摂理のほんやくコンニャク
世界の摂理は広い!摂理の海外情報を勝手にほんやくするブログです。
CATEGORY : 御言葉
<2009年8月2日 主日の御言葉>
DATE : 2009-08-03-Mon  Trackback 0  Comment 0
神様はふさわしいことだけ聞いて下さる
絶対的であってこそ絶対的だ



本文 詩篇18:25−26


主の平安を祈ります。「絶対的であってこそ絶対的だ。絶対的な人生だ。」主のこの一言の御言葉は「誰でも神様と主の前に絶対的に行なってこそ絶対的に成される。」という御言葉です。
主が「誰でも絶対的な基準を立てなさい。」とおっしゃいました。行なったとおりに与えるという法を定めておかれたので、絶対その行いに従って下さいます。しなければ一万年経ってもできません。だから主は「恋人も、子供も、しもべだという人も、誰でも完全に絶対的に行なってこそ、新婦は新婦の立場で、子供は子供の立場で、しもべはしもべの立場で、彼らに必要なものを絶対的に与える。」とおっしゃいました。

先生はこれまで聖書を基礎に「人間の責任分担」という主の御言葉を悟り、神様が下さる時までずっと求め、絶対的に行なってきました。だから摂理のしるしを起こし、主と同行する人生を生きてきたのです。

絶対的にすれば絶対的な神様が働きかけられます。神様に金を捧げれば金を下さるし、銀を捧げれば銀を下さいます。絶対的です。だから自分が行なったとおりに絶対的にもらうのです。それをもらって困難が訪れたら打ち勝たなくてはいけません。良いものであればより高い次元へと上がって行かなくてはいけません。絶対的にしなければ一生できません。

完全な人に主の完全さを見せて下さいます。自分が完全になってこそ主はやっと主の完全さを見せて下さるということです。完全でなければ完全でないものと対になります。すでに前にも御言葉がたくさん出たでしょう。完全に行なう人には夢にも現にも完全なものを見せて下さるし、霊の世界も完全なものを見せて下さいます。清らかな人には夢の啓示も清らかさで見せて下さいます。

太陽が東側から毎日昇るように、絶対に行えば太陽のように絶対に光を放ちます。十個の中でたった三個を行なうにも絶対に完全に行なって下さい。そうしてこそ三個に該当するものを絶対に得ます。十個を行なっても完全に行なわなければ一つも絶対的に成されません。自分がしていることが完全でなくてはいけません。

主は人間の霊のために私たちをつかんで下さいます。人間が救われなければ結局その霊魂が地獄に行くから、主は私たちの霊を哀れに思われます。霊が救われると永遠に天国で暮らすようになります。人間に霊がなければ主は人間たちにそのようになさいません。

この世で暫し楽に生きるために肉だけに気を遣って生きては、その霊が永遠に苦痛の世界へ行くようになります。自分の肉体は死んで分からないと言いますが、心が肉体から霊体へ行き、肉体が霊体に変化したので、霊が苦痛を受けると自分の肉体が苦痛を受けるのと100分の1も変わりません。

この世で自分ができるのに知らなくてできず、しなくてできないことで地獄に行ったのを霊の体は一点一画も漏れなくはっきりと分かります。霊の体でもこの世で自分の肉体が生きていたことを全て記憶し、自分が幼かった時、若かった時、年をとった時に行なったことをすべて見ながら後悔し、苦痛を受けます。その苦痛を受けるなと、分かっている人は伝道し、教えてあげ、管理してあげ、御言葉を伝えてあげながら正すのです。

主はまるで親が幼い子供に、その子が死の道を行くのを分かって、死のその道を行くなと祈りながら哀願するように、私たちが虚しい滅亡の道、世の中の暗闇の道を行くと、どうかその道へ行かないでくれと懇請なさいます。永遠に滅亡する道へ行った後に初めて泣きながら主を呼んで足掻くことをご存知で、主は行くなと哀願なさいます。

この世でただ見るときは良い道のようだし祝福される道のようですが、絶対に違います。主は分かっておっしゃいます。主がおっしゃっても信じないし通じないから、涙ばかり流されます。霊界の目を開いた人たちは、このような主の姿を見ます。直接その姿を見れない人たちは、主が泣いていらっしゃるのが感じられたし、悟れたと言います。見れなくてもその感じと悟りと霊感が全て合っています。

