勝利を得る者、その代価と祝福
本文:ヨハネの黙示録3:4−5、12、21
ハレルヤ!全知全能な神様の慈悲と、主の愛と、聖霊の熱い感動と御働きが、今日も御言葉を聴く全ての人たちに満ちることを祝福します。
全知全能な神様に仕え、愛し、その御言葉を聴いて従順することと、私たちを救って下さり、いつも共に助け導いて下さる主を信じて生きることが、人生において最高の幸せな道です。この道を行くに当たって辛く難しいとしても幸せなのです。現在は生きることが嬉しく、いろいろなものを享受して、快楽の中で、食べて楽しむとしても、結局滅亡と苦痛の永遠な地獄へ行く人生の道であるなら、笑うべきことではなく、喜ぶべきことではありません。しかし現実の人生の中で主を信じながら、苦痛と困難と痛みがあっても、未来に永遠な天国に行くことを思い、その世界を考えると、悲しむべきことではなく、泣くべきことではありません。笑うべきことであり、喜ぶべきことです。
幸せとは、一時的に、暫く幸せなことではないと言いました。それは真の幸せになり得ないと言いました。主は「自分の幸せを悟ってこそ享受する。」とおっしゃいました。
今日の御言葉の主題は「勝利を得なさい」です。勝利を得てこそ永遠に生きる人になり、天国に行って生きることができます。
今日の本文の御言葉を見ると、主がその弟子、使徒ヨハネに見せて下さり、啓示なさった御言葉が出てきます。信仰によって主をメシアと信じながら全てのことに勝利を得てこそ白い衣を着ると言いました。白い衣を着なければ天国に行くこともできません。この世で生きるときもその霊が白い衣を着ていない人はまだ天国の民として生きられていない人です。
聖書で主は「あなたがたの善良な行いがすなわち汚れのない麻布の衣」だと表現なさいました。「光り輝く、汚れのない麻布の衣は聖徒たち、すなわち信じる人たちの正しい行いのことだ。」とおっしゃいました。
(黙19:8)『彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである。』
神様を信じず、メシアでいらっしゃるイエス様、すなわち主を信じなければ、善良でも、汚れのない麻布の衣を着ることができず、天国に行くことができません。いくら慈悲を施し、一生幼子のように善良に生きても、神様とメシア、イエス様を信じなければ天国は行けません。
地獄の使者たちに地獄へ行った人たちの霊魂たちが「私たちは宗教生活をしながら善良に生きたのに、どうして地獄に来ましたか。」と訊くと、地獄の使者たちが「こいつ。常識を訊くのか。いくら善良に生きても、神様を信じてイエスを信じなければ地獄に来る。」と言いました。
この世で知るべきこのことを地獄に行ってからやっと知るようになったら、どれほど無念ですか。よく、善良に生きたから「私たちは天国に行く。良い霊魂の世界に行く。」と言いますが、死んだ後には天国、でなければ地獄に決定されます。善良な霊界があるにはありますが、そこに暫く立ち寄って結局天国か地獄へ行きます。善良な霊界は待機所に過ぎません。はっきりと分かって生きなくてはいけません。
地獄の苦痛を全て味わってみたでしょう。劇的に苦しいとき、劇的に苦痛を受けるとき、少しずつ地獄の苦痛を味わってみたのです。天国も味わってみたでしょう。劇的に嬉しいとき、劇的に良いとき、天国を味わってみたのです。永遠に嬉しく楽しく生きたいなら、神様を絶対的に信じて仕え、イエス様をメシアと信じ、罪を悔い改め、清い人になって、救われて、天国に行くように生きればいいです。
ただイエス様を信じて教会に通うだけでなく、主を恋人よりはるかに愛し、生活の中で仕えて生きなくてはいけません。世の中ですることを全てしながら自分なりに主を信じて信仰生活しては絶対にいけません。自分の恋人を放っておいて世の中ですることを全てして自分の思い通りにしたら、それが本当の愛ですか。恋人なら恋人が願うとおりに愛しながら生きてあげなくてはいけません。まして自分を救われる全能な主でいらっしゃいます。その方を絶対に愛し、その言葉に従順し、その方がさせるとおりにしてこそ、その功績によって天の国に行きます。
どのように戦いをしてこそ勝利を得ることができるのか教えてあげます。
神様は全能でいらっしゃり、永遠に存在なさる方で、私たちの霊の父でいらっしゃり、また別のセンターで見ると、天地、霊界と肉界の王でいらっしゃいます。統治者でいらっしゃいます。神様は地獄も統治なさり、サタンと悪魔もすべて統治なさいます。もし悪魔を思い通りに統治できなかったら、悪魔が天国も侵犯し、地獄からも出て来てしまうでしょう。それだけでなく、神様はこの世を統治なさり、天国を統治なさり、万物を統治なさいます。
私たちは神様を絶対に信じ、尊く思い、愛し、その御言葉に従順して生きなくてはいけません。その方がこの世を救いなさいと遣わされた息子、イエス様を通して全ての人々を罪から贖い、全ての罪を悔い改めさせ、地獄に行く人たちを天国へ来させました。だからイエス様を救い主として信じ、神様がその方を通しておっしゃった御言葉を命の御言葉と信じて従順し、絶対にその方と一体となって生きなくてはいけません。そうしてこそ勝利を得た者になります。
このように、神様と主を絶対に信じ、愛し、仕えて、その御言葉に従順し、一体となって生きれば、サタンと戦ってもみず、サタンに打ち勝った人になります。
サタン、悪魔は私たちの天敵です。悪質です。うそつきです。害を与え、病気を与える存在です。人を通して働きかけ、心を傷つけさせ、苦しめ、怖がらせ、神様を疑わせ、主を信じられないように妨害します。そうして結局私たちの霊魂を地獄へ引っ張って行ってあらゆる苦痛を与えて地獄の火の海、その熱いどろどろの鉄の中に入れ、ぐらぐらとたぎる鉄を私たちに食わせて、数百種類に苦痛を与えます。そのサタン、悪魔にこの世で打ち勝たなくてはいけません。
先に話したとおり、神様と主を絶対に信じてその御言葉に従順すれば子供も大人も誰でもこの悪質な悪魔に打ち勝つことができます。
またどんな人が勝利を得る者なのか話します。
怠ける人は勤勉であってこそ勝利を得る者になります。深く祈る人が勝利を得る者です。自分の罪を悔い改めて義人になってこそ、勝利を得た者になります。全てのことにおいて神様を恨まず、神様と主と聖霊様に感謝して、三位の神様に栄光を帰し、讃美してこそ勝利を得る者になります。
平和にする人が勝利を得る者です。謙遜な人が勝利を得る者です。兄弟のために生きてあげ、犠牲になり、奉仕し、哀れに思う人が勝利を得る者です。節制する人が勝利を得る者です。一片丹心、最後まで忍耐して行く人が勝利を得る者です。
完全な主の啓示を受ける人は勝利を得た者たちであり、主の御言葉を火のように伝えてくれる人は勝利を得た者です。サタン、悪魔たちが兄弟たちを通してあらゆる濡れ衣を着せて悪評し、中傷し、策略をめぐらしても、耐え忍んでひたすら神様と主だけ信じて先生について来た人は、勝利を得た者です。妬んだり嫉妬しないで、恨んだり不平を言わないで、全てのことに感謝し、神様を讃美して生きる人は勝利を得た者です。
患難と迫害の中で耐えた人は勝利を得た者です。うそを言わないで、真実の話だけをした人は勝利を得た者です。どんな環境や逆境にも屈服せず感謝して、神様と主にたゆまず仕えて愛して生きる人は勝利を得た者です。勝利を得ている人生を生きる人たちです。
異性の誘惑に打ち勝って生きなくてはいけません。異性に溺れないで、異性に関してきれいに生きる人は、異性に打ち勝った人です。勝利した人です。悪魔は男女間に非常に積極的に、巧妙に働きかけながら、偶発的に堕落をさせます。これに陥らなかった人、騙されもしなかった人は、異性の悪魔と悪霊たちに打ち勝った人です。
世の中の物質と財物を処理し主管するのは良いですが、それに溺れたり引っ張られて生きたら、物質と財物に本当に敗れた人です。お金と物質において勝利を得た者にならなくてはいけません。名誉に打ち勝たなくてはいけません。酒を飲まずタバコを吸わない人は勝利を得た者です。欲張らないで打ち勝たなくてはいけません。悪に対して善で戦って打ち勝たなくてはいけません。悪を行なわず善を行なうことが、打ち勝ったことです。
罪を悔い改めた人は、罪と戦って勝利を得た者です。お祈りを最後まで深くする人は、お祈りで勝利を得た者です。聖書を毎日読むべき分、読む人は、御言葉を読むことにおいて勝利を得た者です。慎み、時間を惜しんで信仰に使う人は時間と戦って勝利を得た者です。
この全てのことと戦って打ち勝たなくてはいけません。子供から大人に至るまで、年齢と関係なく、自分の力で、自分の肉体で、自分に該当することと戦って全て打ち勝たなくてはいけません。幼いからと言って打ち勝てなかったり、大きい人だからと言って打ち勝てる戦いではありません。特に恵みを受け、聖霊を受けて、神様の霊が臨み、主と一緒に一体となって、能力で打ち勝ち、祈って打ち勝ち、知恵で打ち勝ち、喜びで打ち勝つのです。
主は「勝利を得る者には白い衣を着させ、天の国のいのちの書にその名を記録し、神様と天使の前で認めさせる。」とおっしゃいました(黙3:4−5)、「勝利を得るものは、神様の国の聖殿の柱にならせ、その柱にその名を刻んであげる。」とおっしゃいました(黙3:12)。「勝利を得る者は主が用意した御座に座らせてあげる。」とおっしゃいました(黙3:21)。
ノア・アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフ・ダニエル・モーセ・ヨシュア・ダビデ・エゼキエル・エステル・モルデカイ・ギデオン・エリヤ等、神様の預言者たちと中心人物たちは、全て勝利を得た者たちです。
自分が決心して主を絶対に信じ、神様を愛し、祈って耐え忍べば、悪魔にも打ち勝ち、悪い人にも打ち勝ち、過酷に接する人たちにも全て打ち勝ち、異性で誘惑する人たちにも打ち勝ち、世の中にも全て打ち勝つことができます。実際、私たちは前に天国と地獄を置いて戦うのです。負けたら地獄へ行かなくてはいけません。打ち勝ってこそ天国へ行くようになります。
子供も、青年たちも、壮年たちも、自分の前に戦うべきものが自分の分だけやって来るから、自分の力を持って、能力の神様と主と共に戦えば、充分に打ち勝つことができます。誰でも自分がすべきことをやって、すべきでないことをしないでいてこそ、打ち勝つことができるから、結局自分が問題です。
私たちはこれまでどのように打ち勝ちましたか。耐え忍んで善で戦って打ち勝ちました。主の弟子たちも勝利を得た者たちです。主を絶対に信じて従い、その御言葉に従順した人たちは皆、打ち勝ちました。負けたら悪魔に引っ張って行かれて地獄へ行きます。
主が「勝利を得る者は白い衣を着せられて輝かせ、その名を天の国のいのちの書に記録して、神様も天使たちも証する。」とおっしゃいました。誰かが分かってくれなくて寂しく思ったり、心を痛めて挫折させる言葉を言い、衝撃的なことに遭っても、絶対に倒れないで打ち勝たなくてはいけません。アァメン。
神様の全知全能さと、主イエス・キリストの愛と、聖霊様の熱い感動、感化、御働きによって打ち勝つ人たちになることを、三位の御名で祝福します。アァメン。
元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
本文:ヨハネの黙示録3:4−5、12、21
ハレルヤ!全知全能な神様の慈悲と、主の愛と、聖霊の熱い感動と御働きが、今日も御言葉を聴く全ての人たちに満ちることを祝福します。
全知全能な神様に仕え、愛し、その御言葉を聴いて従順することと、私たちを救って下さり、いつも共に助け導いて下さる主を信じて生きることが、人生において最高の幸せな道です。この道を行くに当たって辛く難しいとしても幸せなのです。現在は生きることが嬉しく、いろいろなものを享受して、快楽の中で、食べて楽しむとしても、結局滅亡と苦痛の永遠な地獄へ行く人生の道であるなら、笑うべきことではなく、喜ぶべきことではありません。しかし現実の人生の中で主を信じながら、苦痛と困難と痛みがあっても、未来に永遠な天国に行くことを思い、その世界を考えると、悲しむべきことではなく、泣くべきことではありません。笑うべきことであり、喜ぶべきことです。
幸せとは、一時的に、暫く幸せなことではないと言いました。それは真の幸せになり得ないと言いました。主は「自分の幸せを悟ってこそ享受する。」とおっしゃいました。
今日の御言葉の主題は「勝利を得なさい」です。勝利を得てこそ永遠に生きる人になり、天国に行って生きることができます。
今日の本文の御言葉を見ると、主がその弟子、使徒ヨハネに見せて下さり、啓示なさった御言葉が出てきます。信仰によって主をメシアと信じながら全てのことに勝利を得てこそ白い衣を着ると言いました。白い衣を着なければ天国に行くこともできません。この世で生きるときもその霊が白い衣を着ていない人はまだ天国の民として生きられていない人です。
