主の啓示の御言葉
本文 ルカによる福音書12:42-50、57-59
主、神様の恵みと平安を祈ります。
御言葉は啓示です。啓示を正しく受けるには何度も聖書を読まなくてはいけません。「主はどうして私には啓示を下さらないのか。」と言ってばかりいないで、深く祈らなくてはいけません。数日前、明け方の祈りの中で主がおっしゃるには「聖書を何度も読み、また読めば、聖書に必ず記録すべきことなのに記録できなかったことまでも悟るようになる。」とおっしゃいました。そして「御言葉を覚えても御言葉に関心を持たなければ、ちょうど自分が愛する人を連れて歩きながらも愛して使わないのと同じだ。」とおっしゃいました。
聖書をどれだけたくさん読んだか、数を数えながら読むのが目的ではありません。何度も読めば読むほど深いことを悟ろうとしなくてはいけないし、結局はその御言葉通りに実践することが目的です。砂一粒ほどのものからとても大きな地球や宇宙に至るまで、実践してこそ信じることができます。
主は「実践者は偉大だ。」とおっしゃいました。実践する人は以前より成長しています。だから実践する人のことが分かります。
よく人々は自分が好きなことを散々やっておいて、散々苦労した後になってやっと主の御言葉が正しいということを悟ってから、その時から分かって実践し、悔い改めて、残りの人生を主の御心通りに生きます。だから気をつけてうまくやらなくてはいけません。
今この時間も神様と主が啓示なさる御言葉を記録して送って叫ばせています。先生を通して主が啓示しておっしゃったことを壇上で叫ばせ、主はその啓示の御言葉をよく聴いているか眺めていらっしゃいます。天使たちは聴く人たちの心まですべての状況を記録しています。皆さん個人にそれぞれついて回る天使がすべての状況をまるでビデオに録画するように精密に記録しています。しばらくして礼拝が終わると天使たちが記録したことを全て天の国に持って行って神様に報告します。ある人は、多くの人々のことを神様がすべて見ることができるのかと言います。いらぬ心配をします。霊的に見ると、天の国の一日は人間の国の千年です。このように差があるから地球上68億人の状況をいっぺんに報告しても天の国では瞬間に処理されます。
先におっしゃったとおり、主の啓示は主日の御言葉と水曜の御言葉と明け方の御言葉に出て行きます。そして平素に皆さんが聖書を読む時に悟らせ、生活の中で万物で啓示なさり、自分が経験するときに自ら悟らせ、夢で啓示したりもなさるし、時には兄弟たちを通しても啓示なさり、啓示を受ける人たちを通して啓示なさり、リバイバル講師を通して啓示なさり、聖霊で悟るように感動させて啓示なさいます。
啓示を受ける人たちは、受けても自分自らの心にあることが悟られることなのか、悪魔が啓示することなのか、悪霊が啓示することなのか、主が啓示なさることなのかと恐れ心配します。聞いてみれば普遍的に分かるようになります。行ってみれば分かるようになります。最後まで行ってみればサタンの啓示なのか、主の啓示なのか分かるようになります。
道を行くときも、自分が行く道が合っているのか、最後まで行ってみれば結局わかるようになります。これと同じく最後まで行ってみれば真の啓示なのか、偽の啓示なのか分かるようになります。しかしそれまで啓示を間違って受けて、間違って認識して行なったことが問題です。
今から啓示について悟れるようにしばらく御言葉を伝えてあげましょう。
主は啓示を受ける人たちをずっと前から誰にも知られないようにそれなりに錬達させられました。啓示を受ける人たちは啓示を受けるまで苦痛と苦しみとあらゆる逆境を味わっていきさつが非常にたくさんあります。その苦痛を聞いてみると「ああ!だから主はあの人にあのような啓示を下さったんだ。」と思うようになります。
先生も主の啓示を受けるには平素より肉体の苦痛が大きくなります。どれだけさらに条件を立て、どれだけさらに困難に遭わなくてはならないか、皆さんは分からないでしょう。サタンがひどく苦しめ妨害するので戦って打ち勝たなくてはいけません。また受けた啓示を伝えなくてはいけません。
主が皆さんにいろいろと啓示して下さることを悟って、今日も主日の壇上で出る啓示の御言葉をよく聴いて悟って実践しなくてはいけません。
特別に壇上で叫ぶリバイバル講師たちと、啓示を受ける人たちのためにお祈りをたくさんしてあげなくてはいけません。リバイバル講師と啓示を受ける人は、その人に合う使命を与えるために主がお育てになりました。突然使命を与えて叫ばせたように思えますが、全くそうではありません。それまでいろいろいきさつと事情を経験しました。リバイバル講師や啓示を受ける人たちだけでなく、主がお使いになる人たちも皆同じです。