ある人は、目を閉じていた時に熱いものが前から来たと言いました。その人の前に熱いお湯があったのか、火があったのか、熱いものが来たというその感じが合っています。

主の姿が見えなくても、その声が聞こえなくても「愛している。私があなたをどんなに愛しているのかあなたは分かっていない。」という感じが来たり、悟れたら、その啓示は合っています。

主は見えなくてその声が耳で聞こえませんが、心で感じられ、心で聞こえるだけでも合っています。100分の1の霊感だと言いました。霊感は瞬間によぎります。100分の1くらいの感じが来ますが、それが運命を左右する啓示です。そのときは主か前にいらっしゃっても、遠くにいらっしゃっても、主の心と繋がったときです。


絶対的な悔い改めは絶対的な赦しです。絶対的な平和は絶対的な平和です。絶対的な健康管理は絶対的な健康です。絶対的な純潔は絶対的な天の新婦です。まだ習慣ができていませんが、どんどん絶対的に行なわなくてはいけません。御言葉を聴くときも絶対的に聞いてこそ絶対的に耳に入ってきて心に届きます。

これまでみんな絶対的にやってきました。しなかったからできなかったのです。したのにできなかったことは、まだ時になっていないからであり、主の御心でないからです。私たちが絶対的にしてもそれが成されなければ、私たちに害になることがあったから、主は私たちを愛されるので、それができないようになさり、他のもので祝福して下さいました。

「絶対的」というこの哲学を忘れてはいけません。「絶対的であってこそ絶対的だ。」という御言葉は神様と主の特別啓示だから、一生心に刻んで生きなくてはいけません。

神様と主は「絶対的に行ないなさい。そうすれば絶対的に接してあげる。」とおっしゃいました。絶対的にしなければサタンに引っ張って行かれて損害を被ります。絶対的に行なえば「サタン不可侵」です。神様と主の前に絶対的な生き方が、ただ主と一体となった生き方です。今日からそのように生きてみることを主の御名で祝福します。


今から別の話をします。

私たちが心から多くのことを求め、願い、行なったのに、成されるのを見ると十個のうちで二個、あるいは三個、あるいは一つしか成されません。なぜあれほどにも心からたくさん求めて行なったのに数個、あるいは一つしか成されないのか気になるでしょう。

神様は求めたものがふさわしくてこそ下さるし、求めた人もふさわしくしてこそ下さるし、全ての人たちを見たときにふさわしくてこそ下さるし、神様の前にふさわしくてこそ下さいます。求めたものが小さくても大きくてもふさわしくなかったら下さいませんでした。

イエス様がこの世にいらっしゃったときも神様は主を通して下さいました。ある人は主に会ったとき、自分が盲人だから目をあけさせて下さいと求めました。求めたことがふさわしいから成されるようにして目をあけさせて下さいました。主は求める人たちに「あなたの信仰どおりになりなさい。信仰がどれだけあるのか見よう。あなたの信仰があなたを救う。」とおっしゃいました。体調の悪い人が主に健康を切に求めたとき、ふさわしければ健康にして下さいました。

ある人は兄弟たち同士、土地のことで争っているので、主に公義で分けて下さいと言いました(ルカ12:13)。主はそれがふさわしくないから「私は土地を分けてあげるために来たのではない。人の富は土地や財物にだけあるのではない。」とおっしゃいました。この御言葉は「私を悟ってついて来ながらも富や財物が私にあることを知らないのか。」という意味が大きかったのです。

イエス様がこの世にいらっしゃったときも人々は主にありとあらゆることを訊いてみました。だいたい病気がよくなることを願って病気を治してもらった人がたくさんいました。病気を治して下さいということはふさわしいからたくさん治してもらいました。

病気を治して下さいという祈りはふさわしいから、落胆せずに続けて祈りながら、医学で手をつけるべきことは必ずしなくてはいけません。手術して切ってしまうべきものは切ってしまわなくてはいけません。代替医学と物理治療だけでは絶対的に信じることができません。3分の1も難しいです。祈ってよくなるものは絶対に祈ればいいです。まずふさわしいのか見なくてはいけません。ふさわしくないのに無知でお祈りだけしてはいけません。医学で治療すべきときもいろいろ迅速に調べて判断しなくてはいけません。

今はふさわしければ神様が祈りを聞いて下さると言いました。本当にふさわしいものを求めなくてはいけません。求めてもふさわしいものではないから成されなかったのです。だからあれほどにもたくさん祈っていろいろと切に求めても、神様から見るとふさわしくなくて成されなかったのです。