聖書で主は「あなたがたの善良な行いがすなわち汚れのない麻布の衣」だと表現なさいました。「光り輝く、汚れのない麻布の衣は聖徒たち、すなわち信じる人たちの正しい行いのことだ。」とおっしゃいました。
(黙19:8)『彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである。』
神様を信じず、メシアでいらっしゃるイエス様、すなわち主を信じなければ、善良でも、汚れのない麻布の衣を着ることができず、天国に行くことができません。いくら慈悲を施し、一生幼子のように善良に生きても、神様とメシア、イエス様を信じなければ天国は行けません。
地獄の使者たちに地獄へ行った人たちの霊魂たちが「私たちは宗教生活をしながら善良に生きたのに、どうして地獄に来ましたか。」と訊くと、地獄の使者たちが「こいつ。常識を訊くのか。いくら善良に生きても、神様を信じてイエスを信じなければ地獄に来る。」と言いました。
この世で知るべきこのことを地獄に行ってからやっと知るようになったら、どれほど無念ですか。よく、善良に生きたから「私たちは天国に行く。良い霊魂の世界に行く。」と言いますが、死んだ後には天国、でなければ地獄に決定されます。善良な霊界があるにはありますが、そこに暫く立ち寄って結局天国か地獄へ行きます。善良な霊界は待機所に過ぎません。はっきりと分かって生きなくてはいけません。
地獄の苦痛を全て味わってみたでしょう。劇的に苦しいとき、劇的に苦痛を受けるとき、少しずつ地獄の苦痛を味わってみたのです。天国も味わってみたでしょう。劇的に嬉しいとき、劇的に良いとき、天国を味わってみたのです。永遠に嬉しく楽しく生きたいなら、神様を絶対的に信じて仕え、イエス様をメシアと信じ、罪を悔い改め、清い人になって、救われて、天国に行くように生きればいいです。
ただイエス様を信じて教会に通うだけでなく、主を恋人よりはるかに愛し、生活の中で仕えて生きなくてはいけません。世の中ですることを全てしながら自分なりに主を信じて信仰生活しては絶対にいけません。自分の恋人を放っておいて世の中ですることを全てして自分の思い通りにしたら、それが本当の愛ですか。恋人なら恋人が願うとおりに愛しながら生きてあげなくてはいけません。まして自分を救われる全能な主でいらっしゃいます。その方を絶対に愛し、その言葉に従順し、その方がさせるとおりにしてこそ、その功績によって天の国に行きます。
どのように戦いをしてこそ勝利を得ることができるのか教えてあげます。
神様は全能でいらっしゃり、永遠に存在なさる方で、私たちの霊の父でいらっしゃり、また別のセンターで見ると、天地、霊界と肉界の王でいらっしゃいます。統治者でいらっしゃいます。神様は地獄も統治なさり、サタンと悪魔もすべて統治なさいます。もし悪魔を思い通りに統治できなかったら、悪魔が天国も侵犯し、地獄からも出て来てしまうでしょう。それだけでなく、神様はこの世を統治なさり、天国を統治なさり、万物を統治なさいます。
私たちは神様を絶対に信じ、尊く思い、愛し、その御言葉に従順して生きなくてはいけません。その方がこの世を救いなさいと遣わされた息子、イエス様を通して全ての人々を罪から贖い、全ての罪を悔い改めさせ、地獄に行く人たちを天国へ来させました。だからイエス様を救い主として信じ、神様がその方を通しておっしゃった御言葉を命の御言葉と信じて従順し、絶対にその方と一体となって生きなくてはいけません。そうしてこそ勝利を得た者になります。
このように、神様と主を絶対に信じ、愛し、仕えて、その御言葉に従順し、一体となって生きれば、サタンと戦ってもみず、サタンに打ち勝った人になります。
サタン、悪魔は私たちの天敵です。悪質です。うそつきです。害を与え、病気を与える存在です。人を通して働きかけ、心を傷つけさせ、苦しめ、怖がらせ、神様を疑わせ、主を信じられないように妨害します。そうして結局私たちの霊魂を地獄へ引っ張って行ってあらゆる苦痛を与えて地獄の火の海、その熱いどろどろの鉄の中に入れ、ぐらぐらとたぎる鉄を私たちに食わせて、数百種類に苦痛を与えます。そのサタン、悪魔にこの世で打ち勝たなくてはいけません。
先に話したとおり、神様と主を絶対に信じてその御言葉に従順すれば子供も大人も誰でもこの悪質な悪魔に打ち勝つことができます。
またどんな人が勝利を得る者なのか話します。
怠ける人は勤勉であってこそ勝利を得る者になります。深く祈る人が勝利を得る者です。自分の罪を悔い改めて義人になってこそ、勝利を得た者になります。全てのことにおいて神様を恨まず、神様と主と聖霊様に感謝して、三位の神様に栄光を帰し、讃美してこそ勝利を得る者になります。
平和にする人が勝利を得る者です。謙遜な人が勝利を得る者です。兄弟のために生きてあげ、犠牲になり、奉仕し、哀れに思う人が勝利を得る者です。節制する人が勝利を得る者です。一片丹心、最後まで忍耐して行く人が勝利を得る者です。
完全な主の啓示を受ける人は勝利を得た者たちであり、主の御言葉を火のように伝えてくれる人は勝利を得た者です。サタン、悪魔たちが兄弟たちを通してあらゆる濡れ衣を着せて悪評し、中傷し、策略をめぐらしても、耐え忍んでひたすら神様と主だけ信じて先生について来た人は、勝利を得た者です。妬んだり嫉妬しないで、恨んだり不平を言わないで、全てのことに感謝し、神様を讃美して生きる人は勝利を得た者です。
患難と迫害の中で耐えた人は勝利を得た者です。うそを言わないで、真実の話だけをした人は勝利を得た者です。どんな環境や逆境にも屈服せず感謝して、神様と主にたゆまず仕えて愛して生きる人は勝利を得た者です。勝利を得ている人生を生きる人たちです。
異性の誘惑に打ち勝って生きなくてはいけません。異性に溺れないで、異性に関してきれいに生きる人は、異性に打ち勝った人です。勝利した人です。悪魔は男女間に非常に積極的に、巧妙に働きかけながら、偶発的に堕落をさせます。これに陥らなかった人、騙されもしなかった人は、異性の悪魔と悪霊たちに打ち勝った人です。
世の中の物質と財物を処理し主管するのは良いですが、それに溺れたり引っ張られて生きたら、物質と財物に本当に敗れた人です。お金と物質において勝利を得た者にならなくてはいけません。名誉に打ち勝たなくてはいけません。酒を飲まずタバコを吸わない人は勝利を得た者です。欲張らないで打ち勝たなくてはいけません。悪に対して善で戦って打ち勝たなくてはいけません。悪を行なわず善を行なうことが、打ち勝ったことです。
罪を悔い改めた人は、罪と戦って勝利を得た者です。お祈りを最後まで深くする人は、お祈りで勝利を得た者です。聖書を毎日読むべき分、読む人は、御言葉を読むことにおいて勝利を得た者です。慎み、時間を惜しんで信仰に使う人は時間と戦って勝利を得た者です。
この全てのことと戦って打ち勝たなくてはいけません。子供から大人に至るまで、年齢と関係なく、自分の力で、自分の肉体で、自分に該当することと戦って全て打ち勝たなくてはいけません。幼いからと言って打ち勝てなかったり、大きい人だからと言って打ち勝てる戦いではありません。特に恵みを受け、聖霊を受けて、神様の霊が臨み、主と一緒に一体となって、能力で打ち勝ち、祈って打ち勝ち、知恵で打ち勝ち、喜びで打ち勝つのです。
主は「勝利を得る者には白い衣を着させ、天の国のいのちの書にその名を記録し、神様と天使の前で認めさせる。」とおっしゃいました(黙3:4−5)、「勝利を得るものは、神様の国の聖殿の柱にならせ、その柱にその名を刻んであげる。」とおっしゃいました(黙3:12)。「勝利を得る者は主が用意した御座に座らせてあげる。」とおっしゃいました(黙3:21)。
ノア・アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフ・ダニエル・モーセ・ヨシュア・ダビデ・エゼキエル・エステル・モルデカイ・ギデオン・エリヤ等、神様の預言者たちと中心人物たちは、全て勝利を得た者たちです。
自分が決心して主を絶対に信じ、神様を愛し、祈って耐え忍べば、悪魔にも打ち勝ち、悪い人にも打ち勝ち、過酷に接する人たちにも全て打ち勝ち、異性で誘惑する人たちにも打ち勝ち、世の中にも全て打ち勝つことができます。実際、私たちは前に天国と地獄を置いて戦うのです。負けたら地獄へ行かなくてはいけません。打ち勝ってこそ天国へ行くようになります。
子供も、青年たちも、壮年たちも、自分の前に戦うべきものが自分の分だけやって来るから、自分の力を持って、能力の神様と主と共に戦えば、充分に打ち勝つことができます。誰でも自分がすべきことをやって、すべきでないことをしないでいてこそ、打ち勝つことができるから、結局自分が問題です。
私たちはこれまでどのように打ち勝ちましたか。耐え忍んで善で戦って打ち勝ちました。主の弟子たちも勝利を得た者たちです。主を絶対に信じて従い、その御言葉に従順した人たちは皆、打ち勝ちました。負けたら悪魔に引っ張って行かれて地獄へ行きます。
主が「勝利を得る者は白い衣を着せられて輝かせ、その名を天の国のいのちの書に記録して、神様も天使たちも証する。」とおっしゃいました。誰かが分かってくれなくて寂しく思ったり、心を痛めて挫折させる言葉を言い、衝撃的なことに遭っても、絶対に倒れないで打ち勝たなくてはいけません。アァメン。
神様の全知全能さと、主イエス・キリストの愛と、聖霊様の熱い感動、感化、御働きによって打ち勝つ人たちになることを、三位の御名で祝福します。アァメン。
元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/私がさせるとおりにしなさい
本文 ヨハネの黙示録21:26−27
ヨハネによる福音書14:26−27
ルカによる福音書10:22
ハレルヤ!主の平安を祈ります。
主の再臨を充分に準備して主を迎えなくてはいけません。今主を迎えた人は、続けてそのように生きれば主の最後の再臨の時も主を迎えます。主の新婦になって本当に主を迎えて生きているのか、自ら確認しなくてはいけません。ただ漠然と生きる人は主を迎えていない人です。自分の立場でだけ「主は私の新郎」だと自負しないで、新郎でいらっしゃる主に深く祈って必ず確認しなくてはいけません。
主は各個人、摂理史に叱るべきことをお叱りになり、悔い改めることを願われ、機会を下さいます。自分の機会を逃したらいつまたその機会が自分に訪れるのか分かりますか。あることは10年ぶりに、あることは同時性の歴史が来る時、あることは自分が死んだ後に機会が訪れます。
主を離れて行くときは自分が喜んで冷淡に行きます。主があれほどにも心で呼ばれ、人々を通して呼ばれ、先生を通して呼ばれる時は顔を背け、冷酷に振り切って行きます。しかし行けば行くほど苦痛と苦しみと死の道だから、結局再び摂理に戻って来て悔い改めて生きます。
罪は許してくれますが、悔い改めても罪の代価を受けることになり、また回復するには功績を立てなくてはいけないから苦労するのです。だから地獄の道は絶対に行くなと言うのです。
世の中でどんなことをする時ももがかなくてはいけない大変なことがあるように、信仰世界の道もそうです。悔い改めは「清算」です。
嘘をついたり騙したりしたら、聖書のアナニヤ夫婦のようになります(使5:1−11)。今は聖霊の時代だから、聖霊を欺いてはいけません。信じますか。人々は分からなくて公義で処理できなくても、主はご存知だから公義で処理なさいます。
皆きれいに悔い改めて清潔にしたのに、もし主がご覧になって悔い改めていない人がいるなら、その人によって死亡の臭いがしてみんな分かるようになります。それはまるで伝染病のようなものだから、誰が近づくでしょうか。各教会、各部署、個人、みんな悔い改めた人は、ちょうど汚れを掃除したのと同じく霊的な雰囲気が目立ち、睦まじくできていなかったことが睦まじくなったと言いました。
アメリカのニューヨークとヒューストンで聖霊集会を終えて7月3〜4日までハワイで集会をするという報告が来ました。ところが北朝鮮が、アメリカが原子爆弾を制裁することに恨みを抱いて、アメリカの独立記念日である7月4日、ハワイにミサイルを撃つと言いました。このような理由で7月3〜4日はハワイがあまりにも騒がしく不安だけれど集会をすべきかと急いで報告が入ってきました。
皆ニュースで見たでしょうが、これによって観光客たちもハワイに行かなかったし、そこの住民たちは不安と恐怖に震えていたし、アメリカは軍隊の兵力を配置しました。それで集会チームの人たちも、ハワイ教会の教役者たちも心配になって、北朝鮮がミサイルを撃つというその日を避けて集会をすべきかと手紙が来ました。
先生はこの報告を受けて主に訊きました。主は「ミサイルを撃ったら鷲の足でボールを蹴るように蹴ってしまうから、私があなたがたと共に決めた日、7月3〜4日に聖霊集会をしなさい。」とおっしゃいました。ハレルヤ〜アァメン!