啓示を受ける人たちは主から啓示を受けながら、前から主が自分に対してそのように働きかけてこられたことを悟るようになります。それに従って主が話して下さるので、特別に啓示を受ける人だけ分かるようになります。他の人たちは経験していないから分かりません。リバイバル講師もそうです。
啓示を受けるとすべきことがたくさんあります。その啓示を伝えると、聴く人たちが皆「主よ!」と言って受け入れるわけではないから、その御言葉通りに簡単に成されるわけではありません。それに伴う苦痛があり、混沌に陥るようになったりもします。主が啓示なさっても現実にはその御言葉通りに成されなかったりもします。だから「この啓示は合っているのか。」と考えるようになります。
啓示を受ける人だけでなく、主の仕事をする人たちは皆同じです。祈るときはよく答えを受けたのに、現実にはそのとおりに成されないときがあります。だから「無駄な啓示、無駄な答えをもらったのか。」と疑ったりもします。
啓示を受けてお祈りの答えを受けたからと言って全て成されるのではありません。主も栄光の主として来られたけれど、世の中が邪悪で受け入れなくて十字架を負ったように、うまくいくと答えをもらっても、人々が受け入れず責任を果たせないことによって難しくなったりもします。だから自分も辛くて責任を果たせず、思うようにいかないときがあります。
啓示を間違って受けて成されなかったのではありません。もちろんある人は啓示を間違って受けて成されないこともあります。これをよく見分けなくてはいけません。誰でも生活の中で、夢の中で、大なり小なり啓示を受けるから、よく見分けなくてはいけません。啓示を解く方法を知らなくてはいけません。
1、サタンと悪霊は正しいことを言っているようでも100%正しい話はできません。よくサタンと悪霊は兄弟を指摘します。主の前に罪のない人はいないから、主の御名を出して罪を指摘するとうなずかざるを得ません。そしてサタンは分けて引き裂く話をします。そして人の弱点を引っ張り出して話すから「現実もそうだから主の啓示が当たっているなあ。」と思うようになります。しかし神様の御言葉の原本である聖書を見ると、そうではありません。神様の御言葉は「赦しと容認」です。聖書どおりに啓示するなら合っています。
サタンと悪霊たちは自分の方法でするから詳しく見れば結局分かります。矛盾がある啓示を見ると、平素自分の心にあることなのに、啓示を受けたと思います。あるいはサタンと悪霊たちから受けたためです。啓示は主が下さいますが、条件が生じ、隙があると、サタンと悪霊も与えます。また自分自ら心に考えたことを話して啓示だと言ったりもします。
啓示を受けるときは主の啓示とサタンの啓示をいつも念頭に置き、お祈りをたくさんしてサタンと悪魔を追い払わなくてはいけません。人がつばを吐いてみるとたんも混じって出てくるから区分しなくてはいけません。主の啓示が自分の考えと混じって出て来るのかよく見なくてはいけません。
2、その次に考えるべきことは、主はおひとりでいらっしゃるのに、ここでこの人に啓示したことと、あそこであの人に啓示したことが合わなかったときは、自ら自分の考えが先立って話したことだったり、そうでなければあるいはサタンや悪魔が隙につけ込んで与えた啓示だったり、一方の啓示に問題があるということです。
聖霊の恵みの働きをはじめると、恵みが自動的についてくるから勤しんで恵みと賜物を受けなくてはいけません。一つ一つ御言葉で教えてあげてこそ、各自見分けるべきことは見分けるから、話してあげるのです。啓示を受けても合っているものがあるし、間違ったものもあるし、度が過ぎて混乱することもあるから、こういう啓示は必ず節制しなくてはいけません。だから教役者たちが必ず把握してあげなくてはいけません。
ある人は、自分は主から啓示を受けているからタッチするなと言ったりもします。主から啓示を受けたらみんな聞いて恵みを受けるから良いのですが、もしかしてサタンから間違った啓示を受けるかと心配になります。だから東西南北から多角的に確認して矛盾がなくて初めてみんな一緒に聞いて一緒に主の御心を広げていくようになります。間違って受けた啓示を信じてついて行くと皆サタンの誘惑に陥ることになります。だからよく把握しなくてはいけません。
啓示を受けると自分ひとりだけ分かっているべき、自分だけに該当する啓示があります。そして全体に該当する啓示があります。全体に該当する啓示は自分ひとりだけのために与える啓示ではないから、手順を踏んで確認してもらって早く伝えてすべての人たちに知らせてあげなくてはいけません。