神様は横のことと縦のことをすべて見て下さいます。地球世界と神様の全てのものを見てバランスが合ってこそ下さいます。時になってこそ下さいます。数百種類、検討してみてふさわしければ下さいます。だから祈ったことが成されたら、宝くじに当たるのと同じです。神様がして下さったことに感謝しなくてはいけません。

必ずふさわしいものが何であるか分かって求めなくてはいけません。求めて行なったのに神様と主が下さらなかったと寂しがるなとおっしゃるのです。ふさわしくない祈りはまるで、電話番号を知らない人が電話番号を押すのと同じです。番号を正しく押してこそ友達や恋人が応答するように、神様にもふさわしいお祈りをしてこそ聞いて下さいます。

ふさわしいお祈りは本当に難しいものです。「伝道します。主のために犠牲になります。忠誠を尽くします。患難と困難を耐え忍びます。平和に暮らします。兄弟に自分のからだのように接しながら暮らします。主の心情を分かって再臨を準備する生活をします。」このようなお祈りを聞いて下さいます。民族のための祈り、兄弟たちのための祈り、命のための祈りをよく聞いて下さいます。聖霊で祈ると感動を下さってふさわしいことが浮かびます。信じますか。

神様は大きなものだからと言って負担になって成して下さらないことはありません。ある人の祈りによって民族の運命が左右されることもあります。子供の祈りによって、その教会を裁くはずだったのに裁かれないときがあります。

全て祈ったけれど神様がご覧になるとふさわしくないから成して下さらなかったということが分かりましたか。あるいはまだ時になっていなくて成して下さっていないということが分かったでしょう。


神様がその事に計画なさったことがあります。それを求めなくてはいけません。先生のために祈っても神様がご覧になってふさわしくてこそ成して下さいます。神様の絶対的な御心があります。これを分かってその方向で祈らなくてはいけません。祈ったのに聞いて下さらなかったものは後で見ると「あ〜だから聞いて下さらなかったんだ。」とはっきりと悟るようになります。

自分が祈ったことを神様が聞いて下さらなかったとしても、その祈りが無駄にならないように別の方向で成して下さいます。信じますか。

今年の修錬会のテーマは「希望を成す歴史」です。希望の主人は「主」でいらっしゃいます。摂理歴史は主が願われる歴史を成しています。

修錬会のときも新しい人たちを伝道してきて人生の夢をおのおの成すようにしなさいと言いました。そしてもう一つは聖霊の働きをして、まだ恵みを受けていない人たちもみんな恵みを満ちるほど受けるように祈って讃美するようにしなさいと言いました。

希望を成す歴史であるということを分かって参加すれば希望が成されます。だから希望を成す歴史だと言ったのです。

本当に時間がありません。先生も特別祈祷の時間に入りました。この貴い時間を摂理全体のために、民族のために使わなくてはいけません。自分が責任を果たせなくて後ろにいる人たちを取りまとめていましたが、主をきちんと迎えられないかと心配になって、今は主に従って前で飛んで行かなくてはいけないから、取り残されている人たちもみんな一緒に飛んで行かなくてはいけません。

「自分が絶対的にやりなさい。」ということをどうして言うのか分かりますか。自分が絶対的に行なう人たちが天国へ向かいます。他の人たちは信じることができないから、自分が必ずしなくてはいけません。自分のことは自分のことだから誰でもできます。

皆さんは一日にごはんを三食絶対的に必ず食べ、一日に三回絶対的に歯を磨き、絶対的に寝るでしょう。他のこともそのようにすれば簡単にできます。

神様ばかり、主ばかり仰いで、全て分かってして下さるだろうと信じる人たちの中に、失敗する人が多いです。してくれないと寂しいと言って信仰生活もしません。自分がしなくてはいけません。自分の生活だから自分がしないといけないのであって、どうして神様がしてくれることばかりを望み、任せてばかりいますか。

全知全能な神様も忙しいのに、自分がすべきこともしないで怠けて任せてばかりいますか。間違った思考を持った人です。先生はそんなふうに摂理歴史を導いてきませんでした。自分がしなくてはいけません。神様がなさることが別にあります。

主は「神様のように完全になりなさい。」と言いました(マタイ5:48)。「完全な者にだけ主の完全さを見せる。」と言いました。先生も私にふさわしい手紙が来てこそ返事をあげるように、神様もふさわしいお祈りにだけ答えを下さいます。

神様の全知全能さと大きな恵みと、主の愛と、聖霊様の熱い働きが、御言葉に従順し不法を行わない人たちに満ちることを祝福します。アァメン。




元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
page top
Copyright © 2005 摂理のほんやくコンニャク. all rights reserved.