結局7月3〜4日までハワイで集会をしました。しかし何も起こりませんでした。むしろその日ハワイに大きな恵みがあったし、聖霊の火が下りました。神様がその霊を注いで下さいました。ハレルヤ〜アァメン!
サタンたちはいつも恐怖を与えます。不安を与えます。悪い人たちも同じです。主は全知全能でいらっしゃるからきれいに処理なさり、悪い人たちを主管なさいます。まばたきなさるだけでも偽ったことやサタンが使う悪い人たちを治められます。一つの国が数十年間造っておいて使おうとしていた戦争の武器も全て消滅させられます。
主の御言葉だけに従順すれば全て防いで下さいます。しかし従順しなければ患難も、迫害も、苦痛も防いで下さいません。主はサタンと悪い人たちに騙されません。その時ハワイの住民たちは恐怖と不安に震えながらアメリカの軍人たちまで配置されて皆心配しましたが、摂理人たちは平安な心で感謝して聖霊の恵みを受けました。
サタンは悪人たちを自分の体として使います。特に無神論者たちと武力に明け暮れる人たちはいつも戦争と争いをします。ややもするとミサイルと核爆弾を持ち出しながら威嚇し「戦争」という単語が口から出ない日がないほど叫んできました。
今は霊と肉を地獄の火で焼却なさる神様を畏れ仕えて生きるべき時です。今は主の時になりました。主の世の中になりました。今、主の時だから主の御心通りに従順して生きなくてはいけません。
啓示者たちを通して北朝鮮の人々がどのように戦争を起こすのかすでに話したことについて報告が入ってきました。平素、彼らの口から出ていた言葉どおりに、彼らが心の中で計画したことを口の外に吐き出したとおりに、事を仕出かすそうです。本当に祈らなくてはいけません。
今日、主が「私がさせる通りにして生きなさい。そうしてこそ生きる。」とおっしゃった御言葉通りに生きなくてはいけません。自分の心がさせるとおりにやってみて、また自分を導く人がさせるとおりにやってみたけれど、うまくいきませんでした。今、主がおっしゃる通りにしなくてはいけません。そうしてこそ全てのことが解決できます。聖霊は火のように働きかけられ、感動を下さって、私たちがどのように行なうべきか教えて下さいます。これに逆らって不従順したら、よりいっそう災いを受けるようになります。
いつの時代、誰でも、神様の絶対的な御言葉に従順しないことによって、それに該当する刑罰を受け、苦痛を受けました。きれいに悔い改めて従順してこそ、救われて永遠の命の人生を生きるようになり、聖霊をプレゼントとしてもらうようになり、心の天国を成し、恵みの中で生きるようになります。
主の平安を祈ります。
聖父、神様、父の恵みと、主イエス・キリストの慈悲と愛と、聖霊の大きな働きと感動、感化が満ちることを、聖三位の御名で祝福します。アァメン。
元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
本文 ヨハネの黙示録21:26−27
ヨハネによる福音書14:26−27
ルカによる福音書10:22
ハレルヤ!主の平安を祈ります。
主の再臨を充分に準備して主を迎えなくてはいけません。今主を迎えた人は、続けてそのように生きれば主の最後の再臨の時も主を迎えます。主の新婦になって本当に主を迎えて生きているのか、自ら確認しなくてはいけません。ただ漠然と生きる人は主を迎えていない人です。自分の立場でだけ「主は私の新郎」だと自負しないで、新郎でいらっしゃる主に深く祈って必ず確認しなくてはいけません。
主は各個人、摂理史に叱るべきことをお叱りになり、悔い改めることを願われ、機会を下さいます。自分の機会を逃したらいつまたその機会が自分に訪れるのか分かりますか。あることは10年ぶりに、あることは同時性の歴史が来る時、あることは自分が死んだ後に機会が訪れます。
主を離れて行くときは自分が喜んで冷淡に行きます。主があれほどにも心で呼ばれ、人々を通して呼ばれ、先生を通して呼ばれる時は顔を背け、冷酷に振り切って行きます。しかし行けば行くほど苦痛と苦しみと死の道だから、結局再び摂理に戻って来て悔い改めて生きます。
罪は許してくれますが、悔い改めても罪の代価を受けることになり、また回復するには功績を立てなくてはいけないから苦労するのです。だから地獄の道は絶対に行くなと言うのです。
世の中でどんなことをする時ももがかなくてはいけない大変なことがあるように、信仰世界の道もそうです。悔い改めは「清算」です。
嘘をついたり騙したりしたら、聖書のアナニヤ夫婦のようになります(使5:1−11)。今は聖霊の時代だから、聖霊を欺いてはいけません。信じますか。人々は分からなくて公義で処理できなくても、主はご存知だから公義で処理なさいます。
皆きれいに悔い改めて清潔にしたのに、もし主がご覧になって悔い改めていない人がいるなら、その人によって死亡の臭いがしてみんな分かるようになります。それはまるで伝染病のようなものだから、誰が近づくでしょうか。各教会、各部署、個人、みんな悔い改めた人は、ちょうど汚れを掃除したのと同じく霊的な雰囲気が目立ち、睦まじくできていなかったことが睦まじくなったと言いました。
アメリカのニューヨークとヒューストンで聖霊集会を終えて7月3〜4日までハワイで集会をするという報告が来ました。ところが北朝鮮が、アメリカが原子爆弾を制裁することに恨みを抱いて、アメリカの独立記念日である7月4日、ハワイにミサイルを撃つと言いました。このような理由で7月3〜4日はハワイがあまりにも騒がしく不安だけれど集会をすべきかと急いで報告が入ってきました。
皆ニュースで見たでしょうが、これによって観光客たちもハワイに行かなかったし、そこの住民たちは不安と恐怖に震えていたし、アメリカは軍隊の兵力を配置しました。それで集会チームの人たちも、ハワイ教会の教役者たちも心配になって、北朝鮮がミサイルを撃つというその日を避けて集会をすべきかと手紙が来ました。
先生はこの報告を受けて主に訊きました。主は「ミサイルを撃ったら鷲の足でボールを蹴るように蹴ってしまうから、私があなたがたと共に決めた日、7月3〜4日に聖霊集会をしなさい。」とおっしゃいました。ハレルヤ〜アァメン!
結局7月3〜4日までハワイで集会をしました。しかし何も起こりませんでした。むしろその日ハワイに大きな恵みがあったし、聖霊の火が下りました。神様がその霊を注いで下さいました。ハレルヤ〜アァメン!
サタンたちはいつも恐怖を与えます。不安を与えます。悪い人たちも同じです。主は全知全能でいらっしゃるからきれいに処理なさり、悪い人たちを主管なさいます。まばたきなさるだけでも偽ったことやサタンが使う悪い人たちを治められます。一つの国が数十年間造っておいて使おうとしていた戦争の武器も全て消滅させられます。
主の御言葉だけに従順すれば全て防いで下さいます。しかし従順しなければ患難も、迫害も、苦痛も防いで下さいません。主はサタンと悪い人たちに騙されません。その時ハワイの住民たちは恐怖と不安に震えながらアメリカの軍人たちまで配置されて皆心配しましたが、摂理人たちは平安な心で感謝して聖霊の恵みを受けました。
サタンは悪人たちを自分の体として使います。特に無神論者たちと武力に明け暮れる人たちはいつも戦争と争いをします。ややもするとミサイルと核爆弾を持ち出しながら威嚇し「戦争」という単語が口から出ない日がないほど叫んできました。
今は霊と肉を地獄の火で焼却なさる神様を畏れ仕えて生きるべき時です。今は主の時になりました。主の世の中になりました。今、主の時だから主の御心通りに従順して生きなくてはいけません。
啓示者たちを通して北朝鮮の人々がどのように戦争を起こすのかすでに話したことについて報告が入ってきました。平素、彼らの口から出ていた言葉どおりに、彼らが心の中で計画したことを口の外に吐き出したとおりに、事を仕出かすそうです。本当に祈らなくてはいけません。
今日、主が「私がさせる通りにして生きなさい。そうしてこそ生きる。」とおっしゃった御言葉通りに生きなくてはいけません。自分の心がさせるとおりにやってみて、また自分を導く人がさせるとおりにやってみたけれど、うまくいきませんでした。今、主がおっしゃる通りにしなくてはいけません。そうしてこそ全てのことが解決できます。聖霊は火のように働きかけられ、感動を下さって、私たちがどのように行なうべきか教えて下さいます。これに逆らって不従順したら、よりいっそう災いを受けるようになります。
いつの時代、誰でも、神様の絶対的な御言葉に従順しないことによって、それに該当する刑罰を受け、苦痛を受けました。きれいに悔い改めて従順してこそ、救われて永遠の命の人生を生きるようになり、聖霊をプレゼントとしてもらうようになり、心の天国を成し、恵みの中で生きるようになります。
主の平安を祈ります。
聖父、神様、父の恵みと、主イエス・キリストの慈悲と愛と、聖霊の大きな働きと感動、感化が満ちることを、聖三位の御名で祝福します。アァメン。
元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/〔本文〕
創世記−ヨハネの黙示録
神様の全知全能さと主の愛と慈悲が満ち、今日も御言葉を通して聖霊の感動と熱い恵みが満ちることを祝福します。
今日はどんな御言葉がどのように流れていくのか先に話をします。
一つだけ話すとそちらの方向はよく分かりますが、他のことは分かりません。だから今日は短く切って多くのことを話します。
まず「伝道と管理」について話します。
伝道者たち、本当にお疲れ様です。伝道すると話もうまくできるようになります。
どもったり、人を意識したり、うつ病で苦しんでいる人たちや、人々の前で話がうまくできない人たちや、よく恥ずかしがる人たちは特に、路傍に出て行って叫び、個人伝道をすれば、それらの病気や癖が癒されてよくなります。
全知全能な神様と主の主でいらっしゃるイエス様を伝えることにおいては特に意識したり恥ずかしかることがありません。
どんどん人々の前に出て話もしてみて、歌も歌ってみて、できなければ雄弁も学んで、どんどん話をしてみてこそ自分の性格が直り、心の萎縮感がすっかり直ります。
伝道して、功績を立てて永遠な義を積み、お金をかけずに自分の悩みや病気も治すからどんなにいいですか。ハレルヤ〜
「伝道と管理」はひとつがいです。カップルです。神様は宇宙と天の国と肉の世界と霊の世界を創造なさいました。これを見るとき神様は全知全能ですが、そのすべてのものを治めるから全知全能でいらっしゃいます。創造しておいて精密に治められます。
創造しておいて治められなかったら、宇宙や地上にあるものは自然の変動といろいろな変動によってすべて死んだでしょう。
伝道することはすごいことです。地獄に行く人を天国に行かせることがどれほど大きなことですか。よりすごくて偉大なことは彼らを管理して治めることです。
自分自身の言葉と行動をその時その時に治める人は立派な人であり、偉大な人です。
自分が自らを治められなくて、管理する人がよく治めてあげられないことによって異性で堕落し、物質に陥ってあらゆる損害を被り、成功すべき人が苦痛を受けるのです。
御言葉を伝える人たちと、霊に属して啓示を受ける人たちと、聞く人たちは、神様とイエス様の御心によって聖霊の感動と熱い恵みを受け、それぞれ自分を治めなくてはいけません。
牧会者は自分の教会のメンバーたちを行政でしっかり記録して順理で治めなくてはいけません。
自分を治められない人は教会も治められません。
時間について話します。
私たちには時間がありません。主を迎えて生きなくてはいけないのに、本当に時間がありません。
これは勘定してみた話です。これを比喩で話します。
ある人が教会の礼拝に行こうと思いましたが、家で時計を見るとまだ礼拝時間まで二時間も残っていました。主は礼拝の時間について「時間がない。」とおっしゃいました。しかしその人は「まだ二時間も残っていますけど。」と答えました。
主はその人が教会に行く前にすべきことをご覧になり、時間を勘定し計算なさったのです。銭湯に行って来る時間40分、トイレに行く時間10分、伝道した人を連れて来る時間20分、ごはんを食べる時間20分、美容室に寄らなくてはいけない時間20分、車に乗って教会に行く時間30分を合わせると全部で140分です。礼拝の時間まで二時間残っているから、その時間を超えているのです。
主がいつ来られるか勘定することはありません。計算してみると時間がないということです。
みんな方法を変えなければ時間上イエス様を迎えられません。
自分の時間を使ってみると、主が来られる時に準備すべき時間もすべて自分のために使っているうちに患難を迎えるようになります。
考えられないようなことが迫ってきて時間を奪うようになるということです。
皆さんの一日を見てみて下さい。午前にすべきことを計画しても予想しなかったことや心配すべきことが迫ってくると、心が落ち着かなくて心配と不安で心と体を奪われ、しようとしていたことをできなかったのではありませんか。
こういうことをすべて見て時間を計算し、時間がないと言ったのです。
だから世の中の時間を切って、自分がしようとすることも切って、主が願われることをしなくてはいけません。やることをすべてやってみると、本当にすべきことをできずに夜を迎えます。