人間同士互いに言葉をやり取りすることも人間の中のひとつの啓示です。人の言葉もうまく受け取ってこそ思考が悪くなりません。言葉の啓示を間違って受けると思考が悪くなります。正しい話だと思って、主の御心だと思って先生の名前で話を伝える人たちもいます。絶対に先生の話なのか確認しなくてはいけません。
内容を見れば主の啓示なのか、違うのか、よりはっきりと見分けることができます。悪魔が主をよく信じて伝道をたくさんしなさいと言うでしょうか。平和にしなさい、あなたがたの罪を悔い改めなさい、悔い改めないと悪魔に従って地獄に行く、と言うでしょうか。主だから再臨を準備しなさい、悔い改めなさい、仲睦まじくしなさいと言うのです。
これから外れて全体の雰囲気を濁らせるとか、分かれ争わせるとか、恐れと恐怖を与えるとか、言葉で命令をするとか、武力ですることは全て検討しなくてはいけません。啓示に自分の性格が表れます。主は謙遜でいらっしゃり、義理があり、公平で義理がたいです。平安に啓示して下さいます。そしていつも矛盾なく理致に合う御言葉をなさいます。全ての人たちがいろいろな方法を通して啓示を聞くから、矛盾があるのかないのかよく分かるようになります。だから主は啓示を統制なさいます。
啓示も自分中心になると間違って受ける部分が生じるようになります。啓示を受けて話すからと言って話す人について行ってはいけません。主について行かなくてはいけません。そうすれば騙されません。誰が啓示の言葉を伝えても、啓示を受ける人について行ってはいけません。ひたすら主にしたがって、さらによくやって、その御言葉通りにすればいいです。啓示を受ける人が自分について来なさいと言うなら、それは間違った人です。啓示を受ける人もただ主について行かなくてはいけません。
サタンはほとんど99%変装をします。御言葉を見て見分けなくてはいけません。サタンは結局自分たちの国サタン国へ引っ張って行きます。最初は正しい道へ行くようであっても結局別の道へ行きます。だから分かるようになります。
啓示を受ける人たちがいてとても良いですが、絶対に無秩序にしてはいけません。主が先生に、主が下さった啓示ではないと言ったものが何種類かあります。主がおっしゃったことに合わなければ主の啓示ではないから、すぐに全体に広告されるでしょう。
3、主が啓示して下さることを受けることばかり楽しんで心を傾けないで、彼らが完全な啓示を受けるように主に祈ってあげ、サタンと悪霊が侵犯できないようにしっかり祈ってあげなくてはいけません。
聖霊集会に参加して恵みを受けようとばかりしないで、リバイバル講師のために必ず祈ってあげなくてはいけません。主が聖霊と共に恵みを注いで下さるように、リバイバル講師のために祈ってあげなくてはいけません。そうしてこそ健康的に能力を発揮することができます。霊力を下さいと祈ってあげなくてはいけません。
そして教会の教役者たちのためにいつも祈ってあげなくてはいけません。
4、主はある一人の人だけでなく、個性どおりに各肢体にその使命に従って啓示を与えなくてはならないので、多くの人に啓示なさいます。主に訊いてみると主は「これは啓示したが、あれはしていない。」とおっしゃいます。分かってみるとサタンが誘惑したりもするし、自分の霊が自ら啓示したりもするし、自分の考えなのに啓示だと言ったものであると分かります。
5、主の啓示を受けた人たちは皆その内容を確認した後に叫ばせようと、送ってきたものを確認しています。続けて精密に報告して下さい。啓示を受けたことやある問題について報告したのに返事が来ないからといって「たいしたものではないから返事が来ないのか。別の人が報告して処理されたのか。」と言わないで、返事が来るときまで報告しなくてはいけません。そうしてこそ答えをもらいます。
お祈りも同じです。一度、二度、一週間、あるいは一ヶ月ずつ切に求めなくてはいけません。一度手紙を書いて返事をもらうことを願う人は、薄っぺらな心を持った人です。そういう精神と忍耐と常識で天国の救いを成すことができるでしょうか。300通の手紙を書いたのに先生の返事をもらえなかった人もいます。主は結局その人を先生の仕事を助けながら数ヶ月間一緒にいるようにして下さいました。男性です。
霊界はあまりにも膨大でものすごいところなので想像することができません。主の心も想像することができないほど広く多様です。
主の御言葉を聴いてみましょうか。
主は「祈りを深くしてこそさらに霊界に入って行って私の啓示を分かるようになる。心配しないで祈りを深くしなさい。」とおっしゃいました。
