摂理のほんやくコンニャク
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CATEGORY : 御言葉
<2009年6月14日 主日の御言葉>
DATE : 2009-06-17-Wed  Trackback 0  Comment 0
主にぴったりくっついて生きる時だ
本文 ヨハネによる福音書15:4−5

神様の愛と主の恵みと慈悲と聖霊の熱い御働きが御言葉によってさらに充満することを祈ります。

この時は主の再臨の時です。人々が行なったとおりによりいっそう次第にひどくなり、民族が騒がしくなるでしょう。風の音と波の音が極めて激しくなるでしょう。皆恐れるでしょう。
主は「すでに患難が始まった。」とおっしゃいました。季節の時になると必ず寒波が押し寄せ、雨が降り注ぐということは予想することですが、これから降り注ぐのは毎年来る梅雨時の雨でもなく吹雪でもありません。私たちが全く予想できないほど降り注ぐでしょう。
寒気に本当に気をつけなくてはいけません。この時に聖霊の恵みを受けて急いで準備しなくてはいけません。それが逃れることです。全世界は平和が渡り鳥のように飛んで行ってしまい、カラスばかり群れを成して鳴くでしょう。本当に祈らなくてはいけません。吹雪が吹かずずっと春の日が来るようにすることはできないでしょう。
季節が来るとその季節に該当する雪や雨が降り注ぎます。それを止めることはできません。ただ主はこのようにおっしゃいました。
「祈りなさい。今ほど祈りが必要な時はなかった。聖霊を受けなさい。最後に私があなたがたのために瞬間来たから、最後にこの機会を逃すな。今はソドムの地に住んでいたロトが天使に会った日の夜のような時だ。天使の言葉を聞いても逃れなかった人たちは皆滅ぼされた。この時代に私が話す御言葉をもって叫ぶ人を通して伝える言葉を聞いても守らなければ肉と霊が救われるだろうか。」
これから患難の吹雪が吹くし、風雨が次第に強く吹き付けるでしょう。
主は「その日はもう避けることができなくなった。あなたがたの人生はそのように定まった。この世が天にそのように接したのだ。平和の夢を成そうと北側から自発的に行なっていたことなのに、なぜ北側は自分たちがその平和を放棄して瞬間冷たく変わってしまい氷のように冷たくなったのだろうか。自分たちも分からないだろう。」
この御言葉通りに彼らは嫌がりながらもしなくてはならない運命になりました。
主は「エルサレムよ!めんどりがひよこを抱くようにしたのにあなたがたは私が遣わした使役者たちの懐へは来たがらなかった。今はあなたがたは荒廃するだろう。この時代もそうだ、祈ればただその日を減らして下さるだろう。あなたがたが祈って神様が減らして下さらないなら残るものはないだろう。」とおっしゃいました。
この時代が責任を果たしたなら、南北が区切られず徐々に一つの体になるように主は働きかけられたでしょう。今は一つの体の中で上半身の心と下半身の心が変わりました。対話すれば誤解が解け、同じ心になります。これからの天気を見ると、民族に風雨と吹雪がたくさん吹き荒れるでしょう。皆自分の生のために祈る時です。
神様が遣わした人に冷たく接するとどの時代でも皆同じです。世の中のあることは、将来にそのようなことが起こるから予め見せて下さることもあります。すると後にその通りに同じことが起こります。もう一つは、時代や民族が責任を果たせなかったときに起こる患難だったけれど、義人の祈りによって運命が左右されることもあります。
どの時代でも待っていた人たちが、神様が遣わした使命者に無知で接してその人が使命を果たせないと、使命者は苦痛の十字架の道を行くことになります。それで終わるのではなく、各自の責任を果たせなかった個人や民族はさらに代価を受けることになります。
イエス様がイスカリオテのユダに「私はあなたが責任を果たせなくて、記録されたとおりに苦難の道を行くが、あなたは人の子にそのように接したから災いがあるだろう。」とおっしゃいました。この時代もイスカリオテのユダのようになってしまいました。

今日主は皆さんに「患難の前に聖霊の印を押して頂きなさい。今はやく私が教えてあげたとおりにしなさい。」とおっしゃいました。主が眠りを起こされなくても本人が分かって早く起きて祈り、生活の中で聖霊の火を切らさないで、聖霊の火が消えた人は兄弟たちと一緒に祈ってまた点けなさいとおっしゃいました。

主に「将来にこのように患難が訪れるでしょうが、建物も建てて伝道をすべきでしょうか。」と訊きました。これに対して主は「功績をたくさん積めば天の国に持って行くから、死ぬその日が明日になっても自分のすべきことは必ずしなくてはいけない。」と言いました。
皆、先に話した冷たい風、風雨、台風の比喩を悟って下さい。