肉体のための普通のことは全て切ってしまい、天の時間を全面的に出せば、その時は時間があります。
果敢に、規模を大きくしなくてはいけません。多くのことを欲張らずに。この時代の人々、すべての世の中の時間を切ってこそ、天の時間が多くなり、主の前に近く行くことができ、人生に成功し信仰に成功します。
時間がないと言って心情を焦がさないで、時間があると言って余裕をもってしなくてはいけません。
テレビ一つに投資する時間だけ切っても息苦しさを免れることができます。テレビは水準以下の存在です。テレビを見ているのを切って水準の高い生活をすれば、テレビがどんなに自分を失敗させていたか分かります。
テレビを一日に一時間半だけ見ても、10分の1の時間を奪われます。寝る時間を除いて一日の時間を計算するとそうです。テレビを見ると頭がテレビの画面に変わって霊感が来るのを妨害し、霊の目を不自由にさせるので霊界を見ることができません。
時間がなければ主にも会えないし、万事において失敗者になります。主は時間の中に働きかけられます。主は時間を超越なさいますが、人々は時間に縛られて生きているので問題です。
だから時間の問題を解決して余裕をもって使い、準備してこそ、主がその時間に働きかけられます。定めた時間に準備して主を迎えなくてはいけません。
また次の話をします。
不平不満に思う心を打ち破り追い出すことのできる威力はただ何であるか分かりますか。「祈りと感謝と讃美」しかありません。不平不満が出てくるときは感謝によってすさまじく追い出し粉々に壊してしまい、不平不満を心に来させません。
祈りと感謝と讃美をしなければサタンが心に入ってきます。これを阻止できなければ不満と不平によって地獄の国を作ります。そうして大変なことになります。祈りと感謝と讃美でサタンを撃退しなくてはいけません。サタンを撃退できなければ、ちょうど戦地で敵に敗れた立場になり、敵たちがこき使って苦しめ、苦痛を与えるままに受けるしかないから、死にたいほど苦しいです。
だから毎日祈りと感謝と讃美で兵力を強化しなくてはいけません。
最後に話します。
私たちは失敗して罪を犯すと体ばかり責めます。服ばかり引き裂かないで、心を引き裂かなくてはいけません。間違った心を引き裂いてなくさなくてはいけません。間違った根性と腐った精神と心を掘り出してなくさなくてはいけません。自分の手が人を殴ったのではなく、自分の心が殴ったのです。
手と足が兄弟を殴りましたが、その主人はすなわち自分の精神と心です。
だからその心を引き裂き、叩き壊して悔い改めなくてはいけません。
手が間違ったら、手ばかり叩かないで、その頭、すなわち精神と心を叩かなくてはいけないのではありませんか。
人が間違ったときに脳を取り出すとすれば、たぶん兄弟を殴ったり憎まないだろうし、また罪を犯さなくなるでしょう。
脳で心で、考えで罪を犯すようになるから、間違った考えをなくさなくてはいけません。
考えが間違った人は神様の裁きの対象です。裁かれる前に早く直して悔い改めなくてはいけません。
自分の根性と間違った心と淫乱な考えをすべて叩き壊して下さい。そのようにして夢で見ます。すると蛇を剣で切る夢を見たり、自分の中からサタンが出て行く夢を見たり、澄んだ水で洗う夢を見るようになります。夢は自分と関連して見るし、自分の知っている人と関連して見ます。良い夢は現実の良いことを反映し、悪い夢は現実の悪いことを反映します。夢も啓示だからうまく解かなくてはいけません。
今週も聖父、神様の大きな恵みと、主の愛と慈悲と、聖霊の熱い働きが満ちることを祝福します。
元記事はこちらです、http://http://www.hananim.or.kr/mboard.php?bcode=god_word&mode=read&page=1&cat=&part=&keyword=&bidx=111558
創世記−ヨハネの黙示録
神様の全知全能さと主の愛と慈悲が満ち、今日も御言葉を通して聖霊の感動と熱い恵みが満ちることを祝福します。
今日はどんな御言葉がどのように流れていくのか先に話をします。
一つだけ話すとそちらの方向はよく分かりますが、他のことは分かりません。だから今日は短く切って多くのことを話します。
まず「伝道と管理」について話します。
伝道者たち、本当にお疲れ様です。伝道すると話もうまくできるようになります。
どもったり、人を意識したり、うつ病で苦しんでいる人たちや、人々の前で話がうまくできない人たちや、よく恥ずかしがる人たちは特に、路傍に出て行って叫び、個人伝道をすれば、それらの病気や癖が癒されてよくなります。
全知全能な神様と主の主でいらっしゃるイエス様を伝えることにおいては特に意識したり恥ずかしかることがありません。
どんどん人々の前に出て話もしてみて、歌も歌ってみて、できなければ雄弁も学んで、どんどん話をしてみてこそ自分の性格が直り、心の萎縮感がすっかり直ります。
伝道して、功績を立てて永遠な義を積み、お金をかけずに自分の悩みや病気も治すからどんなにいいですか。ハレルヤ〜
「伝道と管理」はひとつがいです。カップルです。神様は宇宙と天の国と肉の世界と霊の世界を創造なさいました。これを見るとき神様は全知全能ですが、そのすべてのものを治めるから全知全能でいらっしゃいます。創造しておいて精密に治められます。
創造しておいて治められなかったら、宇宙や地上にあるものは自然の変動といろいろな変動によってすべて死んだでしょう。
伝道することはすごいことです。地獄に行く人を天国に行かせることがどれほど大きなことですか。よりすごくて偉大なことは彼らを管理して治めることです。
自分自身の言葉と行動をその時その時に治める人は立派な人であり、偉大な人です。
自分が自らを治められなくて、管理する人がよく治めてあげられないことによって異性で堕落し、物質に陥ってあらゆる損害を被り、成功すべき人が苦痛を受けるのです。
御言葉を伝える人たちと、霊に属して啓示を受ける人たちと、聞く人たちは、神様とイエス様の御心によって聖霊の感動と熱い恵みを受け、それぞれ自分を治めなくてはいけません。
牧会者は自分の教会のメンバーたちを行政でしっかり記録して順理で治めなくてはいけません。
自分を治められない人は教会も治められません。
時間について話します。
私たちには時間がありません。主を迎えて生きなくてはいけないのに、本当に時間がありません。
これは勘定してみた話です。これを比喩で話します。
ある人が教会の礼拝に行こうと思いましたが、家で時計を見るとまだ礼拝時間まで二時間も残っていました。主は礼拝の時間について「時間がない。」とおっしゃいました。しかしその人は「まだ二時間も残っていますけど。」と答えました。
主はその人が教会に行く前にすべきことをご覧になり、時間を勘定し計算なさったのです。銭湯に行って来る時間40分、トイレに行く時間10分、伝道した人を連れて来る時間20分、ごはんを食べる時間20分、美容室に寄らなくてはいけない時間20分、車に乗って教会に行く時間30分を合わせると全部で140分です。礼拝の時間まで二時間残っているから、その時間を超えているのです。
主がいつ来られるか勘定することはありません。計算してみると時間がないということです。
みんな方法を変えなければ時間上イエス様を迎えられません。
自分の時間を使ってみると、主が来られる時に準備すべき時間もすべて自分のために使っているうちに患難を迎えるようになります。
考えられないようなことが迫ってきて時間を奪うようになるということです。
皆さんの一日を見てみて下さい。午前にすべきことを計画しても予想しなかったことや心配すべきことが迫ってくると、心が落ち着かなくて心配と不安で心と体を奪われ、しようとしていたことをできなかったのではありませんか。
こういうことをすべて見て時間を計算し、時間がないと言ったのです。
だから世の中の時間を切って、自分がしようとすることも切って、主が願われることをしなくてはいけません。やることをすべてやってみると、本当にすべきことをできずに夜を迎えます。
肉体のための普通のことは全て切ってしまい、天の時間を全面的に出せば、その時は時間があります。
果敢に、規模を大きくしなくてはいけません。多くのことを欲張らずに。この時代の人々、すべての世の中の時間を切ってこそ、天の時間が多くなり、主の前に近く行くことができ、人生に成功し信仰に成功します。
時間がないと言って心情を焦がさないで、時間があると言って余裕をもってしなくてはいけません。
テレビ一つに投資する時間だけ切っても息苦しさを免れることができます。テレビは水準以下の存在です。テレビを見ているのを切って水準の高い生活をすれば、テレビがどんなに自分を失敗させていたか分かります。
テレビを一日に一時間半だけ見ても、10分の1の時間を奪われます。寝る時間を除いて一日の時間を計算するとそうです。テレビを見ると頭がテレビの画面に変わって霊感が来るのを妨害し、霊の目を不自由にさせるので霊界を見ることができません。
時間がなければ主にも会えないし、万事において失敗者になります。主は時間の中に働きかけられます。主は時間を超越なさいますが、人々は時間に縛られて生きているので問題です。
だから時間の問題を解決して余裕をもって使い、準備してこそ、主がその時間に働きかけられます。定めた時間に準備して主を迎えなくてはいけません。
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最後に話します。
私たちは失敗して罪を犯すと体ばかり責めます。服ばかり引き裂かないで、心を引き裂かなくてはいけません。間違った心を引き裂いてなくさなくてはいけません。間違った根性と腐った精神と心を掘り出してなくさなくてはいけません。自分の手が人を殴ったのではなく、自分の心が殴ったのです。
手と足が兄弟を殴りましたが、その主人はすなわち自分の精神と心です。
だからその心を引き裂き、叩き壊して悔い改めなくてはいけません。
手が間違ったら、手ばかり叩かないで、その頭、すなわち精神と心を叩かなくてはいけないのではありませんか。
人が間違ったときに脳を取り出すとすれば、たぶん兄弟を殴ったり憎まないだろうし、また罪を犯さなくなるでしょう。
脳で心で、考えで罪を犯すようになるから、間違った考えをなくさなくてはいけません。
考えが間違った人は神様の裁きの対象です。裁かれる前に早く直して悔い改めなくてはいけません。
自分の根性と間違った心と淫乱な考えをすべて叩き壊して下さい。そのようにして夢で見ます。すると蛇を剣で切る夢を見たり、自分の中からサタンが出て行く夢を見たり、澄んだ水で洗う夢を見るようになります。夢は自分と関連して見るし、自分の知っている人と関連して見ます。良い夢は現実の良いことを反映し、悪い夢は現実の悪いことを反映します。夢も啓示だからうまく解かなくてはいけません。
今週も聖父、神様の大きな恵みと、主の愛と慈悲と、聖霊の熱い働きが満ちることを祝福します。
元記事はこちらです、http://http://www.hananim.or.kr/mboard.php?bcode=god_word&mode=read&page=1&cat=&part=&keyword=&bidx=111558主の啓示の御言葉
本文 ルカによる福音書12:42-50、57-59
主、神様の恵みと平安を祈ります。
御言葉は啓示です。啓示を正しく受けるには何度も聖書を読まなくてはいけません。「主はどうして私には啓示を下さらないのか。」と言ってばかりいないで、深く祈らなくてはいけません。数日前、明け方の祈りの中で主がおっしゃるには「聖書を何度も読み、また読めば、聖書に必ず記録すべきことなのに記録できなかったことまでも悟るようになる。」とおっしゃいました。そして「御言葉を覚えても御言葉に関心を持たなければ、ちょうど自分が愛する人を連れて歩きながらも愛して使わないのと同じだ。」とおっしゃいました。
聖書をどれだけたくさん読んだか、数を数えながら読むのが目的ではありません。何度も読めば読むほど深いことを悟ろうとしなくてはいけないし、結局はその御言葉通りに実践することが目的です。砂一粒ほどのものからとても大きな地球や宇宙に至るまで、実践してこそ信じることができます。
主は「実践者は偉大だ。」とおっしゃいました。実践する人は以前より成長しています。だから実践する人のことが分かります。
よく人々は自分が好きなことを散々やっておいて、散々苦労した後になってやっと主の御言葉が正しいということを悟ってから、その時から分かって実践し、悔い改めて、残りの人生を主の御心通りに生きます。だから気をつけてうまくやらなくてはいけません。
今この時間も神様と主が啓示なさる御言葉を記録して送って叫ばせています。先生を通して主が啓示しておっしゃったことを壇上で叫ばせ、主はその啓示の御言葉をよく聴いているか眺めていらっしゃいます。天使たちは聴く人たちの心まですべての状況を記録しています。皆さん個人にそれぞれついて回る天使がすべての状況をまるでビデオに録画するように精密に記録しています。しばらくして礼拝が終わると天使たちが記録したことを全て天の国に持って行って神様に報告します。ある人は、多くの人々のことを神様がすべて見ることができるのかと言います。いらぬ心配をします。霊的に見ると、天の国の一日は人間の国の千年です。このように差があるから地球上68億人の状況をいっぺんに報告しても天の国では瞬間に処理されます。
