちが証したのではないか。あなたがたは見ないと信じないのか。あなたがたが霊的であれば全て見ることができるだろうが、見えなければ見た人たちを通して信じるべきではないか。もし、自分が乗る車を誰かが見たけれど、その車が出発したと言うなら、直接見なくても見た人の言葉を信じるべきではないのか。もし信じないで待ち続けるなら、自分だけ損害だろう。
今は私の再臨の準備のためにあなたがたと共に長くいて助けてあげている。私がいつまでこのようにするだろうか。私が前もって啓示者たちとあなたがたの先生を通して話したことを考えなさい。時間がないと言ったのではないか。
今、準備するこの時は、ちょうど結婚を準備するある女性が準備ができずにいるので、新郎が結婚前に来てとても愛しているので助け、準備ができていないのを見てあまりにももどかしくて助けているような時だ。新郎が新婦を助けてあげながら準備させて結婚式の日を少し先に控えて行くのではないか。私もすぐに行くべき時になった。
あなたがたはこれを信じるのか。信じないなら肉的な人だ。霊的な人は私の言葉を信じる人であり、霊の言葉をもらった人の啓示を信じる人だ。私が行って再び来る時は瞬間、全ての行事が終わる。結婚を準備する日は長いが、新郎を迎える日は一日だ。その一日の中でも数時間だ。
今、新婦として準備できて選ばれる人だけ、私が再び来る時も連れて行ってもらえる。残りは新婦と新郎のためにパーティに参加した人たちだ。新婦として準備できていない人は、宴会場の雰囲気と飲食の雰囲気だけ味わって終わることになる。今あなたがたが私の再臨のために準備する新婦たちならば再臨の前から私を迎えるだろう。宴会場には前もって用意できた新婦だけ連れて行くように、再臨の時も準備できた人たちだけ連れて行く。
しかし準備できた人たちよ!本当に時間がない。霊に属した人は今、私の言葉を霊で聞いてこの言葉を信じるだろう。肉に属して肉で聞く人は普通に聞くだろう。だから肉で考え、見て、聞く人は、私の再臨について目を覚ましはしたが、時代は飛ぶように速く進んでいるのに、時間が足りなくて結局できずに終わってしまう。
私が真実をもって言う、今から肉でしないで霊でしなさい。霊でしてこそ各自自分のものを準備して十分に私を迎えることができる。あなたがたは私の再臨を熱心に準備しているが、肉が中心になってしている人が多すぎる。私が摂理の全世界を貫いて見たから分かる。神霊な人だけが私が再臨しても私を見て迎える。霊的な人だけが私を見て迎える。
肉は無益だ。肉の考えは死亡だ。肉が霊の考えを信じてついて行けば命の考えをするようになるだろう。あなたがたは肉であり、私は霊だから、私が話したことを必ず考えなさい。先生がいつも箴言で「私は霊であり、あなたがたは肉だ。」と言ったことを覚えて、私と一つの体になりなさい。「先生が肉なら主は霊でいらっしゃる。旧約は肉であり、新約は霊だ。」と言ったではないか。この全て、私イエスの御言葉だった。私イエスが与えた法だった。
肉に属して肉的なことばかりしないで、霊に属して霊的なことを中心としてやりなさい。その次に肉的なことをするものだ。霊が祈ってこそ深く祈る。私は毎日、毎時間、誰が私にふさわしくしているのか見て、ふさわしければ誰のところにでも行く。私に会うことも知恵が必要だ。あなたがたの先生に会うのも、知恵深くした人は会ったことがなくても会ったのではないか。
愛の功績だ。私が言ったではないか。神様を心と思いと命を尽くして愛しなさい。私が命を尽くしてあなたがたを愛したから、そのようにする人は誰でも私が会ってあげたし、働きかけてあげた。会ってあげたことを尊く思わないならまた肉的に流れて行ったのだ。
誰でも、自分の霊が私を救い主と認め、私が話した御言葉も認めてこそ、認められる。肉は無益だ。肉は摂理を認めても患難が来たり信仰が弱くなると否認して摂理から出て行く。全て霊で認めなくてはいけない。誰でも霊で私を認めない人は私と共にできない。
あなたがたは聖霊を受けて私を主だと認めたのではなかったのか。私の父と聖霊様についても分かって認めたのではなかったのか。なぜそこで終わる人たちが多く、休む人たちが多いのか。休まず聖霊を受けることによって霊的に行った人たちは限りなく行った。