「私は主に仕えて生きるから幸せな人」だと歌を歌っています。憎まれてもついて来る人たちがとても良くしてくれるから、私は本当に幸せな人です。
兄弟を憎むなと主があんなにもおっしゃったのに、聖書の御言葉を守らないで生きる大きな村の人たちは、本当に大きな困難が迫って来ることも知らず、主が前途に必ず来られるのかもよく分かっていません。
憎み、血気を表し、出まかせにしゃべるときは内心すっきりするでしょう。ストレスが解けるでしょう。ところが心は嬉しくないのをみんな経験したことがあるでしょう。川の向こうの大きな村の年老いた人たちの心もそうです。冷たく接したから、その行いどおりに冷たく接した人たちには夏にさらに冷たい風が激しく吹きつけるでしょう。私たちは聖霊の熱い火によって寒くないでしょう。
隠れた患難は患難の前日までも分かりません。患難のその日とその時は誰も分からないから、ただ事前に祈らなくてはいけません。風が強く吹くと大きな松の木々が揺れ、吹雪が吹くと松葉が枯葉に変わりはしませんが、寒くてぶるぶる震えるでしょう。山火事が起こると大きな木でも燃えてしまいます。黒い松も青い松も皆燃えるでしょう。

皆さんは人々に過酷に接しては絶対にいけません。特に神様の人々に冷たく過酷に接してはいけません。天国に行ってみると、主を信じる人たちが主に悪口を言ったこともたくさんあります。これは主が遣わした人を悪く言い、過酷に接した行いのせいです。
神様の人々に過酷に接するとその行いどおりに報いて下さいます。そうすると逃れることができません。主はご自分を遣わした人に冷酷に接し、悪口を言い、逆らうことを一番お嫌いになります。「私はそういう人たちから顔を背け、そういう人たちには御心がないからそのまま離れる。」とおっしゃいました。主は使役者を使って一緒に行かれます。
兄弟同士いくら間違ったことも今までのことを許そうと決心すれば何でもありません。敵を愛してみてこそ先生の心を分かるようになります。私たちの前に死亡の道と命の道があるのに今までのことを許すことができませんか。私たちはひたすらサタンと戦わなくてはいけません。兄弟たちと戦わないで悪い霊たちと戦わなくてはいけません。
これから兄弟たちを変な目で見ないで、互いに主に接するように変わらなくてはいけません。落とし穴に落ちた人や落胆した人たちの手紙をもらって先生が助けに行っているから、皆さんの心のままにその人に石を投げたら結局私に当たることになります。だから兄弟たちに石を投げず、睨み付けないで下さい。
摂理の人たちは本当に幸せな人たちです。主が来られる前に主が直々に来られて聖霊集会を導いて下さり、一つ一つ掴んで下さるから、どんなに幸せですか。これまで世の中の多くの患難に打ち勝ち、30年間主に丁重に仕えてきたからです。主が既に行く所を決めておかれて、今私たちに働きかけられ、共になさっているから、摂理歴史最高の奇跡の時です。本当に祝福されました。この時に主を歓迎して皆飛び込まなくてはいけません。
肉体が機会を逃すと一生後悔しなくてはいけませんが、霊的な機会を逃すと永遠に後悔しなくてはいけません。自分は本当にそうではないのに見る人たちが良く言わないで横目でにらんだら、目を閉じ耳をふさいで主だけについて行けばいいです。人は腹が立つととんでもないことを言います。

最後に主が私に明け方に話して下さったことをまた話してあげなさいとおっしゃったので、伝えてあげますから、よく聴いて下さい。

1、自分の十字架を負って行く人は主がご覧になるとき本当に美しい人だ。さらに美しい人は他人の十字架まで黙って喜んで負って行く人だ。

2、現在の信仰が生きていて、精神が生きている人は、過去に主が自分にどのように接して下さったのか悟るようになり、現在も主がどのように接して下さっているのか分かる。

3、今は歴史のクライマックスだ。恵みと啓示と聖霊の働きと御言葉だ。この時が過ぎると私たち同士互いに聖霊の火を点けてあげなくてはいけない。この時に自分の荷を全て下ろしてしまい、新婦の服に着替えなくてはいけない。

4、主にぴったりついて回ってこそその風で全てのことを超越し容易くすることができる。
−主の恵みを受けて主にくっついて行ってこそその風の勢いで全てのことを超越し、飛び回るということです。
そうすると不可能なこともできるし、患難と迫害にも打ち勝つということです。主と離れた人は自分の力で自分が熱心にやって自ら長所と短所を悟ってついて来なくてはならないと言いました。
主にぴったりとついて行けば主が行なわれることを直接見てついて行くようになるが、主と離れた人は聖霊様の感動で感じながらついて行かなくてはならないと言いました。主にぴったりついて行けば主の風で超越して目で見ながら行くようになりますが、主と離れた人は自ら力を尽くして行い、風を起こして行かなくてはいけないと言いました。このようにするとあまりにも大変です。自分が眠りも起こさなくてはいけないし、いろいろと大変です。

5、聖霊に会うと感動を受けて熱くなり、神様に会うと能力が来て大胆になり、主に会うと愛らしくて嬉しく、無条件良い。主は「見えなくてもそうだと思いなさい。」とおっしゃいました。
−主は私たちの愛なので私たちに会うと恋人に接するようになさいます。見えなくてもそのように感じられます。まるで自分の愛する恋人に会った時のように働かれます。

神様の全知全能さと、主の恵みと愛と、聖霊様の熱い働きと感動、感化が全ての人々に満ちることを祝福します。アァメン。




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