摂理のほんやくコンニャク
世界の摂理は広い!摂理の海外情報を勝手にほんやくするブログです。
CATEGORY : 御言葉
<2009年5月24日 主日の御言葉>
DATE : 2009-05-26-Tue  Trackback 0  Comment 1
昨日は用意し今日は迎える

本文 マタイによる福音書24:44

参考聖句 ヨハネによる福音書17章


神様が恵みを下さる絶対的な目的があります。個人の願いを成し、それまで願っていたことを成させようという目的があります。また神様と主が願われる御心をこの時代に最後に成すための目的があります。

主はいろいろと聖霊の働きをなさいます。結局この時代に主を迎えるための御心が最も大きいです。主を迎えられるように神様の恵みと聖霊の祝福を受け、きれいに悔い改めて準備しなくてはいけません。

譬えるなら、恵みはお金のようなものです。ある時は夢でお金をもらうのを見たりもします。これは恵みを受けることです。ある男性がいて、結婚式まで一週間を残して最後に自分の新婦に会いました。それで準備できていないことがあれば早く準備しなさいとお金を与えました。「もう私も準備しなくてはいけないから遠い道のりを来ることはできません。だからこのお金で最後に準備すべきことを全て準備して下さい。」と言いました。

主の再臨の時も、結婚式を控えた新郎のような立場です。だから主は恵みと聖霊の賜物を一緒に下さって「最後に準備できていないことを早く準備しなさい。私も今行ったら次は天使長と共に来るために準備しなくてはいけないから、来ることはできない。今早く最後に準備しなさい。」とおっしゃいます。

今は最後に準備する期間です。今は主が少しの間いらっしゃって、私たちができていないことをさせて下さり、コーチして下さり、落胆した心を整理し奮い起こして下さり、助けて下さる期間です。今は「時」です。この時に準備すべきことは聖霊の恵みを受けてこそ悟れます。

恵みと聖霊を無駄に受けてはいけません。聖霊の火がさめないように貴く思わなくてはいけません。天下に一つしかない宝物のように、恋人のように思わなくてはいけません。その恵みによって神様も主もしっかりつかんで奪われず、兄弟たちもしっかりつかんで一人も奪われないようにしなくてはいけません。

聖霊の恵みは心の天国を作ってくれるし、将来の障害物もなくしてくれるし、悪の茨の藪も燃やし、蜂のように刺す悪い人たちを滅ぼしつくし、悪魔たちを滅ぼし、伝道がうまくいくようにし、管理がうまくいくようにし、全てのことを思い通りにしてくれます。夢を成させてくれます。

「恵み」は神様です。聖霊様です。主です。神様と聖霊様と主を感じなさいと恵みをくれるのです。罪を燃やし力と能力を受けなさいと熱い火をもって現れます。

家庭でもお父さんがすることが別にあり、お母さんがすることが別にあり、兄弟たちがすることが別にあります。しかし家庭に有益を与えることは同じです。

神様の働き、聖霊の働き、主の働き、全て神様が働かれながら、聖父、聖子、聖霊の三位が一つとなって行なわれます。火の熱さを感じても、ある時は神様が感じられ、神様が来られたようでもあるし、ある時は主が感じられ、主が来られたようでもあるし、ある時は聖霊様が感じられ、聖霊が来られたようでもあります。全て三位の神様が働かれます。三位の聖霊様が働かれます。三位のイエス様が働かれます。

「聖霊」は神様の真理の霊だと言いました。

(ヨハネ14:16−17)『〔16〕わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。〔17〕それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。』

(ヨハネ15:26)『わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。』

だから聖霊は真理を悟らせて下さり、教えて下さいます。聖霊が来られると、熱い火の働きを起こされます。そして聖霊は感動の神なので、感動を与えます。聖霊を受けると病気が治ります。奇跡が起こります。皆同じ神様が働かれます。

イエス様はこの世に来られて33年間地上で神様の歴史を広げながら人々にお見せになり、彼らと一緒に暮らしました。だから神霊な神性の身ですが、今も人々によく見せて下さいます。

しかし神様の本体は見るのが難しいです。象徴的にお見せになり、感じるようになさり、悟りによって見せて下さるだけです。特別な人でなければその姿を見ることはできません。ヨハネの黙示録4〜5章を見ると、御座にいますかたについて出てきます。これを信じて思い浮かべながら神様を感じて見て考えるだけです。