主が啓示なさると、シスター・アンナを守って下さったように、主は御言葉でいつも守って下さり、天使を通して守って下さいます。先生も守ってよく見て分析してあげます。主は先生に、誰に啓示を与えたと話して下さいます。ある人が啓示を受けたのを見ると自分の霊の話も混じっているし、主の啓示も混じっています。神様も啓示なさいます。三位の神様でいらっしゃり、神様の霊を注いで下さったから、神様の霊が啓示なさることもあります。
主は切実に祈る人たちに静かに隠密に悟るようにその心の中に啓示して下さいます。過去にこれまでいつも教えてあげたことを悟らなくてはいけません。主が語られると私たちの心にその御言葉が悟りとして聞こえると言いました。摂理歴史の過去30年間、主は先生を通して耳が広くなるように語られ、教えて下さいました。これを皆深く悟って理解しようとしないから分からずに育ったのです。本当に悟ることを願います。
主はご自身の御心を目的として来られ、近く接して下さり、恵みを下さり、愛して下さり、聖霊の働きを起こして下さっています。その目的は再臨の目的です。ただ再臨を目的として働きかけて下さっています。悔い改めさせ、赦して下さり、聖霊の熱い火を受けさせて下さり、あらゆる恵みを下さって啓示して下さっています。
ところが人々は終末に恵みを下さる主の目的と心情を分かっていません。本当に分かって、主をやきもきさせないようにしなくてはいけません。今は恵みの干ばつの時です。このように聖霊の働きを起こして下さる時ではありません。一人の男性が一人の女性を愛して、愛のためにそのようにしているのです。この不景気の時に愛でなければそのように注いでくれません。主もただ再臨のためにこの恵みの不景気の時に聖霊の働きを起こされるのです。だから本当に貴い時です。
主が恵みを下さるから受けて悔い改めてきれいにし、主の愛を受けて愛の新婦になりなさいということです。ところが恵みを受けて精神が生きて勇気を出し、他のことをする人たちがいます。落とし穴に落ちて死ぬ人を生かしてあげると、自分の行く道ばかり行くのです。だから本当に腹が立ちます。これから落とし穴に落ちたら見向きもしないように考えが変わります。あまりにも無情な人たちが摂理にたくさんいます。死ぬ人を生かしてあげたのに世の中に向かって肉的なことに溺れて生きてはいけません。
主は啓示を受ける人たちを通して心情をお話しになり、叫ぶ人たちを通してその考えと心情を熱く叫ばせていらっしゃいます。結局主が再臨することを悟って悔い改めきれいにして迎えなさいということです。迎えたら主の愛を悟るようになり、主がこの時代に行なわれることに従ってするようになります。
前にもなかったし後にもない、本当に驚くべき患難と災難が地球上に迫る前に、主は再臨の準備を完全にしなさいとおっしゃいます。再臨の準備を完全にして患難を避け、主を迎えて一緒に行こうということです。主は心情が痛んで、啓示する人たちによって啓示なさり、叫ぶ人たちによって叫ばれるから、本当に他のことを考えてはいけません。ひたすら主を迎えて一体とならせるためです。
用意する時に主を迎えられなければ、主が本当に再臨なさるときに迎えられません。用意するときにほとんど決定するのです。「過程の中で私を迎える人が再臨のときも私を迎える。」と言ったでしょう。だから主はこれまで準備した人たちをすべて動員して啓示もなさり、叫ばせもなさるのです。先生には緊張しながら全体を鋭く見るように、主の御心通りにこのようにさせたりもなさいました。
恵みを受けても、聖霊の火を受けても、ただ信仰生活をよくさせるために下さったと思って生きる人たちがまだたくさんいます。主の新婦として完全に準備し、主が願われることを分かって接しながら、主と一体となって生きなさいと、恵みと聖霊の賜物を下さったことを知らなくてはいけません。そうでなければそれを主が願われるとおりに使うことができず、もったいなく終わるようになります。主が願われるとおりにしてこそさらに続けて働きかけられます。
啓示を受けた人たちも、啓示を伝えるときに主の心に合わせてその心情を込めて伝えなくてはいけません。深刻に、精密に、あるいは緊迫して、恐れとおののきで、真摯に、時には穏やかに、時には強く伝えなくてはいけません。聞く人たちも同じです。よく聞いて従順し、光を放たなくてはいけません。
聖父、神様の全知全能さと、聖子イエス様の愛と、聖霊様の感動、感化と熱い働きが満ちることを祝福します。アァメン。
元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
