摂理のほんやくコンニャク
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CATEGORY : 御言葉
<2009年6月7日 主日の御言葉>
DATE : 2009-06-08-Mon  Trackback 0  Comment 1
なぜお祈りをしなくてはいけないのか

本文 テサロニケ人への第一の手紙5:16−18

神様の愛と主の平安を祈ります。
主は十字架で万民の罪の代わりに亡くなり、その霊で霊獄にいる霊たちに福音をお伝えになりました。人々の肉は従順でなかったので裁かれて死にましたが、その霊はイエス様がお伝えになる福音を聴いて神様に従って生きるようになるためだと言いました。
(ペテロ?3:18−20)『キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。』
(ペテロ?4:6)『死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。』
彼らはノアの時代に神様の御言葉にずっと従順しないで水で裁かれ、その肉体が生を全うできずに早く死んだ人たちの霊です。主は彼らのために神様の慈悲と哀れみによって福音を伝えて下さったのです。主が福音をお伝えになってもこの世の現実と同じく彼らもやはり信じませんでした。

自分が乗るべき車に乗れなかったのに、他の車がまだあると思ってはいけません。車はもう遅れずに時間に合わせて出発します。皆さんはこれに該当しないので、絶対にペテロの第一の手紙3:18〜20と4:6にある御言葉に未練を置かないで下さい。
私たちは今、現実において肉体が霊と一緒に救われて生きてこそ天国を確信することのできる時代に生きています。もう最後の瞬間の時間しかありません。この時間に皆さんの霊が確実に救いを成すようにしなくてはいけません。余命がまだ数年残っているとしてもそれを計算しないで下さい。

イエス様はこの世にいらっしゃったとき、3年間福音をお伝えになり、公生涯の歴史をお広げになりました。その時イエス様はバプテスマのヨハネが言ったとおりに御言葉と恵みの火で人々にバプテスマをお授けになりました。イエスが十字架で亡くなって復活なさり、昇天なさった後に、聖霊の歴史が起こりました。弟子たちはその時になってやっと聖霊の火を受け、主の心情と根本を悟り、悔い改め、命を捧げて叫び、福音を広げていきました。
この時代もそれと同じです。聖父神様は全知全能で治められます。聖子イエス様は人間をお救いになり、人間の罪を贖って下さいます。聖霊様は母性神として感動させ、私たちを育てて下さり、和睦させ、すべきことをおさせになり、福音を伝えさせ、火のように熱く働かれます。その熱い愛を火で表現なさって、私たちが神様の御心を広げていくようにして下さいます。三位の神様でいらっしゃいます。
父と母と子供たちが一体となって一つの家庭のことを十分にやっていくように、三位体が一体となって見えるこの地球の家庭のことと見えないあの天国の家庭の全てのことをしていかれます。

先生が以前には明け方3時に祈るだけでも私が好きな車がピカピカして私を待っていました。運転手は私の前に車を持って来て「お乗り下さい。」と言って私を乗せ、望む場所に降ろして行きました。

最近は明け方2時30分に起きて準備し、3時に祈ると自転車が私の前にあります。その上運転手もいなくて、私が自分で足でペダルを回して力いっぱいこがなくてはいけませんでした。
主に言いました。「主よ、年を取ったから以前と同じではありません。数日前に二日徹夜したので、時間が大きく狂っています。」
主が静かにおっしゃいました。「アブラハムは100歳でイサクを産んだのではないか。」
これに私は「主よ、言うべき言葉がありません。明日は遅くまで祈るとしても早く起きます。」と言いました。
その翌日、主と約束したとおりに起きると、やっと明け方の2時10分前でした。「今日はティコにでも乗れるだろう。」と思って熱心に祈りました。ところがオートバイを私の前に持って来てありました。本当に衝撃でした。

どうしてお祈りをしなくてはいけないのか、主がおっしゃった御言葉を伝えてあげましょう。

1、祈ってこそ主と近くなり、主と深い心の対話が成されます。
−皆やってみたでしょう。ある人は、主と対話をせず、一人で自分の心と対話をやり取りする人もいます。だから悪霊や悪魔が入ってきてつぶやいているのか、必ず確認して分別しなくてはいけません。

2、祈ってこそ聖霊の感動の働きが起こります。
−感動を受けることは始動がかかるということです。

3、祈ってこそ私たちの天敵であるサタン、悪魔、悪霊たちを撃退できます。

4、祈ってこそ今年の標語のように新しく変化を受けます。
−先生の霊が各教会を巡ってみると、変化していない人たちが見えます。先生が行っても分かりません。「あの人誰?」と言います。水と聖霊で生まれ変わって神霊な霊に変化をしなくてはいけません。

5、祈ってこそもらうようになります。

6、祈ると兄弟が違って見え、愛らしく見え、憎らしく見えません。

7、祈ってこそ神様の心を分かり、主の心を分かり、先生の心を分かり、兄弟たちの心を分かって、正しく、より良く接するようになります。

8、それぞれの人々にはおのおの守護天使がいます。祈ってこそ守護天使たちが勇気を出して能力を発揮し、サタンや悪霊と戦って私たちからサタンと悪霊を追い出してくれます。

10、祈ると神霊になり、知恵深くなり、聡明になり、精神が生き返り、腐った人生を生きなくなります。

11、祈ると世の中を遠ざけ、主を第1順位に置いて生きるようになります。

12、祈ると速い雲になるように、速い風になります。

13、祈ると自分が過去に間違って生きたことを悔い改めるようになります。そしてこれを証して他の人たちに罪を犯さないように話してあげたい心が衝動的に起こって耐えられません。祈ると祈らない人たちをもどかしくて見ていられません。

14、祈ると罪を犯さなくなることもあります。

ここで「お祈りはなぜしなくてはいけないか」についての御言葉を終わります。

主神様の恵みと能力と御言葉と、主イエス・キリストの愛と御言葉と、聖霊様の感動・感化と御働きと大きな恵みが、この御言葉を聞いて行なうすべての人たちにいっそう共にすることを、聖父、聖子、聖霊の御名で祝福します。アァメン。




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