先におっしゃったとおり、主の啓示は主日の御言葉と水曜の御言葉と明け方の御言葉に出て行きます。そして平素に皆さんが聖書を読む時に悟らせ、生活の中で万物で啓示なさり、自分が経験するときに自ら悟らせ、夢で啓示したりもなさるし、時には兄弟たちを通しても啓示なさり、啓示を受ける人たちを通して啓示なさり、リバイバル講師を通して啓示なさり、聖霊で悟るように感動させて啓示なさいます。
啓示を受ける人たちは、受けても自分自らの心にあることが悟られることなのか、悪魔が啓示することなのか、悪霊が啓示することなのか、主が啓示なさることなのかと恐れ心配します。聞いてみれば普遍的に分かるようになります。行ってみれば分かるようになります。最後まで行ってみればサタンの啓示なのか、主の啓示なのか分かるようになります。
道を行くときも、自分が行く道が合っているのか、最後まで行ってみれば結局わかるようになります。これと同じく最後まで行ってみれば真の啓示なのか、偽の啓示なのか分かるようになります。しかしそれまで啓示を間違って受けて、間違って認識して行なったことが問題です。
今から啓示について悟れるようにしばらく御言葉を伝えてあげましょう。
主は啓示を受ける人たちをずっと前から誰にも知られないようにそれなりに錬達させられました。啓示を受ける人たちは啓示を受けるまで苦痛と苦しみとあらゆる逆境を味わっていきさつが非常にたくさんあります。その苦痛を聞いてみると「ああ!だから主はあの人にあのような啓示を下さったんだ。」と思うようになります。
先生も主の啓示を受けるには平素より肉体の苦痛が大きくなります。どれだけさらに条件を立て、どれだけさらに困難に遭わなくてはならないか、皆さんは分からないでしょう。サタンがひどく苦しめ妨害するので戦って打ち勝たなくてはいけません。また受けた啓示を伝えなくてはいけません。
主が皆さんにいろいろと啓示して下さることを悟って、今日も主日の壇上で出る啓示の御言葉をよく聴いて悟って実践しなくてはいけません。
特別に壇上で叫ぶリバイバル講師たちと、啓示を受ける人たちのためにお祈りをたくさんしてあげなくてはいけません。リバイバル講師と啓示を受ける人は、その人に合う使命を与えるために主がお育てになりました。突然使命を与えて叫ばせたように思えますが、全くそうではありません。それまでいろいろいきさつと事情を経験しました。リバイバル講師や啓示を受ける人たちだけでなく、主がお使いになる人たちも皆同じです。
啓示を受ける人たちは主から啓示を受けながら、前から主が自分に対してそのように働きかけてこられたことを悟るようになります。それに従って主が話して下さるので、特別に啓示を受ける人だけ分かるようになります。他の人たちは経験していないから分かりません。リバイバル講師もそうです。
啓示を受けるとすべきことがたくさんあります。その啓示を伝えると、聴く人たちが皆「主よ!」と言って受け入れるわけではないから、その御言葉通りに簡単に成されるわけではありません。それに伴う苦痛があり、混沌に陥るようになったりもします。主が啓示なさっても現実にはその御言葉通りに成されなかったりもします。だから「この啓示は合っているのか。」と考えるようになります。
啓示を受ける人だけでなく、主の仕事をする人たちは皆同じです。祈るときはよく答えを受けたのに、現実にはそのとおりに成されないときがあります。だから「無駄な啓示、無駄な答えをもらったのか。」と疑ったりもします。
啓示を受けてお祈りの答えを受けたからと言って全て成されるのではありません。主も栄光の主として来られたけれど、世の中が邪悪で受け入れなくて十字架を負ったように、うまくいくと答えをもらっても、人々が受け入れず責任を果たせないことによって難しくなったりもします。だから自分も辛くて責任を果たせず、思うようにいかないときがあります。
啓示を間違って受けて成されなかったのではありません。もちろんある人は啓示を間違って受けて成されないこともあります。これをよく見分けなくてはいけません。誰でも生活の中で、夢の中で、大なり小なり啓示を受けるから、よく見分けなくてはいけません。啓示を解く方法を知らなくてはいけません。
1、サタンと悪霊は正しいことを言っているようでも100%正しい話はできません。よくサタンと悪霊は兄弟を指摘します。主の前に罪のない人はいないから、主の御名を出して罪を指摘するとうなずかざるを得ません。そしてサタンは分けて引き裂く話をします。そして人の弱点を引っ張り出して話すから「現実もそうだから主の啓示が当たっているなあ。」と思うようになります。しかし神様の御言葉の原本である聖書を見ると、そうではありません。神様の御言葉は「赦しと容認」です。聖書どおりに啓示するなら合っています。
サタンと悪霊たちは自分の方法でするから詳しく見れば結局分かります。矛盾がある啓示を見ると、平素自分の心にあることなのに、啓示を受けたと思います。あるいはサタンと悪霊たちから受けたためです。啓示は主が下さいますが、条件が生じ、隙があると、サタンと悪霊も与えます。また自分自ら心に考えたことを話して啓示だと言ったりもします。
啓示を受けるときは主の啓示とサタンの啓示をいつも念頭に置き、お祈りをたくさんしてサタンと悪魔を追い払わなくてはいけません。人がつばを吐いてみるとたんも混じって出てくるから区分しなくてはいけません。主の啓示が自分の考えと混じって出て来るのかよく見なくてはいけません。
2、その次に考えるべきことは、主はおひとりでいらっしゃるのに、ここでこの人に啓示したことと、あそこであの人に啓示したことが合わなかったときは、自ら自分の考えが先立って話したことだったり、そうでなければあるいはサタンや悪魔が隙につけ込んで与えた啓示だったり、一方の啓示に問題があるということです。
聖霊の恵みの働きをはじめると、恵みが自動的についてくるから勤しんで恵みと賜物を受けなくてはいけません。一つ一つ御言葉で教えてあげてこそ、各自見分けるべきことは見分けるから、話してあげるのです。啓示を受けても合っているものがあるし、間違ったものもあるし、度が過ぎて混乱することもあるから、こういう啓示は必ず節制しなくてはいけません。だから教役者たちが必ず把握してあげなくてはいけません。
ある人は、自分は主から啓示を受けているからタッチするなと言ったりもします。主から啓示を受けたらみんな聞いて恵みを受けるから良いのですが、もしかしてサタンから間違った啓示を受けるかと心配になります。だから東西南北から多角的に確認して矛盾がなくて初めてみんな一緒に聞いて一緒に主の御心を広げていくようになります。間違って受けた啓示を信じてついて行くと皆サタンの誘惑に陥ることになります。だからよく把握しなくてはいけません。
啓示を受けると自分ひとりだけ分かっているべき、自分だけに該当する啓示があります。そして全体に該当する啓示があります。全体に該当する啓示は自分ひとりだけのために与える啓示ではないから、手順を踏んで確認してもらって早く伝えてすべての人たちに知らせてあげなくてはいけません。
人間同士互いに言葉をやり取りすることも人間の中のひとつの啓示です。人の言葉もうまく受け取ってこそ思考が悪くなりません。言葉の啓示を間違って受けると思考が悪くなります。正しい話だと思って、主の御心だと思って先生の名前で話を伝える人たちもいます。絶対に先生の話なのか確認しなくてはいけません。
内容を見れば主の啓示なのか、違うのか、よりはっきりと見分けることができます。悪魔が主をよく信じて伝道をたくさんしなさいと言うでしょうか。平和にしなさい、あなたがたの罪を悔い改めなさい、悔い改めないと悪魔に従って地獄に行く、と言うでしょうか。主だから再臨を準備しなさい、悔い改めなさい、仲睦まじくしなさいと言うのです。
これから外れて全体の雰囲気を濁らせるとか、分かれ争わせるとか、恐れと恐怖を与えるとか、言葉で命令をするとか、武力ですることは全て検討しなくてはいけません。啓示に自分の性格が表れます。主は謙遜でいらっしゃり、義理があり、公平で義理がたいです。平安に啓示して下さいます。そしていつも矛盾なく理致に合う御言葉をなさいます。全ての人たちがいろいろな方法を通して啓示を聞くから、矛盾があるのかないのかよく分かるようになります。だから主は啓示を統制なさいます。
啓示も自分中心になると間違って受ける部分が生じるようになります。啓示を受けて話すからと言って話す人について行ってはいけません。主について行かなくてはいけません。そうすれば騙されません。誰が啓示の言葉を伝えても、啓示を受ける人について行ってはいけません。ひたすら主にしたがって、さらによくやって、その御言葉通りにすればいいです。啓示を受ける人が自分について来なさいと言うなら、それは間違った人です。啓示を受ける人もただ主について行かなくてはいけません。
サタンはほとんど99%変装をします。御言葉を見て見分けなくてはいけません。サタンは結局自分たちの国サタン国へ引っ張って行きます。最初は正しい道へ行くようであっても結局別の道へ行きます。だから分かるようになります。
啓示を受ける人たちがいてとても良いですが、絶対に無秩序にしてはいけません。主が先生に、主が下さった啓示ではないと言ったものが何種類かあります。主がおっしゃったことに合わなければ主の啓示ではないから、すぐに全体に広告されるでしょう。
3、主が啓示して下さることを受けることばかり楽しんで心を傾けないで、彼らが完全な啓示を受けるように主に祈ってあげ、サタンと悪霊が侵犯できないようにしっかり祈ってあげなくてはいけません。
聖霊集会に参加して恵みを受けようとばかりしないで、リバイバル講師のために必ず祈ってあげなくてはいけません。主が聖霊と共に恵みを注いで下さるように、リバイバル講師のために祈ってあげなくてはいけません。そうしてこそ健康的に能力を発揮することができます。霊力を下さいと祈ってあげなくてはいけません。
そして教会の教役者たちのためにいつも祈ってあげなくてはいけません。
4、主はある一人の人だけでなく、個性どおりに各肢体にその使命に従って啓示を与えなくてはならないので、多くの人に啓示なさいます。主に訊いてみると主は「これは啓示したが、あれはしていない。」とおっしゃいます。分かってみるとサタンが誘惑したりもするし、自分の霊が自ら啓示したりもするし、自分の考えなのに啓示だと言ったものであると分かります。
5、主の啓示を受けた人たちは皆その内容を確認した後に叫ばせようと、送ってきたものを確認しています。続けて精密に報告して下さい。啓示を受けたことやある問題について報告したのに返事が来ないからといって「たいしたものではないから返事が来ないのか。別の人が報告して処理されたのか。」と言わないで、返事が来るときまで報告しなくてはいけません。そうしてこそ答えをもらいます。
お祈りも同じです。一度、二度、一週間、あるいは一ヶ月ずつ切に求めなくてはいけません。一度手紙を書いて返事をもらうことを願う人は、薄っぺらな心を持った人です。そういう精神と忍耐と常識で天国の救いを成すことができるでしょうか。300通の手紙を書いたのに先生の返事をもらえなかった人もいます。主は結局その人を先生の仕事を助けながら数ヶ月間一緒にいるようにして下さいました。男性です。
霊界はあまりにも膨大でものすごいところなので想像することができません。主の心も想像することができないほど広く多様です。
主の御言葉を聴いてみましょうか。
主は「祈りを深くしてこそさらに霊界に入って行って私の啓示を分かるようになる。心配しないで祈りを深くしなさい。」とおっしゃいました。
主が啓示なさると、シスター・アンナを守って下さったように、主は御言葉でいつも守って下さり、天使を通して守って下さいます。先生も守ってよく見て分析してあげます。主は先生に、誰に啓示を与えたと話して下さいます。ある人が啓示を受けたのを見ると自分の霊の話も混じっているし、主の啓示も混じっています。神様も啓示なさいます。三位の神様でいらっしゃり、神様の霊を注いで下さったから、神様の霊が啓示なさることもあります。
主は切実に祈る人たちに静かに隠密に悟るようにその心の中に啓示して下さいます。過去にこれまでいつも教えてあげたことを悟らなくてはいけません。主が語られると私たちの心にその御言葉が悟りとして聞こえると言いました。摂理歴史の過去30年間、主は先生を通して耳が広くなるように語られ、教えて下さいました。これを皆深く悟って理解しようとしないから分からずに育ったのです。本当に悟ることを願います。
主はご自身の御心を目的として来られ、近く接して下さり、恵みを下さり、愛して下さり、聖霊の働きを起こして下さっています。その目的は再臨の目的です。ただ再臨を目的として働きかけて下さっています。悔い改めさせ、赦して下さり、聖霊の熱い火を受けさせて下さり、あらゆる恵みを下さって啓示して下さっています。