本文 ルカによる福音書12:42-50、57-59
主、神様の恵みと平安を祈ります。
御言葉は啓示です。啓示を正しく受けるには何度も聖書を読まなくてはいけません。「主はどうして私には啓示を下さらないのか。」と言ってばかりいないで、深く祈らなくてはいけません。数日前、明け方の祈りの中で主がおっしゃるには「聖書を何度も読み、また読めば、聖書に必ず記録すべきことなのに記録できなかったことまでも悟るようになる。」とおっしゃいました。そして「御言葉を覚えても御言葉に関心を持たなければ、ちょうど自分が愛する人を連れて歩きながらも愛して使わないのと同じだ。」とおっしゃいました。
聖書をどれだけたくさん読んだか、数を数えながら読むのが目的ではありません。何度も読めば読むほど深いことを悟ろうとしなくてはいけないし、結局はその御言葉通りに実践することが目的です。砂一粒ほどのものからとても大きな地球や宇宙に至るまで、実践してこそ信じることができます。
主は「実践者は偉大だ。」とおっしゃいました。実践する人は以前より成長しています。だから実践する人のことが分かります。
よく人々は自分が好きなことを散々やっておいて、散々苦労した後になってやっと主の御言葉が正しいということを悟ってから、その時から分かって実践し、悔い改めて、残りの人生を主の御心通りに生きます。だから気をつけてうまくやらなくてはいけません。
今この時間も神様と主が啓示なさる御言葉を記録して送って叫ばせています。先生を通して主が啓示しておっしゃったことを壇上で叫ばせ、主はその啓示の御言葉をよく聴いているか眺めていらっしゃいます。天使たちは聴く人たちの心まですべての状況を記録しています。皆さん個人にそれぞれついて回る天使がすべての状況をまるでビデオに録画するように精密に記録しています。しばらくして礼拝が終わると天使たちが記録したことを全て天の国に持って行って神様に報告します。ある人は、多くの人々のことを神様がすべて見ることができるのかと言います。いらぬ心配をします。霊的に見ると、天の国の一日は人間の国の千年です。このように差があるから地球上68億人の状況をいっぺんに報告しても天の国では瞬間に処理されます。
先におっしゃったとおり、主の啓示は主日の御言葉と水曜の御言葉と明け方の御言葉に出て行きます。そして平素に皆さんが聖書を読む時に悟らせ、生活の中で万物で啓示なさり、自分が経験するときに自ら悟らせ、夢で啓示したりもなさるし、時には兄弟たちを通しても啓示なさり、啓示を受ける人たちを通して啓示なさり、リバイバル講師を通して啓示なさり、聖霊で悟るように感動させて啓示なさいます。
啓示を受ける人たちは、受けても自分自らの心にあることが悟られることなのか、悪魔が啓示することなのか、悪霊が啓示することなのか、主が啓示なさることなのかと恐れ心配します。聞いてみれば普遍的に分かるようになります。行ってみれば分かるようになります。最後まで行ってみればサタンの啓示なのか、主の啓示なのか分かるようになります。
道を行くときも、自分が行く道が合っているのか、最後まで行ってみれば結局わかるようになります。これと同じく最後まで行ってみれば真の啓示なのか、偽の啓示なのか分かるようになります。しかしそれまで啓示を間違って受けて、間違って認識して行なったことが問題です。
今から啓示について悟れるようにしばらく御言葉を伝えてあげましょう。
主は啓示を受ける人たちをずっと前から誰にも知られないようにそれなりに錬達させられました。啓示を受ける人たちは啓示を受けるまで苦痛と苦しみとあらゆる逆境を味わっていきさつが非常にたくさんあります。その苦痛を聞いてみると「ああ!だから主はあの人にあのような啓示を下さったんだ。」と思うようになります。
先生も主の啓示を受けるには平素より肉体の苦痛が大きくなります。どれだけさらに条件を立て、どれだけさらに困難に遭わなくてはならないか、皆さんは分からないでしょう。サタンがひどく苦しめ妨害するので戦って打ち勝たなくてはいけません。また受けた啓示を伝えなくてはいけません。
主が皆さんにいろいろと啓示して下さることを悟って、今日も主日の壇上で出る啓示の御言葉をよく聴いて悟って実践しなくてはいけません。
特別に壇上で叫ぶリバイバル講師たちと、啓示を受ける人たちのためにお祈りをたくさんしてあげなくてはいけません。リバイバル講師と啓示を受ける人は、その人に合う使命を与えるために主がお育てになりました。突然使命を与えて叫ばせたように思えますが、全くそうではありません。それまでいろいろいきさつと事情を経験しました。リバイバル講師や啓示を受ける人たちだけでなく、主がお使いになる人たちも皆同じです。