あなたがたに私が話したことを何一つとして聞き流すな。私が話したことを慎んで信じて守る人は、私の国を相続する人であり、私の再臨を迎える人だ。誰かに自分が再臨を迎える人かどうか訊かないで、あなた自ら私の言葉を守りなさい。自分について把握すれば私の再臨を迎える人なのかそうでないのか自ら分かるようになる。
誰でも私イエスとどれだけ近いかによってその運命が左右される。予定が左右される。その人がもらうものが左右される。私を真心で愛する人が私に近く接するだろう。私の心情を分かってその時その時にすぐ気持ちよく行なう人が、私と近いだろう。あなたがたの先生も近くした人にその願いを聞いてあげたのではないか。
どのくらい私があなたがたと近いことを願っているのか分かるか。私の手に届くくらいに近くなくてはいけないし、私が普通の声で話しても聞こえるくらいに近くなくてはいけない。それから私と一体となって、私はその人の中に、その人は私の中で、恋人のように一体にならなくてはいけない。
霊でしなくてはいけない。霊的な人だけが私の再臨を迎える。この二つの御言葉をあなたがたが悟って分かりなさいと今日いろいろと話した。もう分かったか。私の心がすっきりする。私の言葉によってあなたがたが霊の人になることを願い、平安を祈る。ハレルヤ。アァメン。
自分の霊と主と共に霊的にする人は霊に属した人です。霊的にしてこそ不可能な時間にもすることができます。主が模範を見せて証させようとなさることです。このように先生がやってみても霊的に主と共にしてこそできるということです。
明け方の祈りの中で見たことを話してあげます。先生が必ず行くべき所があったのですが、列車に乗って行かなくてはいけない遠い道でした。一時間ほど歩いて行って駅前に行ってみると、私が感じるには列車がすでに出発したようでもあるし、出発していないようにも思いました。「もし列車が出発したなら困るんだけど・・・早く行こう。」と目的地に向かってせっせと歩いて行きました。
長い間歩いてある場所に行ってみると、私が乗ろうとしていた列車が止まっていたので乗り込みましたが、人が一人もいませんでした。列車で赤いランプが点滅していました。列車から降りなさいという信号でした。分かってみると、その列車の終着駅に来たので降りなさいという信号でした。
そこから私が行くべき所がまだかなり残っていたので歩いて行こうとすると、西の山に日が沈むまで三尋くらい残っていました。「行こうか。行くまいか。行く途中で暗くなったらすべきことができないから、行ってみたところで無駄になる。必ず列車に乗って行かなくてはいけなかったのに・・・」と後悔していました。その瞬間、場面が消えました。
列車は霊的なことを意味します。必ず霊的にやってこそ目的地に行くことができるということです。しかし肉的にすべきこともあります。歩いて行った所と歩いて行った道は、肉的にすべきことでした。列車の道がない所は歩いて行かなくてはいけません。最初に列車に乗ろうとして行く時に、肉的に歩いて行ったから、列車が出発したのです。列車で移動すべき所はあまりにも遠い所だったので、必ず列車に乗るべきだったのです。霊的にすべきことは列車と同じです。また主が列車と同じです。自分が霊的であってこそ主と列車に乗ることになります。
今日の御言葉を準備する時に見せて下さったものです。主と共に霊でしなければ残念な結果に終わります。このような啓示をもらって、主が私におっしゃったことを全て人々が分かりやすいように直接詳しく話して下さいと言いました。だから主と共に霊でやって奇跡的に5倍も早く終わったのです。
再臨も霊的に準備してこそ残った時間に全てすることができます。歩いて行くと不可能ですが、車に乗って行けば十分に行くことができるように、今すべて肉ではいくら熱心にやってもできませんが、霊ですれば全てすることができます。聖霊の火を受けて主と共に霊的にしなくてはいけません。
主、神様の恵みと、聖霊の働きと、主キリストの愛と慈悲が、御言葉を聴いて行なう全ての人たちに満ち、みな霊的に生きて霊で働く人たちになることを祝福します。
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