ところが人々は終末に恵みを下さる主の目的と心情を分かっていません。本当に分かって、主をやきもきさせないようにしなくてはいけません。今は恵みの干ばつの時です。このように聖霊の働きを起こして下さる時ではありません。一人の男性が一人の女性を愛して、愛のためにそのようにしているのです。この不景気の時に愛でなければそのように注いでくれません。主もただ再臨のためにこの恵みの不景気の時に聖霊の働きを起こされるのです。だから本当に貴い時です。
主が恵みを下さるから受けて悔い改めてきれいにし、主の愛を受けて愛の新婦になりなさいということです。ところが恵みを受けて精神が生きて勇気を出し、他のことをする人たちがいます。落とし穴に落ちて死ぬ人を生かしてあげると、自分の行く道ばかり行くのです。だから本当に腹が立ちます。これから落とし穴に落ちたら見向きもしないように考えが変わります。あまりにも無情な人たちが摂理にたくさんいます。死ぬ人を生かしてあげたのに世の中に向かって肉的なことに溺れて生きてはいけません。
主は啓示を受ける人たちを通して心情をお話しになり、叫ぶ人たちを通してその考えと心情を熱く叫ばせていらっしゃいます。結局主が再臨することを悟って悔い改めきれいにして迎えなさいということです。迎えたら主の愛を悟るようになり、主がこの時代に行なわれることに従ってするようになります。
前にもなかったし後にもない、本当に驚くべき患難と災難が地球上に迫る前に、主は再臨の準備を完全にしなさいとおっしゃいます。再臨の準備を完全にして患難を避け、主を迎えて一緒に行こうということです。主は心情が痛んで、啓示する人たちによって啓示なさり、叫ぶ人たちによって叫ばれるから、本当に他のことを考えてはいけません。ひたすら主を迎えて一体とならせるためです。
用意する時に主を迎えられなければ、主が本当に再臨なさるときに迎えられません。用意するときにほとんど決定するのです。「過程の中で私を迎える人が再臨のときも私を迎える。」と言ったでしょう。だから主はこれまで準備した人たちをすべて動員して啓示もなさり、叫ばせもなさるのです。先生には緊張しながら全体を鋭く見るように、主の御心通りにこのようにさせたりもなさいました。
恵みを受けても、聖霊の火を受けても、ただ信仰生活をよくさせるために下さったと思って生きる人たちがまだたくさんいます。主の新婦として完全に準備し、主が願われることを分かって接しながら、主と一体となって生きなさいと、恵みと聖霊の賜物を下さったことを知らなくてはいけません。そうでなければそれを主が願われるとおりに使うことができず、もったいなく終わるようになります。主が願われるとおりにしてこそさらに続けて働きかけられます。
啓示を受けた人たちも、啓示を伝えるときに主の心に合わせてその心情を込めて伝えなくてはいけません。深刻に、精密に、あるいは緊迫して、恐れとおののきで、真摯に、時には穏やかに、時には強く伝えなくてはいけません。聞く人たちも同じです。よく聞いて従順し、光を放たなくてはいけません。
聖父、神様の全知全能さと、聖子イエス様の愛と、聖霊様の感動、感化と熱い働きが満ちることを祝福します。アァメン。
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本文 ルカによる福音書12:42-50、57-59
主、神様の恵みと平安を祈ります。
御言葉は啓示です。啓示を正しく受けるには何度も聖書を読まなくてはいけません。「主はどうして私には啓示を下さらないのか。」と言ってばかりいないで、深く祈らなくてはいけません。数日前、明け方の祈りの中で主がおっしゃるには「聖書を何度も読み、また読めば、聖書に必ず記録すべきことなのに記録できなかったことまでも悟るようになる。」とおっしゃいました。そして「御言葉を覚えても御言葉に関心を持たなければ、ちょうど自分が愛する人を連れて歩きながらも愛して使わないのと同じだ。」とおっしゃいました。
聖書をどれだけたくさん読んだか、数を数えながら読むのが目的ではありません。何度も読めば読むほど深いことを悟ろうとしなくてはいけないし、結局はその御言葉通りに実践することが目的です。砂一粒ほどのものからとても大きな地球や宇宙に至るまで、実践してこそ信じることができます。
主は「実践者は偉大だ。」とおっしゃいました。実践する人は以前より成長しています。だから実践する人のことが分かります。
よく人々は自分が好きなことを散々やっておいて、散々苦労した後になってやっと主の御言葉が正しいということを悟ってから、その時から分かって実践し、悔い改めて、残りの人生を主の御心通りに生きます。だから気をつけてうまくやらなくてはいけません。
今この時間も神様と主が啓示なさる御言葉を記録して送って叫ばせています。先生を通して主が啓示しておっしゃったことを壇上で叫ばせ、主はその啓示の御言葉をよく聴いているか眺めていらっしゃいます。天使たちは聴く人たちの心まですべての状況を記録しています。皆さん個人にそれぞれついて回る天使がすべての状況をまるでビデオに録画するように精密に記録しています。しばらくして礼拝が終わると天使たちが記録したことを全て天の国に持って行って神様に報告します。ある人は、多くの人々のことを神様がすべて見ることができるのかと言います。いらぬ心配をします。霊的に見ると、天の国の一日は人間の国の千年です。このように差があるから地球上68億人の状況をいっぺんに報告しても天の国では瞬間に処理されます。
先におっしゃったとおり、主の啓示は主日の御言葉と水曜の御言葉と明け方の御言葉に出て行きます。そして平素に皆さんが聖書を読む時に悟らせ、生活の中で万物で啓示なさり、自分が経験するときに自ら悟らせ、夢で啓示したりもなさるし、時には兄弟たちを通しても啓示なさり、啓示を受ける人たちを通して啓示なさり、リバイバル講師を通して啓示なさり、聖霊で悟るように感動させて啓示なさいます。
啓示を受ける人たちは、受けても自分自らの心にあることが悟られることなのか、悪魔が啓示することなのか、悪霊が啓示することなのか、主が啓示なさることなのかと恐れ心配します。聞いてみれば普遍的に分かるようになります。行ってみれば分かるようになります。最後まで行ってみればサタンの啓示なのか、主の啓示なのか分かるようになります。
道を行くときも、自分が行く道が合っているのか、最後まで行ってみれば結局わかるようになります。これと同じく最後まで行ってみれば真の啓示なのか、偽の啓示なのか分かるようになります。しかしそれまで啓示を間違って受けて、間違って認識して行なったことが問題です。
今から啓示について悟れるようにしばらく御言葉を伝えてあげましょう。
主は啓示を受ける人たちをずっと前から誰にも知られないようにそれなりに錬達させられました。啓示を受ける人たちは啓示を受けるまで苦痛と苦しみとあらゆる逆境を味わっていきさつが非常にたくさんあります。その苦痛を聞いてみると「ああ!だから主はあの人にあのような啓示を下さったんだ。」と思うようになります。
先生も主の啓示を受けるには平素より肉体の苦痛が大きくなります。どれだけさらに条件を立て、どれだけさらに困難に遭わなくてはならないか、皆さんは分からないでしょう。サタンがひどく苦しめ妨害するので戦って打ち勝たなくてはいけません。また受けた啓示を伝えなくてはいけません。
主が皆さんにいろいろと啓示して下さることを悟って、今日も主日の壇上で出る啓示の御言葉をよく聴いて悟って実践しなくてはいけません。
特別に壇上で叫ぶリバイバル講師たちと、啓示を受ける人たちのためにお祈りをたくさんしてあげなくてはいけません。リバイバル講師と啓示を受ける人は、その人に合う使命を与えるために主がお育てになりました。突然使命を与えて叫ばせたように思えますが、全くそうではありません。それまでいろいろいきさつと事情を経験しました。リバイバル講師や啓示を受ける人たちだけでなく、主がお使いになる人たちも皆同じです。
啓示を受ける人たちは主から啓示を受けながら、前から主が自分に対してそのように働きかけてこられたことを悟るようになります。それに従って主が話して下さるので、特別に啓示を受ける人だけ分かるようになります。他の人たちは経験していないから分かりません。リバイバル講師もそうです。
啓示を受けるとすべきことがたくさんあります。その啓示を伝えると、聴く人たちが皆「主よ!」と言って受け入れるわけではないから、その御言葉通りに簡単に成されるわけではありません。それに伴う苦痛があり、混沌に陥るようになったりもします。主が啓示なさっても現実にはその御言葉通りに成されなかったりもします。だから「この啓示は合っているのか。」と考えるようになります。
啓示を受ける人だけでなく、主の仕事をする人たちは皆同じです。祈るときはよく答えを受けたのに、現実にはそのとおりに成されないときがあります。だから「無駄な啓示、無駄な答えをもらったのか。」と疑ったりもします。
啓示を受けてお祈りの答えを受けたからと言って全て成されるのではありません。主も栄光の主として来られたけれど、世の中が邪悪で受け入れなくて十字架を負ったように、うまくいくと答えをもらっても、人々が受け入れず責任を果たせないことによって難しくなったりもします。だから自分も辛くて責任を果たせず、思うようにいかないときがあります。
啓示を間違って受けて成されなかったのではありません。もちろんある人は啓示を間違って受けて成されないこともあります。これをよく見分けなくてはいけません。誰でも生活の中で、夢の中で、大なり小なり啓示を受けるから、よく見分けなくてはいけません。啓示を解く方法を知らなくてはいけません。
1、サタンと悪霊は正しいことを言っているようでも100%正しい話はできません。よくサタンと悪霊は兄弟を指摘します。主の前に罪のない人はいないから、主の御名を出して罪を指摘するとうなずかざるを得ません。そしてサタンは分けて引き裂く話をします。そして人の弱点を引っ張り出して話すから「現実もそうだから主の啓示が当たっているなあ。」と思うようになります。しかし神様の御言葉の原本である聖書を見ると、そうではありません。神様の御言葉は「赦しと容認」です。聖書どおりに啓示するなら合っています。
サタンと悪霊たちは自分の方法でするから詳しく見れば結局分かります。矛盾がある啓示を見ると、平素自分の心にあることなのに、啓示を受けたと思います。あるいはサタンと悪霊たちから受けたためです。啓示は主が下さいますが、条件が生じ、隙があると、サタンと悪霊も与えます。また自分自ら心に考えたことを話して啓示だと言ったりもします。
啓示を受けるときは主の啓示とサタンの啓示をいつも念頭に置き、お祈りをたくさんしてサタンと悪魔を追い払わなくてはいけません。人がつばを吐いてみるとたんも混じって出てくるから区分しなくてはいけません。主の啓示が自分の考えと混じって出て来るのかよく見なくてはいけません。
2、その次に考えるべきことは、主はおひとりでいらっしゃるのに、ここでこの人に啓示したことと、あそこであの人に啓示したことが合わなかったときは、自ら自分の考えが先立って話したことだったり、そうでなければあるいはサタンや悪魔が隙につけ込んで与えた啓示だったり、一方の啓示に問題があるということです。
聖霊の恵みの働きをはじめると、恵みが自動的についてくるから勤しんで恵みと賜物を受けなくてはいけません。一つ一つ御言葉で教えてあげてこそ、各自見分けるべきことは見分けるから、話してあげるのです。啓示を受けても合っているものがあるし、間違ったものもあるし、度が過ぎて混乱することもあるから、こういう啓示は必ず節制しなくてはいけません。だから教役者たちが必ず把握してあげなくてはいけません。
ある人は、自分は主から啓示を受けているからタッチするなと言ったりもします。主から啓示を受けたらみんな聞いて恵みを受けるから良いのですが、もしかしてサタンから間違った啓示を受けるかと心配になります。だから東西南北から多角的に確認して矛盾がなくて初めてみんな一緒に聞いて一緒に主の御心を広げていくようになります。間違って受けた啓示を信じてついて行くと皆サタンの誘惑に陥ることになります。だからよく把握しなくてはいけません。
啓示を受けると自分ひとりだけ分かっているべき、自分だけに該当する啓示があります。そして全体に該当する啓示があります。全体に該当する啓示は自分ひとりだけのために与える啓示ではないから、手順を踏んで確認してもらって早く伝えてすべての人たちに知らせてあげなくてはいけません。
人間同士互いに言葉をやり取りすることも人間の中のひとつの啓示です。人の言葉もうまく受け取ってこそ思考が悪くなりません。言葉の啓示を間違って受けると思考が悪くなります。正しい話だと思って、主の御心だと思って先生の名前で話を伝える人たちもいます。絶対に先生の話なのか確認しなくてはいけません。