啓示を受ける人たちは主から啓示を受けながら、前から主が自分に対してそのように働きかけてこられたことを悟るようになります。それに従って主が話して下さるので、特別に啓示を受ける人だけ分かるようになります。他の人たちは経験していないから分かりません。リバイバル講師もそうです。
啓示を受けるとすべきことがたくさんあります。その啓示を伝えると、聴く人たちが皆「主よ!」と言って受け入れるわけではないから、その御言葉通りに簡単に成されるわけではありません。それに伴う苦痛があり、混沌に陥るようになったりもします。主が啓示なさっても現実にはその御言葉通りに成されなかったりもします。だから「この啓示は合っているのか。」と考えるようになります。
啓示を受ける人だけでなく、主の仕事をする人たちは皆同じです。祈るときはよく答えを受けたのに、現実にはそのとおりに成されないときがあります。だから「無駄な啓示、無駄な答えをもらったのか。」と疑ったりもします。
啓示を受けてお祈りの答えを受けたからと言って全て成されるのではありません。主も栄光の主として来られたけれど、世の中が邪悪で受け入れなくて十字架を負ったように、うまくいくと答えをもらっても、人々が受け入れず責任を果たせないことによって難しくなったりもします。だから自分も辛くて責任を果たせず、思うようにいかないときがあります。
啓示を間違って受けて成されなかったのではありません。もちろんある人は啓示を間違って受けて成されないこともあります。これをよく見分けなくてはいけません。誰でも生活の中で、夢の中で、大なり小なり啓示を受けるから、よく見分けなくてはいけません。啓示を解く方法を知らなくてはいけません。
1、サタンと悪霊は正しいことを言っているようでも100%正しい話はできません。よくサタンと悪霊は兄弟を指摘します。主の前に罪のない人はいないから、主の御名を出して罪を指摘するとうなずかざるを得ません。そしてサタンは分けて引き裂く話をします。そして人の弱点を引っ張り出して話すから「現実もそうだから主の啓示が当たっているなあ。」と思うようになります。しかし神様の御言葉の原本である聖書を見ると、そうではありません。神様の御言葉は「赦しと容認」です。聖書どおりに啓示するなら合っています。
サタンと悪霊たちは自分の方法でするから詳しく見れば結局分かります。矛盾がある啓示を見ると、平素自分の心にあることなのに、啓示を受けたと思います。あるいはサタンと悪霊たちから受けたためです。啓示は主が下さいますが、条件が生じ、隙があると、サタンと悪霊も与えます。また自分自ら心に考えたことを話して啓示だと言ったりもします。
啓示を受けるときは主の啓示とサタンの啓示をいつも念頭に置き、お祈りをたくさんしてサタンと悪魔を追い払わなくてはいけません。人がつばを吐いてみるとたんも混じって出てくるから区分しなくてはいけません。主の啓示が自分の考えと混じって出て来るのかよく見なくてはいけません。
2、その次に考えるべきことは、主はおひとりでいらっしゃるのに、ここでこの人に啓示したことと、あそこであの人に啓示したことが合わなかったときは、自ら自分の考えが先立って話したことだったり、そうでなければあるいはサタンや悪魔が隙につけ込んで与えた啓示だったり、一方の啓示に問題があるということです。
聖霊の恵みの働きをはじめると、恵みが自動的についてくるから勤しんで恵みと賜物を受けなくてはいけません。一つ一つ御言葉で教えてあげてこそ、各自見分けるべきことは見分けるから、話してあげるのです。啓示を受けても合っているものがあるし、間違ったものもあるし、度が過ぎて混乱することもあるから、こういう啓示は必ず節制しなくてはいけません。だから教役者たちが必ず把握してあげなくてはいけません。
ある人は、自分は主から啓示を受けているからタッチするなと言ったりもします。主から啓示を受けたらみんな聞いて恵みを受けるから良いのですが、もしかしてサタンから間違った啓示を受けるかと心配になります。だから東西南北から多角的に確認して矛盾がなくて初めてみんな一緒に聞いて一緒に主の御心を広げていくようになります。間違って受けた啓示を信じてついて行くと皆サタンの誘惑に陥ることになります。だからよく把握しなくてはいけません。
啓示を受けると自分ひとりだけ分かっているべき、自分だけに該当する啓示があります。そして全体に該当する啓示があります。全体に該当する啓示は自分ひとりだけのために与える啓示ではないから、手順を踏んで確認してもらって早く伝えてすべての人たちに知らせてあげなくてはいけません。