聖霊も同じです。聖書で「聖霊」について「神様の真理の霊」だと言っています。ヨハネの黙示録22:1には「御霊も花嫁も共に言った。」とあります。

(黙22:17)『御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ。」また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。』

創世記1:26で「われわれの形に、われわれにかたどって人を造ろう。」とおっしゃった御言葉で「われわれ」は神様と聖霊様と主であると私たちは学びました。

(創1:26)『神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう。」』

イエス様はこの世に来られる前から、地球が生じる前から存在していらっしゃいました。天の国にいらっしゃって、この世に来られたのです。皆さんはこの御言葉を聞いたでしょう。主は全知全能な方です。

ヨハネによる福音書17:5に、これについての御言葉が出ているから、読んでみましょう。

(ヨハネ17:5)『父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。』

ある日、明け方1時に祈っていると、主が「昨日は用意し今日は迎える。」とおっしゃいました。

これはどういう御言葉なのか、よく聴いてみて下さい。

「昨日は用意し今日は迎える。」という言葉は「昨日用意してこそ今日主を迎えることができる。」ということです。必ず主がおっしゃった通りに用意してこそ今日主を迎えることができるとおっしゃいました。昨日完全にきれいに用意してこそ今日主を迎えるようになります。個人に縮小しておっしゃったのです。

昨日は用意し今日は迎えるように、拡大して見るとき、そのように用意した人だけがこれから主の再臨を迎えるということです。

イエス様の初臨の時を見てみましょう。イスラエルにイエス様の肉体が直接現れたときも、昨日のような時代に生きていた旧約の人たち、すなわちユダヤ宗教人たちは用意できなくてイエス様を迎えられませんでした。これと同じくキリスト教2000年の歴史の間に生きてきた人たちも、現時代のクリスチャンたちも、私たち皆も、再臨の時に従って主がさせる通りに用意しなくては主を迎えられないということです。

主はおっしゃいました。「本当に知りなさい。私の再臨を一体誰が迎えるのか気になるのか。教えてやるな。昨日準備した人が私を迎えるように、毎日そのようにする人であってこそこれからある私の再臨を迎えるようになる。平素信仰だ。」とおっしゃいました。

今日の御言葉の核心である「用意してこそ主を迎える。」という御言葉を伝えます。

聖書の歴史を見ると、用意しなくては神様を迎えられませんでした。用意できなくて迎えられなかった所はみな滅ぼされました。ロトの時代のソドムの地も用意できなくて滅びたし、ノアの時代にも用意しなかった人たちは滅ぼされました。特にイエス様の時代にはメシアを迎えるように用意すべき人たちがメシアを不信し迫害したので裁かれてしまいました。

地球村の現実を見ても、神様の裁きを受ける姿を、ニュースを通して皆見ました。この時代にも主を迎えるための用意をできなかった人が、用意する人たちと争い、彼らを不信したので裁かれて生きています。不信は悪魔の働きです。

縮小して絶対に毎日用意して主を迎える人が、拡大した歴史の再臨の時に主を迎えるとおっしゃいました。絶対に昨日は用意する日であり、今日は主を迎える日です。信じますか。アァメン!これをできない人は主が再臨なさっても迎えられないと言いました。

先生も昨日は忙しくて用意できませんでした。だから今日明け方に絶対に主を迎えられませんでした。当然でしょう。分かってみると主が来られてそのまま行かれたのでした。主が行かれたことを分かってやきもきする私をご覧になって、主はおっしゃいました。

「明け方に起きるからと言って私を迎えるのではない。昨日準備をしっかりして明け方に待っていてこそ私を迎える。私が来る前にしっかり用意してこそ私を迎える。ちょうど道路に出て行って車に乗ろうと待って立っていてこそ車に乗ることができるように、昨日しっかり準備して明け方ふさわしい時間に起きて私を待っていてこそ迎える。」