内容を見れば主の啓示なのか、違うのか、よりはっきりと見分けることができます。悪魔が主をよく信じて伝道をたくさんしなさいと言うでしょうか。平和にしなさい、あなたがたの罪を悔い改めなさい、悔い改めないと悪魔に従って地獄に行く、と言うでしょうか。主だから再臨を準備しなさい、悔い改めなさい、仲睦まじくしなさいと言うのです。
これから外れて全体の雰囲気を濁らせるとか、分かれ争わせるとか、恐れと恐怖を与えるとか、言葉で命令をするとか、武力ですることは全て検討しなくてはいけません。啓示に自分の性格が表れます。主は謙遜でいらっしゃり、義理があり、公平で義理がたいです。平安に啓示して下さいます。そしていつも矛盾なく理致に合う御言葉をなさいます。全ての人たちがいろいろな方法を通して啓示を聞くから、矛盾があるのかないのかよく分かるようになります。だから主は啓示を統制なさいます。
啓示も自分中心になると間違って受ける部分が生じるようになります。啓示を受けて話すからと言って話す人について行ってはいけません。主について行かなくてはいけません。そうすれば騙されません。誰が啓示の言葉を伝えても、啓示を受ける人について行ってはいけません。ひたすら主にしたがって、さらによくやって、その御言葉通りにすればいいです。啓示を受ける人が自分について来なさいと言うなら、それは間違った人です。啓示を受ける人もただ主について行かなくてはいけません。
サタンはほとんど99%変装をします。御言葉を見て見分けなくてはいけません。サタンは結局自分たちの国サタン国へ引っ張って行きます。最初は正しい道へ行くようであっても結局別の道へ行きます。だから分かるようになります。
啓示を受ける人たちがいてとても良いですが、絶対に無秩序にしてはいけません。主が先生に、主が下さった啓示ではないと言ったものが何種類かあります。主がおっしゃったことに合わなければ主の啓示ではないから、すぐに全体に広告されるでしょう。
3、主が啓示して下さることを受けることばかり楽しんで心を傾けないで、彼らが完全な啓示を受けるように主に祈ってあげ、サタンと悪霊が侵犯できないようにしっかり祈ってあげなくてはいけません。
聖霊集会に参加して恵みを受けようとばかりしないで、リバイバル講師のために必ず祈ってあげなくてはいけません。主が聖霊と共に恵みを注いで下さるように、リバイバル講師のために祈ってあげなくてはいけません。そうしてこそ健康的に能力を発揮することができます。霊力を下さいと祈ってあげなくてはいけません。
そして教会の教役者たちのためにいつも祈ってあげなくてはいけません。
4、主はある一人の人だけでなく、個性どおりに各肢体にその使命に従って啓示を与えなくてはならないので、多くの人に啓示なさいます。主に訊いてみると主は「これは啓示したが、あれはしていない。」とおっしゃいます。分かってみるとサタンが誘惑したりもするし、自分の霊が自ら啓示したりもするし、自分の考えなのに啓示だと言ったものであると分かります。
5、主の啓示を受けた人たちは皆その内容を確認した後に叫ばせようと、送ってきたものを確認しています。続けて精密に報告して下さい。啓示を受けたことやある問題について報告したのに返事が来ないからといって「たいしたものではないから返事が来ないのか。別の人が報告して処理されたのか。」と言わないで、返事が来るときまで報告しなくてはいけません。そうしてこそ答えをもらいます。
お祈りも同じです。一度、二度、一週間、あるいは一ヶ月ずつ切に求めなくてはいけません。一度手紙を書いて返事をもらうことを願う人は、薄っぺらな心を持った人です。そういう精神と忍耐と常識で天国の救いを成すことができるでしょうか。300通の手紙を書いたのに先生の返事をもらえなかった人もいます。主は結局その人を先生の仕事を助けながら数ヶ月間一緒にいるようにして下さいました。男性です。
霊界はあまりにも膨大でものすごいところなので想像することができません。主の心も想像することができないほど広く多様です。
主の御言葉を聴いてみましょうか。
主は「祈りを深くしてこそさらに霊界に入って行って私の啓示を分かるようになる。心配しないで祈りを深くしなさい。」とおっしゃいました。
主が啓示なさると、シスター・アンナを守って下さったように、主は御言葉でいつも守って下さり、天使を通して守って下さいます。先生も守ってよく見て分析してあげます。主は先生に、誰に啓示を与えたと話して下さいます。ある人が啓示を受けたのを見ると自分の霊の話も混じっているし、主の啓示も混じっています。神様も啓示なさいます。三位の神様でいらっしゃり、神様の霊を注いで下さったから、神様の霊が啓示なさることもあります。
主は切実に祈る人たちに静かに隠密に悟るようにその心の中に啓示して下さいます。過去にこれまでいつも教えてあげたことを悟らなくてはいけません。主が語られると私たちの心にその御言葉が悟りとして聞こえると言いました。摂理歴史の過去30年間、主は先生を通して耳が広くなるように語られ、教えて下さいました。これを皆深く悟って理解しようとしないから分からずに育ったのです。本当に悟ることを願います。
主はご自身の御心を目的として来られ、近く接して下さり、恵みを下さり、愛して下さり、聖霊の働きを起こして下さっています。その目的は再臨の目的です。ただ再臨を目的として働きかけて下さっています。悔い改めさせ、赦して下さり、聖霊の熱い火を受けさせて下さり、あらゆる恵みを下さって啓示して下さっています。
ところが人々は終末に恵みを下さる主の目的と心情を分かっていません。本当に分かって、主をやきもきさせないようにしなくてはいけません。今は恵みの干ばつの時です。このように聖霊の働きを起こして下さる時ではありません。一人の男性が一人の女性を愛して、愛のためにそのようにしているのです。この不景気の時に愛でなければそのように注いでくれません。主もただ再臨のためにこの恵みの不景気の時に聖霊の働きを起こされるのです。だから本当に貴い時です。
主が恵みを下さるから受けて悔い改めてきれいにし、主の愛を受けて愛の新婦になりなさいということです。ところが恵みを受けて精神が生きて勇気を出し、他のことをする人たちがいます。落とし穴に落ちて死ぬ人を生かしてあげると、自分の行く道ばかり行くのです。だから本当に腹が立ちます。これから落とし穴に落ちたら見向きもしないように考えが変わります。あまりにも無情な人たちが摂理にたくさんいます。死ぬ人を生かしてあげたのに世の中に向かって肉的なことに溺れて生きてはいけません。
主は啓示を受ける人たちを通して心情をお話しになり、叫ぶ人たちを通してその考えと心情を熱く叫ばせていらっしゃいます。結局主が再臨することを悟って悔い改めきれいにして迎えなさいということです。迎えたら主の愛を悟るようになり、主がこの時代に行なわれることに従ってするようになります。
前にもなかったし後にもない、本当に驚くべき患難と災難が地球上に迫る前に、主は再臨の準備を完全にしなさいとおっしゃいます。再臨の準備を完全にして患難を避け、主を迎えて一緒に行こうということです。主は心情が痛んで、啓示する人たちによって啓示なさり、叫ぶ人たちによって叫ばれるから、本当に他のことを考えてはいけません。ひたすら主を迎えて一体とならせるためです。
用意する時に主を迎えられなければ、主が本当に再臨なさるときに迎えられません。用意するときにほとんど決定するのです。「過程の中で私を迎える人が再臨のときも私を迎える。」と言ったでしょう。だから主はこれまで準備した人たちをすべて動員して啓示もなさり、叫ばせもなさるのです。先生には緊張しながら全体を鋭く見るように、主の御心通りにこのようにさせたりもなさいました。
恵みを受けても、聖霊の火を受けても、ただ信仰生活をよくさせるために下さったと思って生きる人たちがまだたくさんいます。主の新婦として完全に準備し、主が願われることを分かって接しながら、主と一体となって生きなさいと、恵みと聖霊の賜物を下さったことを知らなくてはいけません。そうでなければそれを主が願われるとおりに使うことができず、もったいなく終わるようになります。主が願われるとおりにしてこそさらに続けて働きかけられます。
啓示を受けた人たちも、啓示を伝えるときに主の心に合わせてその心情を込めて伝えなくてはいけません。深刻に、精密に、あるいは緊迫して、恐れとおののきで、真摯に、時には穏やかに、時には強く伝えなくてはいけません。聞く人たちも同じです。よく聞いて従順し、光を放たなくてはいけません。
聖父、神様の全知全能さと、聖子イエス様の愛と、聖霊様の感動、感化と熱い働きが満ちることを祝福します。アァメン。
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本文 コリント人への第二の手紙6:1−2、6−10
主の平安を祈ります。
神様が神様の霊を私たちの肉体に注いで下さり、主がこのように歴史を行なわれるのは、目的があります。その目的を分かって受け、下さる方の目的どおりに使わなくてはいけません。そうしてこそ十分に受けることができ、恵みと聖霊の歴史が持続し、神様の御心と個人の願いを成すようになります。
第一に、神様の霊を受けて変化し、新しくなりなさいと下さるのです。
先生はいつも主の仲保者の役割をします。主とこの世の人、特に主と摂理人たちの橋の役割をして、仲保者の使命を果たしました。そして先生は主の通訳官として主の御言葉を聞いて解いて伝えてあげ、またある事情について主と相談して摂理人たちに伝えてあげます。
主だけがメシアです。そのほかは神様と主が遣わした主の下の使命者たちです。主が予定なさり、主の御心どおりに使う人たちです。
使徒や、預言者や、士師として神様と主が必要とされるとおりにお使いになります。中心者モーセとヨシュアのように、主の前にオリブの木として立てて使うこともなさるし(黙11章)、牧師として、教える人として、あるいはリバイバル講師として、必要に応じてお使いになります。
今、主の再臨を前にして、主は摂理全体を再臨に合わせて総指揮なさり、各自の個性どおりに信仰を導いて新しく変化させていらっしゃいます。
今は主の再臨を迎えるために準備する時です。先生もこの時代の御言葉を聴いて主に付き添うことで忙しいです。皆さんもみな主と一体となって恵みの歴史を成さなくてはいけません。この時に聖霊、すなわち神様の霊を注いで下さるから必ず受けなくてはいけません。
「神様の恵みを受け神様の霊を受けて、しもべの身、旧時代、旧約から抜け出て養子の身になりなさい。」とおっしゃったように、今この時代に私たちも神様の霊を受けて生まれ変わらなくてはいけません。主が願われるとおりに変化して主の新婦の身として生きなくてはいけません。
このように私たちに神様の霊、すなわち聖霊を注いで下さり、様々な恵みを下さるのは、私たちの過去の信仰が新しく変化するためです。
第二に、全ての罪を悔い改めてきれいにし、主の再臨を迎えるためです。
第三に、私たちは世の中の邪悪さによって過酷な患難と迫害を受けながら無念な思いをさせられ、傷をたくさん受けて重い病気になりました。この時に聖霊を受けてみな癒され、健康になり、嬉しい心で主を迎える準備をし、感謝して生きなさいということです。
神様の霊、すなわち聖霊を下さる理由は先にも話しましたが、主をはっきりとメシアとして信じ、新婦として主と一体になりなさいと下さるのです。私たちに聖霊を下さるのは、まず信仰で自分を確実につくり、完全にならせるためです。個人だけでなく全体が必ず変化しなくてはいけません。和睦しなくてはいけません。恨みを抱いたことをすべて解かなくてはいけません。続けて悔い改めなくてはいけません。本当に切実に祈らなくてはいけません。
自分自身が再臨について完全に目を覚まして恵みを受け聖霊を受けたなら、伝道して命を目覚めさせ、生かさなくてはいけません。再臨を準備することが根本です。自分がまず生きることが根本です。自分がまず完全に主の新婦にならなくてはいけません。それから伝道しなくてはいけません。
伝道はする人だけがしてはいけません。摂理人たち皆がしなくてはいけません。そうしてこそ本当にものすごい人たちが伝道されて復興します。皆恵みを満ちるほど受けて、主が教えて下さって先生が伝道していたとおりにその方法でしなくてはいけません。全体が今年一人ずつ伝道するだけでも数万人を伝道することになります。特別に伝道する人たちだけがやったら一人当たり10人ずつやってもいくらにもなりません。一人10人伝道するのが早いでしょうか。全体が一人が一人ずつするのが速いでしょうか。先生が30年間してきたから分かります。数人が数十人ずつするより、全体が一人ずつするほうが大きいです。各教会は一人ずつ必ず伝道しなくてはいけません。そして新しい信者が来たらその人を通してまた伝道しなくてはいけません。人は皆つながりのある人がいます。友達のことです。知っている人は連れて来やすいです。誰でも5〜10人は知っている人がいます。
使徒パウロは伝道の門を開いて下さいと主に祈りながら伝道しました。彼は大きく二種類の方法に分けて伝道しましたが、御心ある人を聖霊に感動を受けて伝道し、街や患難の中で出会う人たちに福音を伝えました。そのようにして伝道された人たちが続けて人を連れて来ました。