人間同士互いに言葉をやり取りすることも人間の中のひとつの啓示です。人の言葉もうまく受け取ってこそ思考が悪くなりません。言葉の啓示を間違って受けると思考が悪くなります。正しい話だと思って、主の御心だと思って先生の名前で話を伝える人たちもいます。絶対に先生の話なのか確認しなくてはいけません。
内容を見れば主の啓示なのか、違うのか、よりはっきりと見分けることができます。悪魔が主をよく信じて伝道をたくさんしなさいと言うでしょうか。平和にしなさい、あなたがたの罪を悔い改めなさい、悔い改めないと悪魔に従って地獄に行く、と言うでしょうか。主だから再臨を準備しなさい、悔い改めなさい、仲睦まじくしなさいと言うのです。
これから外れて全体の雰囲気を濁らせるとか、分かれ争わせるとか、恐れと恐怖を与えるとか、言葉で命令をするとか、武力ですることは全て検討しなくてはいけません。啓示に自分の性格が表れます。主は謙遜でいらっしゃり、義理があり、公平で義理がたいです。平安に啓示して下さいます。そしていつも矛盾なく理致に合う御言葉をなさいます。全ての人たちがいろいろな方法を通して啓示を聞くから、矛盾があるのかないのかよく分かるようになります。だから主は啓示を統制なさいます。
啓示も自分中心になると間違って受ける部分が生じるようになります。啓示を受けて話すからと言って話す人について行ってはいけません。主について行かなくてはいけません。そうすれば騙されません。誰が啓示の言葉を伝えても、啓示を受ける人について行ってはいけません。ひたすら主にしたがって、さらによくやって、その御言葉通りにすればいいです。啓示を受ける人が自分について来なさいと言うなら、それは間違った人です。啓示を受ける人もただ主について行かなくてはいけません。
サタンはほとんど99%変装をします。御言葉を見て見分けなくてはいけません。サタンは結局自分たちの国サタン国へ引っ張って行きます。最初は正しい道へ行くようであっても結局別の道へ行きます。だから分かるようになります。
啓示を受ける人たちがいてとても良いですが、絶対に無秩序にしてはいけません。主が先生に、主が下さった啓示ではないと言ったものが何種類かあります。主がおっしゃったことに合わなければ主の啓示ではないから、すぐに全体に広告されるでしょう。
3、主が啓示して下さることを受けることばかり楽しんで心を傾けないで、彼らが完全な啓示を受けるように主に祈ってあげ、サタンと悪霊が侵犯できないようにしっかり祈ってあげなくてはいけません。
聖霊集会に参加して恵みを受けようとばかりしないで、リバイバル講師のために必ず祈ってあげなくてはいけません。主が聖霊と共に恵みを注いで下さるように、リバイバル講師のために祈ってあげなくてはいけません。そうしてこそ健康的に能力を発揮することができます。霊力を下さいと祈ってあげなくてはいけません。
そして教会の教役者たちのためにいつも祈ってあげなくてはいけません。
4、主はある一人の人だけでなく、個性どおりに各肢体にその使命に従って啓示を与えなくてはならないので、多くの人に啓示なさいます。主に訊いてみると主は「これは啓示したが、あれはしていない。」とおっしゃいます。分かってみるとサタンが誘惑したりもするし、自分の霊が自ら啓示したりもするし、自分の考えなのに啓示だと言ったものであると分かります。
5、主の啓示を受けた人たちは皆その内容を確認した後に叫ばせようと、送ってきたものを確認しています。続けて精密に報告して下さい。啓示を受けたことやある問題について報告したのに返事が来ないからといって「たいしたものではないから返事が来ないのか。別の人が報告して処理されたのか。」と言わないで、返事が来るときまで報告しなくてはいけません。そうしてこそ答えをもらいます。
お祈りも同じです。一度、二度、一週間、あるいは一ヶ月ずつ切に求めなくてはいけません。一度手紙を書いて返事をもらうことを願う人は、薄っぺらな心を持った人です。そういう精神と忍耐と常識で天国の救いを成すことができるでしょうか。300通の手紙を書いたのに先生の返事をもらえなかった人もいます。主は結局その人を先生の仕事を助けながら数ヶ月間一緒にいるようにして下さいました。男性です。
霊界はあまりにも膨大でものすごいところなので想像することができません。主の心も想像することができないほど広く多様です。
主の御言葉を聴いてみましょうか。
主は「祈りを深くしてこそさらに霊界に入って行って私の啓示を分かるようになる。心配しないで祈りを深くしなさい。」とおっしゃいました。