今日は主の再臨を迎える人たちがどのようにすれば迎えることができるのか教えてあげました。全てのことをこれと同じくこのようにしなくてはいけないと言いました。

「昨日は用意し今日は迎える。」という御言葉を必ず行なわなくてはいけません。そうしてこそ主を迎えるようになります。

誰かが「神様の手」について啓示を受けました。皆さんも聞いてみたでしょう。明け方にものすごい手が空中で見えたかと思うと地上に落ちたというのです。その手は「神様の手」を意味します。手が地上に落ちたということは、「世の中の時が終わった。裁きだ。」という意味です。

神様の手が上って行った時は用意し悔い改める期間であり、下りて行った時は全てのことが終わって裁きの時間に替わったのです。その時は悔い改めても悔い改めとして認めてくれず、罪も贖われません。だから早く命をかけて、体面を考えないで、何よりまず悔い改めなさいということです。

主が「神様に時を延長して下さいと祈らないで、早く準備することに努めなさい。忠誠を尽くしなさい。これ以上延長はない。」とおっしゃいました。

今日の御言葉の核心は「昨日は用意し今日は迎える。」です。この御言葉を暗記して毎日行なって生きてこそ、盗人のように来られる主を個人的に迎え、これから定まった日、再臨の時にも主をそのように迎えると言いました。必ず守って行なわなくてはいけません。

実践することがどれほど難しいのか、一度実践してみて下さい。主が「実践する人は再臨の時に私を迎える人だ。」とおっしゃいました。

聖父、神様の愛と主の慈悲と恵みと御言葉が充満し、聖霊様の感動と熱い御働きが充満することを祝福します。アァメン。





元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
page top
CATEGORY : チョウンソリ
土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。
DATE : 2009-05-22-Fri  Trackback 0  Comment 0
科学コラム 文:クォン・ヨンワン博士

土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。

人間を始めとする大部分の生物を構成しているたんぱく質を作るには、アミノ酸たった20種類だけが必要である。これらのアミノ酸が正確な順序で連結してこそ一つのたんぱく質が作られ、このたんぱく質が人体だけで100万種類にもなるという。そしてこれらの特別な順序で連結したアミノ酸がまた特別な形でつながっていてこそ、適切な機能を発揮することができる。このたんぱく質をつくるのがDNAだ。DNAの中に入っている命の設計図がRNAに転写され、このRNAが20種類のアミノ酸を持って生命体に必要な様々なたんぱく質を正確な順序どおりに作り出す。地球上の全ての植物と動物を多様につくっているその全てのものの中心にはDNAがある。DNAには生命体それぞれについての全ての情報が入っているのである。先生は、神様が地球上の生命体を遺伝子で創造なさったとおっしゃった。つまり、生命の種がすなわち遺伝子DNAなのである。種は命の最も基本単位だ。種がなければ木が存在することはできない。地球上に存在する全ての植物と動物は、その形と種類がみな異なる。サルも種類がとても多様で多く、海に棲むクジラとサメも、空を飛ぶ鳥たちも、様々な形と習性を持っている。動物園や植物園に行くと、寒帯地方から熱帯地方まで、様々な動物と植物を代表的なものだけ連れて来て見物できるようにしてある。一つずつ見て回ると、とても不思議ではないか。

DNAは直径が2nm(1nmは10−9m)に過ぎず、長さは生命体によって異なるが、人間の場合には1.5mくらいである。その中に入っている情報は、A4用紙に文字の大きさ10ポイントでぎっしり詰めて1000ページの1350巻に該当する量が入っている。ところがそれほど多くの情報が平常には精巧に閉じられて細胞内の染色体の中に入っていて、必要であれば使用されるというから、驚きだ。一日に約5%の情報の細胞が消滅しては再び作られる。約一ヶ月が過ぎると私たちの体の全ての細胞は新しい細胞に変わる。そのとき新しい細胞を作り出すたびに、この細胞の中のDNAは複製され続け、再び新しい細胞の中に次回の複製のために保管される。神様が地球を創造なさり、創世記1:11−12の御言葉で、地をして地上に青草と種をもつ草と木をはえさせられたと言っているし、創世記1:20−25を見ると、その次に魚類と鳥類、そして陸上の動物を全て創造なさったと言っている。聖書を見ると「地が植物をはえさせ、地は生物をその種類にしたがってはえさせ…」とある。普通、今までの科学者たちは生命の根源を海と見ていたが、先生は、生命体は土と水と温度が合えば生命体が生じるとおっしゃった。たとえば、寒帯地方の氷を溶かして熱帯地方の環境で維持し続けてやると熱帯地方で生える木々が生じ、温帯地方の温度では温帯地方の植物が生じるとおっしゃった。つまり、温度と水が土に適切に作用すると生命体が生じるということになる。どうしてそんなことが起こり得るのだろうか。土の中にいったい何が入っていて、生命体がつくられるのだろうか。