伝道したら管理をよくしなくてはいけません。10段階の管理法を主が下さったので、すぐに送ります。
伝道はたゆまずしなくてはいけません。一ヶ月に一人決めておいてするとか、方法を定めて休まずしなくてはいけません。伝道することはちょうど運動場を走るのと同じで、速く走るとすぐに疲れます。
先生は10代のときから伝道しました。そして今も伝道しています。伝道するのは難しいことではありません。
−相手を把握すればより良いです。
−聖霊の能力を受けると奇跡が起こります。神様の助けの能力を受けてするからより易しいです。
−サタンは人々を見ていつも自分の民だと嘘を言ってぎゅっと握っています。サタンを追い出さなくてはいけません。
−伝道する人は相手が自分の心を傷つけるからと言って腹が立つままに話してはいけません。そうすると心はすっきりしますがその人と遠くなって、感情のせいで伝道ができません。親しく、易しくメッセージを伝えなくてはいけません。
−チラシを渡した後に反応がどうなのか見て、特に反応がなければ作り直さなくてはいけません。その時その時に必要な伝道のチラシが何であるか、人の反応を見れば分かります。
−伝道に出かけて弁論すると伝道ができません。ある人は自分が困っていると言って人生の道を導いて下さいと言う人もいるし、教会に通ってみた人たちがあまりに多くて、教会に嫌気が差したり、あるいは否定したり、あるいは教会で傷つけられて出てきた人たちもいます。あるいは仏教徒の人もいるし、あるいは宗教を嫌う人たちもたくさんいます。
中身のある伝道をしなくてはいけません。10人に声をかけて7人を教会に導いたけど、その中で結局1人だけ残ったりもします。ある人は一人を伝道したら2人が来たのですが、それは伝道された人が自分の知っている人に連絡してもう1人連れて来たのです。
伝道をして来たら教会では有能に講義をしてあげ、新しく来た人たちによく接してあげる人たちを専門的に配置しなくてはいけません。手足が同じ水準で迎えなくてはいけません。
患難が始まると伝道が本当にできません。今が伝道する時です。
恵みの集会は続けなくてはいけません。各教会も続けて聖霊の恵みを受けるように祈る人たちが集まって一緒に祈り、聖霊の恵みの集会を打ち切らずに続けなくてはいけません。
自分の霊は肉体が強くしてこそ強くなります。自分を守護する天使も本人たち自身が強く祈ってこそ強く助け、サタン、悪魔たちと戦ってくれます。自分の霊が強くなくてはいけません。恵みを受けた人たちが一緒に祈ってあげ、一緒に霊も見てあげて下さい。
幻を見て霊を見る人たちもいます。たいてい子供たちがたくさん見ます。霊を見られない人たちは霊を見る人たちのことを理解できません。分からなければああだこうだと言わないで祈ってあげて下さい。
ある日の明け方に主が現れておっしゃいました。
<主の御言葉>
これから地球が恐怖と不安で泣きながら嘆いてため息をつく時がすぐに来るし、国々は私を呼ぶが答えがない時がすぐに来る。
海が陸地に押し寄せて来て水が陸地を覆い、国々が小さな島として残り、見る人が恐れおののき、大きな山々が酒に酔った人のようによろめいて倒れ、永遠だと自負していたものが台風で飛んで行ってしまう。
地球は重傷を負って、足を引きずって歩きながら悲しく泣き、万物の霊長である人間たちのせいで神様に呪われたと言いながら悲しく泣く時が門の前に迫っている。
「お互い天国で会いましょう。」と挨拶する時間が近づいている。お金に狂い、愛に狂い、世の中に狂った人たちは「私がいつそうだったのか。私はお金、愛、世の中、すべて嫌いだ。ただ生きたい。」と言う時が来る。
この言葉は虚空に叫んでも必ず成される。私の言葉は真実で真だから伝えなさい。
これは預言のことばです。こういう日が来る前に早く準備しなくてはいけません。世の中を捨てて主と一体となって自分を完全につくり、聖霊に満ちて和睦し、一つになり、伝道もしなくてはいけません。本当に祈らなくてはいけません。讃美し神様に栄光を帰さなくてはいけません。
聖父、神様の恵みと、主イエス・キリストの慈悲と愛と、聖霊様の感動、感化、御働きが満ちることを祝福します。アァメン。
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本文 コリント人への第二の手紙6:1−2、6−10
主の平安を祈ります。
神様が神様の霊を私たちの肉体に注いで下さり、主がこのように歴史を行なわれるのは、目的があります。その目的を分かって受け、下さる方の目的どおりに使わなくてはいけません。そうしてこそ十分に受けることができ、恵みと聖霊の歴史が持続し、神様の御心と個人の願いを成すようになります。
第一に、神様の霊を受けて変化し、新しくなりなさいと下さるのです。
先生はいつも主の仲保者の役割をします。主とこの世の人、特に主と摂理人たちの橋の役割をして、仲保者の使命を果たしました。そして先生は主の通訳官として主の御言葉を聞いて解いて伝えてあげ、またある事情について主と相談して摂理人たちに伝えてあげます。
主だけがメシアです。そのほかは神様と主が遣わした主の下の使命者たちです。主が予定なさり、主の御心どおりに使う人たちです。
使徒や、預言者や、士師として神様と主が必要とされるとおりにお使いになります。中心者モーセとヨシュアのように、主の前にオリブの木として立てて使うこともなさるし(黙11章)、牧師として、教える人として、あるいはリバイバル講師として、必要に応じてお使いになります。
今、主の再臨を前にして、主は摂理全体を再臨に合わせて総指揮なさり、各自の個性どおりに信仰を導いて新しく変化させていらっしゃいます。
今は主の再臨を迎えるために準備する時です。先生もこの時代の御言葉を聴いて主に付き添うことで忙しいです。皆さんもみな主と一体となって恵みの歴史を成さなくてはいけません。この時に聖霊、すなわち神様の霊を注いで下さるから必ず受けなくてはいけません。
「神様の恵みを受け神様の霊を受けて、しもべの身、旧時代、旧約から抜け出て養子の身になりなさい。」とおっしゃったように、今この時代に私たちも神様の霊を受けて生まれ変わらなくてはいけません。主が願われるとおりに変化して主の新婦の身として生きなくてはいけません。
このように私たちに神様の霊、すなわち聖霊を注いで下さり、様々な恵みを下さるのは、私たちの過去の信仰が新しく変化するためです。
第二に、全ての罪を悔い改めてきれいにし、主の再臨を迎えるためです。
第三に、私たちは世の中の邪悪さによって過酷な患難と迫害を受けながら無念な思いをさせられ、傷をたくさん受けて重い病気になりました。この時に聖霊を受けてみな癒され、健康になり、嬉しい心で主を迎える準備をし、感謝して生きなさいということです。
神様の霊、すなわち聖霊を下さる理由は先にも話しましたが、主をはっきりとメシアとして信じ、新婦として主と一体になりなさいと下さるのです。私たちに聖霊を下さるのは、まず信仰で自分を確実につくり、完全にならせるためです。個人だけでなく全体が必ず変化しなくてはいけません。和睦しなくてはいけません。恨みを抱いたことをすべて解かなくてはいけません。続けて悔い改めなくてはいけません。本当に切実に祈らなくてはいけません。
自分自身が再臨について完全に目を覚まして恵みを受け聖霊を受けたなら、伝道して命を目覚めさせ、生かさなくてはいけません。再臨を準備することが根本です。自分がまず生きることが根本です。自分がまず完全に主の新婦にならなくてはいけません。それから伝道しなくてはいけません。
伝道はする人だけがしてはいけません。摂理人たち皆がしなくてはいけません。そうしてこそ本当にものすごい人たちが伝道されて復興します。皆恵みを満ちるほど受けて、主が教えて下さって先生が伝道していたとおりにその方法でしなくてはいけません。全体が今年一人ずつ伝道するだけでも数万人を伝道することになります。特別に伝道する人たちだけがやったら一人当たり10人ずつやってもいくらにもなりません。一人10人伝道するのが早いでしょうか。全体が一人が一人ずつするのが速いでしょうか。先生が30年間してきたから分かります。数人が数十人ずつするより、全体が一人ずつするほうが大きいです。各教会は一人ずつ必ず伝道しなくてはいけません。そして新しい信者が来たらその人を通してまた伝道しなくてはいけません。人は皆つながりのある人がいます。友達のことです。知っている人は連れて来やすいです。誰でも5〜10人は知っている人がいます。
使徒パウロは伝道の門を開いて下さいと主に祈りながら伝道しました。彼は大きく二種類の方法に分けて伝道しましたが、御心ある人を聖霊に感動を受けて伝道し、街や患難の中で出会う人たちに福音を伝えました。そのようにして伝道された人たちが続けて人を連れて来ました。
伝道したら管理をよくしなくてはいけません。10段階の管理法を主が下さったので、すぐに送ります。
伝道はたゆまずしなくてはいけません。一ヶ月に一人決めておいてするとか、方法を定めて休まずしなくてはいけません。伝道することはちょうど運動場を走るのと同じで、速く走るとすぐに疲れます。
先生は10代のときから伝道しました。そして今も伝道しています。伝道するのは難しいことではありません。
−相手を把握すればより良いです。
−聖霊の能力を受けると奇跡が起こります。神様の助けの能力を受けてするからより易しいです。
−サタンは人々を見ていつも自分の民だと嘘を言ってぎゅっと握っています。サタンを追い出さなくてはいけません。
−伝道する人は相手が自分の心を傷つけるからと言って腹が立つままに話してはいけません。そうすると心はすっきりしますがその人と遠くなって、感情のせいで伝道ができません。親しく、易しくメッセージを伝えなくてはいけません。
−チラシを渡した後に反応がどうなのか見て、特に反応がなければ作り直さなくてはいけません。その時その時に必要な伝道のチラシが何であるか、人の反応を見れば分かります。
−伝道に出かけて弁論すると伝道ができません。ある人は自分が困っていると言って人生の道を導いて下さいと言う人もいるし、教会に通ってみた人たちがあまりに多くて、教会に嫌気が差したり、あるいは否定したり、あるいは教会で傷つけられて出てきた人たちもいます。あるいは仏教徒の人もいるし、あるいは宗教を嫌う人たちもたくさんいます。
中身のある伝道をしなくてはいけません。10人に声をかけて7人を教会に導いたけど、その中で結局1人だけ残ったりもします。ある人は一人を伝道したら2人が来たのですが、それは伝道された人が自分の知っている人に連絡してもう1人連れて来たのです。
伝道をして来たら教会では有能に講義をしてあげ、新しく来た人たちによく接してあげる人たちを専門的に配置しなくてはいけません。手足が同じ水準で迎えなくてはいけません。
患難が始まると伝道が本当にできません。今が伝道する時です。
恵みの集会は続けなくてはいけません。各教会も続けて聖霊の恵みを受けるように祈る人たちが集まって一緒に祈り、聖霊の恵みの集会を打ち切らずに続けなくてはいけません。
自分の霊は肉体が強くしてこそ強くなります。自分を守護する天使も本人たち自身が強く祈ってこそ強く助け、サタン、悪魔たちと戦ってくれます。自分の霊が強くなくてはいけません。恵みを受けた人たちが一緒に祈ってあげ、一緒に霊も見てあげて下さい。
幻を見て霊を見る人たちもいます。たいてい子供たちがたくさん見ます。霊を見られない人たちは霊を見る人たちのことを理解できません。分からなければああだこうだと言わないで祈ってあげて下さい。
ある日の明け方に主が現れておっしゃいました。
<主の御言葉>
これから地球が恐怖と不安で泣きながら嘆いてため息をつく時がすぐに来るし、国々は私を呼ぶが答えがない時がすぐに来る。
海が陸地に押し寄せて来て水が陸地を覆い、国々が小さな島として残り、見る人が恐れおののき、大きな山々が酒に酔った人のようによろめいて倒れ、永遠だと自負していたものが台風で飛んで行ってしまう。
地球は重傷を負って、足を引きずって歩きながら悲しく泣き、万物の霊長である人間たちのせいで神様に呪われたと言いながら悲しく泣く時が門の前に迫っている。
「お互い天国で会いましょう。」と挨拶する時間が近づいている。お金に狂い、愛に狂い、世の中に狂った人たちは「私がいつそうだったのか。私はお金、愛、世の中、すべて嫌いだ。ただ生きたい。」と言う時が来る。
この言葉は虚空に叫んでも必ず成される。私の言葉は真実で真だから伝えなさい。
これは預言のことばです。こういう日が来る前に早く準備しなくてはいけません。世の中を捨てて主と一体となって自分を完全につくり、聖霊に満ちて和睦し、一つになり、伝道もしなくてはいけません。本当に祈らなくてはいけません。讃美し神様に栄光を帰さなくてはいけません。
聖父、神様の恵みと、主イエス・キリストの慈悲と愛と、聖霊様の感動、感化、御働きが満ちることを祝福します。アァメン。
元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
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