主が啓示なさると、シスター・アンナを守って下さったように、主は御言葉でいつも守って下さり、天使を通して守って下さいます。先生も守ってよく見て分析してあげます。主は先生に、誰に啓示を与えたと話して下さいます。ある人が啓示を受けたのを見ると自分の霊の話も混じっているし、主の啓示も混じっています。神様も啓示なさいます。三位の神様でいらっしゃり、神様の霊を注いで下さったから、神様の霊が啓示なさることもあります。
主は切実に祈る人たちに静かに隠密に悟るようにその心の中に啓示して下さいます。過去にこれまでいつも教えてあげたことを悟らなくてはいけません。主が語られると私たちの心にその御言葉が悟りとして聞こえると言いました。摂理歴史の過去30年間、主は先生を通して耳が広くなるように語られ、教えて下さいました。これを皆深く悟って理解しようとしないから分からずに育ったのです。本当に悟ることを願います。
主はご自身の御心を目的として来られ、近く接して下さり、恵みを下さり、愛して下さり、聖霊の働きを起こして下さっています。その目的は再臨の目的です。ただ再臨を目的として働きかけて下さっています。悔い改めさせ、赦して下さり、聖霊の熱い火を受けさせて下さり、あらゆる恵みを下さって啓示して下さっています。
ところが人々は終末に恵みを下さる主の目的と心情を分かっていません。本当に分かって、主をやきもきさせないようにしなくてはいけません。今は恵みの干ばつの時です。このように聖霊の働きを起こして下さる時ではありません。一人の男性が一人の女性を愛して、愛のためにそのようにしているのです。この不景気の時に愛でなければそのように注いでくれません。主もただ再臨のためにこの恵みの不景気の時に聖霊の働きを起こされるのです。だから本当に貴い時です。
主が恵みを下さるから受けて悔い改めてきれいにし、主の愛を受けて愛の新婦になりなさいということです。ところが恵みを受けて精神が生きて勇気を出し、他のことをする人たちがいます。落とし穴に落ちて死ぬ人を生かしてあげると、自分の行く道ばかり行くのです。だから本当に腹が立ちます。これから落とし穴に落ちたら見向きもしないように考えが変わります。あまりにも無情な人たちが摂理にたくさんいます。死ぬ人を生かしてあげたのに世の中に向かって肉的なことに溺れて生きてはいけません。
主は啓示を受ける人たちを通して心情をお話しになり、叫ぶ人たちを通してその考えと心情を熱く叫ばせていらっしゃいます。結局主が再臨することを悟って悔い改めきれいにして迎えなさいということです。迎えたら主の愛を悟るようになり、主がこの時代に行なわれることに従ってするようになります。
前にもなかったし後にもない、本当に驚くべき患難と災難が地球上に迫る前に、主は再臨の準備を完全にしなさいとおっしゃいます。再臨の準備を完全にして患難を避け、主を迎えて一緒に行こうということです。主は心情が痛んで、啓示する人たちによって啓示なさり、叫ぶ人たちによって叫ばれるから、本当に他のことを考えてはいけません。ひたすら主を迎えて一体とならせるためです。
用意する時に主を迎えられなければ、主が本当に再臨なさるときに迎えられません。用意するときにほとんど決定するのです。「過程の中で私を迎える人が再臨のときも私を迎える。」と言ったでしょう。だから主はこれまで準備した人たちをすべて動員して啓示もなさり、叫ばせもなさるのです。先生には緊張しながら全体を鋭く見るように、主の御心通りにこのようにさせたりもなさいました。
恵みを受けても、聖霊の火を受けても、ただ信仰生活をよくさせるために下さったと思って生きる人たちがまだたくさんいます。主の新婦として完全に準備し、主が願われることを分かって接しながら、主と一体となって生きなさいと、恵みと聖霊の賜物を下さったことを知らなくてはいけません。そうでなければそれを主が願われるとおりに使うことができず、もったいなく終わるようになります。主が願われるとおりにしてこそさらに続けて働きかけられます。
啓示を受けた人たちも、啓示を伝えるときに主の心に合わせてその心情を込めて伝えなくてはいけません。深刻に、精密に、あるいは緊迫して、恐れとおののきで、真摯に、時には穏やかに、時には強く伝えなくてはいけません。聞く人たちも同じです。よく聞いて従順し、光を放たなくてはいけません。
聖父、神様の全知全能さと、聖子イエス様の愛と、聖霊様の感動、感化と熱い働きが満ちることを祝福します。アァメン。
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