土は岩石や動植物の遺骸が長い期間の浸食と風化を経て生成された、地を構成する物質だ。土は粒の大きさが非常に小さい。砂利、砂、および粘土を区分する基準は粒の大きさだ。原則的に砂利は直径が2mm以上の粒のことを言い、砂は2〜1/16mmまでを言い、粘土は1/16mm以下と見る。土の平均組成は、もちろん地域によって異なるが、水が30%、ミネラルが47.5%、空気が20.4%、有機物2.0%、そして生きている有機体が0.1%程度である。ある人は、ミネラルの表面には非常に小さな穴があって、この穴に生命を作るのに必要な前駆物質が、太陽の紫外線を避けて安全に保管されていると主張している。では、この生命の前駆物質である水とアミノ酸、たんぱく質、DNAを構成する化学物質等はいつどのようにつくられたのだろうか。水は、太陽系が生成されるときに一緒に生成され、隕石と共に地球に落ちて海を形成した。ところがそのときに落ちた隕石には水だけが含まれていたのではなく、70余種にもなるアミノ酸が含まれていた。そしてDNAやRNAを構成する物質も、隕石が存在する環境と同じ条件でよく生成されるということを、NASAの研究陣が発見した。

1953年、ミラーはフラスコに若干の水(原始の海に該当)とメタン、アンモニア、硫化水素という気体の混合物(初期の地球の大気に該当)が入ったフラスコをゴム管でつないだ後に放電(雷に該当)を起こし、アミノ酸のような有機物を作り出した。それを見て人々は、初期の地球と同じ大気の条件でアミノ酸がつくられるのだといって喜んだ。しかしその実験は、現在の多くの科学者たちがその実験の可能性に疑問を提起している。なぜなら、初期の地球の大気は反応性が低い窒素と二酸化炭素が混合されていて、ミラーの実験よりはるかに反応性が低かったので、原始的なアミノ酸が作られただけでなく、作られたアミノ酸も当時の地球の環境と同じく、巨大な火山が爆発して塩酸や硫酸のような物質がいっぱいの環境で保存されるのは難しく、すぐに分解されてしまうからだ。ところがマーチソン隕石から数十種のアミノ酸とたんぱく質が発見され、宇宙の外から生命に必要な多くの化合物が生成され得るということを発見した。これは生命が作られるための根源物質は宇宙で生成されて隕石の中に入っていて、水と共に地球上に落ちたということだ。実際に宇宙が生命に必要な物質を作る化学工場だということになる。そうすると、初期の地球の大気には水と共に多くの生命の前駆物質が存在していて、地上に落ちて冷えた地の上の多くのミネラルの中に有害な紫外線からうまく保管されていて、それぞれに合う温度で生命体を作り出したということが説得力を得ることになる。現在の科学者たちの主張の中で、宇宙に生命体の起源があるという宇宙胞子説は、こういった前駆物質が初めから宇宙でDNAをつくって地球に落としたのであろうということに根拠を置いている。しかし先生ははっきりと、生命体は土から生じたとイエス様がおっしゃったと言い、聖書にも地が植物と動物、魚類と鳥類を生じたと出ている。そして人間も土で創造したとおっしゃった。
いずれにせよ、今、土の中には生命をつくることのできる物質がいっぱい入っているということになる。では、一体どうやってその材料を持って生命をつくることができるのだろうか。RNAがあればたんぱく質をつくることができ、たんぱく質があれば生命体をつくることができる。そしてこれらのたんぱく質が酵素をつくって触媒作用をし、再びDNAをつくって複製することもできる。ところが最近はこういった酵素の役割をRNAが果たすこともできるということが明らかになった。これを明らかにした人々は、ノーベル賞を受賞する栄光を享受したりもした。

また別の興味深い結果は、2006年に有名な科学雑誌であるJACSに発表されたが、Ferris教授が粘土の中から多く発見されるモンモリロナイト(montmorillonites)というミネラルを触媒として使い、RNAオリゴ(50mer)を合成することに成功した。それで実際に粘土の中でRNAとDNAがつくられ得るという主張をした。そして最近ロバート・ハーゼンという科学者が、方解石がアミノ酸を左手型と右手型に区分することができるということを明らかにした。右手と左手を見ると、親指、人差し指、中指、薬指、小指が、数も形も同じである。ところが配列された順序が異なる。左手は小指が一番左側にあり、親指が一番右側にある。右手は親指が一番左側だ。このように、配列された順序だけが異なるアミノ酸が、右手と左手のようにあり、これを左手型、右手型に区分する。ところが化学的な方法で合成をすると、右手型と左手型が一緒に作られ、区分し切るのが容易ではない。ところで生命体を構成するたんぱく質は、不思議にも全て左手型のアミノ酸だけで構成されている。先に述べたミラーの実験でも、左手型と右手型を区分して作り出すことができず、隕石から発見された多くのアミノ酸も左手型と右手型が共に入っていた。ところが方解石で実験してみると、方解石の互いに異なる表面に、左手型と右手型が別々に吸着されているという事実が明らかになったのである。これは、生命体の誕生に、地面を構成する土の中のミネラルが非常に重要な役割を果たしているということを暗示している。まだ多くの連結の輪がさらに明らかにされなくてはならないが、粘土のミネラルの中でRNAが合成されると、RNAがアミノ酸を特別な順序に従って生命体に必要なたんぱく質をつくることができるようになる。そしてRNAが触媒として作用したり、粘土の中のミネラルが触媒として作用して、生命の種であるDNAがつくられる。先生がおっしゃった、土と水と温度が生命体を作るという御言葉は、化学反応で考えると、土の中に入っているアデニン、グアニン、シトシン、チミン、そしてウラシルといった、DNAとRNAの前駆物質が、粘土の中のモンモリロナイトのようなミネラルが適正な温度で触媒作用によって水を溶媒として生命の設計図であるDNAを作り出すことができるということになる。そしてこれらのDNAが各生命の設計図をRNAに転写して生命体に必要なたんぱく質を作り出し、最終的に生命体が誕生したのであろう。いまや土から生命体が生じうる可能性についての連結の輪が少し見えるようだ。しかしこれからも容易に生命の全ての秘密を解明するのは容易くはないだろう。現在の人類の学問の水準は、神様が施された生命の神秘を解き明かすには、盲目の人が象を触って解明するくらいの水準に過ぎないと思われる。

ともあれ、私たちは神様が与えて下さった美しい地球に住んでいる。創世記1:26−30に、神様はこの全てのものを創造し、人間に食物として下さったとある。ある人々は、どうして苦労した農夫、漁師たちに感謝しないで神様に感謝するのかという。神様がこの全ての植物と動物、魚類と鳥類を創造なさらなかったなら、人類がこの世の中に存在することができるだろうか。人間の体を維持するのに必ず必要なアミノ酸やビタミン等は、直接私たちの体で生成されないので、植物や動物が合成したものを摂取しなくてはならない。神様は植物や動物をして人間が必要なものを作らせ、人間は必要な分を摂取するように、法則として定めておかれた。私たちは毎日少なくとも二食以上の食事をして、野菜や果物、肉類や魚類等を楽しむ。私たちは食べる前に、日用の糧を下さった神様に必ず感謝のお祈りをすべきだ。もし神様が野菜や木を先に創造なさらず、人類を先に創造なさったなら、どうなっていただろうか。人類が生存することができただろうか。必要な順序に従って創造なさり、準備なさったのに、信じない人たちは自ら生じたと言うから理屈に合わない。
創世記2:7に「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」とある。神様は人類の肉体だけ創造なさったのではなく、霊魂も創造なさった。霊魂も進化の産物だとは誰も言えないだろう。ただ人間だけが霊魂を持っている。神様は肉体と霊魂を持った、この世の中で最も高貴な存在として、人間を創造なさった。神様は肉の糧を予め豊富に供えられて肉を創造なさったように、私たちの霊のためにも糧を豊富に準備なさった。今も神様は、農夫が田んぼにあふれるほど水を満たすように、私たちの霊魂に神様の命の御言葉を豊富に満たして下さっている。命の水のような真理の御言葉は、私たちの霊魂を蘇らせ、復活させ、結局私たちの人生を変化させ、救いに至らせる。値なしに下さる神様のとても大きな恵みだと言わざるを得ない。私たちは、肉の世界と霊の世界に至るまで、この全てのものを計画なさり豊富に与えて下さったすばらしい神様に、この世とあの世の終わりの日まで、感謝に感謝を重ねても足りないだろう。




摂理の月刊誌2008年10月号より
この記事は、こちらのサイトでも読むことができます。http://cgm.or.kr/
page top
CATEGORY : 御言葉
〔2009年5月17日 主日の御言葉〕イエス様を分からない人は失敗する
DATE : 2009-05-19-Tue  Trackback 0  Comment 0
〔本文〕
コリント人への第一の手紙2:8

主の平安を祈ります。
全知全能な神様の愛と主の恵みと真理が充満することを祈ります。

ハレルヤ!御言葉を始めます。

いつの時代、誰でも、イエス様を分からないから失敗するようになります。地獄も分からないから行くし、天国も分からないから行けません。地獄も正しく分かれば行かないし、天国も正しく分かれば行くようになります。
イスラエル民族とその時代の人たちは、主を分かりませんでした。
その時代に主を分かって信じて従った人たちは狭い道へ行ったし、そうでない人たちは広い道へ行きました。
主を知ることが永遠な喜びであり、永遠な幸せです。
幸せも知らなければそれが幸せなのか分からないものです。主を正しく分からなくてはいけません。
主の心、心情を正しく分からなくてはいけません。
正しく分からなくては正しく行なえないものです。
聖書に主がおっしゃったことをよく読んでみて下さい。
深刻に切実に主が私たち各自に言ったことだと分かって読んでみて下さい。
主が見えなくても信じて行ない、主の御言葉なのか必ず確認して行なわなくてはいけません。
主が見えなくても固い信仰の上に立って祈らなくてはいけません。

主を最優先順位に置いて生きなくてはいけません。私たちも兄弟たちが心を分かってくれず、自分のことを後回しにするとしたら、どんなに心が痛むでしょうか。だから主はどれほどでしょうか。
主を「王の王、主の主、救い主イエス」と呼び、信じて従う人たちが、世の中で生きる時は自分を中心として自分を最優先順位に置いて生きています。
自分を救った人は中間に置いて、あるいは一番最後に置いて生きています。
主を分からなくて生きると誰でも失敗するようになります。これは永遠な失敗です。
主がどのように生きられたのか、その方の体になって生きてみてこそ、主について分かるものです。
主を分からなければ永遠な失敗です。
主についてもっと分からなくてはいけません。
祈ってみて下さい。深い段階に入ったとき、悟るでしょう。
「主の心を分かっていませんでした。」と言って心から悔い改めなくてはいけません。
私たちが主に話したことは時に従って成して下さり、守って下さったのに、私たちは主の言葉をどれだけ成し、守ったのか、再び考えてみなくてはいけません。
険しい世の中に暮らしながら主の御言葉を守るのは難しいですが、主の御言葉は命だから守らなくてはいけません。守らずに生きるなら人生を容易く苦労せず生きるようでも、後には永遠に後悔するようになります。

世の中で分かって行なう人が真に幸せな人です。世の中に主の御言葉のように価値があり、尊い言葉がどこにありますか。その尊い言葉を聴いて行なう人だけがそのように尊い人になるのです。
私たちは主を分からなくて人生の将来と現実に失敗して生きます。
何が人生の永遠な成功ですか。肉体の人生が瞬間うまくいったことを成功した人生だと思いますか。その栄華は花と同じです。一瞬の成功が成功ですか。
永遠な成功、永遠な勝利をして生きなくてはいけません。
主の御言葉を命のように思って行なってみて下さい。
そうすれば誰でも永遠な成功をするようになります。
人生の勝利者になるのです。




元記事はこちらですhttp://www.hananim.or.kr/mboard.php?bcode=god_word&mode=read&page=1&cat=&part=&keyword=&bidx=111437
page top
CATEGORY : 御言葉
<2009年5月10日 主日の御言葉>
DATE : 2009-05-11-Mon  Trackback 0  Comment 0
自分が同意しない限り地獄へ落ちない

本文 ペテロの第一の手紙3:10
詩篇141:3
詩篇34:13


主の御言葉の中に、シスター・アンナに啓示して下さりながら、全世界の人たちが知るべきだとおっしゃった御言葉があります。
「自分の同意なしには誰も地獄に行かない。」
主は「あなたがた自身が承諾しなければ本当に地獄に行かない。」とおっしゃいました。
その不法を自分の心に承諾せず、行いもしないことが「同意しない」という意味です。
誰でも世の全てのことの中で自分が好きなことは自分の心に承諾して行なうようになります。ほとんど全ての人たちが、自分が好きで行ないます。ところがもしそれが神様と主の法に外れるとそれによって地獄に行くことになります。
自分が好きで心に同意して喜んで行なったことでも、神様と主の法に外れたことであれば罪になります。それを悔い改めないと、実際に自分が好きで同意したことによって地獄に行くことになるのです。
このように地獄へ行く生活を免れる道は、ただそれが罪であることを認め、主が救い主でいらっしゃるから絶対に主を信じ、知らなかったと悔い改めることです。地獄を免れると天国へ行きます。
ある人たちは、イエス様を信じても信じるだけであって、自分の肉体が好きなことをことごとく行なって生きます。実際、主を離れた死んだ信仰の生き方です。
主は毎日おびただしい数の人たちが地獄の火の海へ落ちるのをご覧になって「みな自分が好きで同意して行い、地獄に行く。」とおっしゃったのです。
主の御言葉を聞くとき、このことを必ず知っていなくてはいけません。主の心苦しい心情を必ず知らなくてはいけません。その深く深い御言葉を必ず知らなくてはいけません。知らずに行なってそのようになるのです。人間は99%知らずに生きています。
私たちの人生の中で私たちが地獄に行くことを承諾して行なったから地獄に行くということです。
主を信じながらも主が願われないことを自分が好きで行なったのです。
自分が承諾して同意した生き方をして、結局地獄へ行きます。彼らが悔い改めて主のところへ戻って来るということは奇跡でしょう。変化して生まれ変わるということがどれほど難しいことなのか知らなくてはいけません。
主がこの世にいらっしゃったときも、ユダヤ人たちを見てこのようにおっしゃいました。
「なぜうわべだけを飾るのか。なぜ形式で行動するのか。」
また弟子たちにおっしゃいました。
「彼らの行為を見習うな。私を信じてついて来るあなたがたもどうして言うばかりで行わないのか。私の言葉を聴いて行なう人は岩の上に家を建てたのと同じで、雨が降り、洪水が起こっても崩れない。私の言葉を聴いても行なわない人は砂の上に家を建てたのと同じで、雨が降り、洪水が起こると崩れ方がひどいだろう。信じて行なう人が救われる。」
家を建てることでも、世の中のことでも、決心だけしてじっとしていると妄想の考えで終わってしまいます。行なえば苦痛も受けますが、得られ、実際になされ、存在させるようになります。
主を単純に信じるだけでは苦痛も特にありません。だから形式的に信じるだけの人たちが多いです。主の御心どおりに行なおうとすると苦しいから行なわず、自分の好きな通りに行う人が多いのです。しかし信じるだけでは人生の中でも肉的に得られるものがないし、霊的にも救いを得ることができません。何でももがきと苦痛の中で得られます。
神様を畏れることを知らなくてはいけません。主を愛と慈悲の主とばかり思わないで下さい。主が手を引いたらすぐに別の世界です。主は愛と慈悲を施し最後まで忍んでお待ちになります。私たちが地獄に行けないように、主がしっかりつかんでいらっしゃれば地獄に行く人がたったの一人もいません。しかし私たちが自ら行なってこそ主がお助けになります。
なぜ、主がそれほど気をもんで地獄に行けないようになさっても人々は地獄に行くのでしょうか。私たちがしないからです。必ず私たちがしなくてはいけません。
悪魔の全ての行為は主の御言葉によって暴露されました。下品で卑しいしわざ、汚いしわざ、永遠に呪われるしわざを行なう悪魔たちについて知るようになりました。
主が御言葉の恵みを下さるこの時、義人たちを苦しめる悪人たちと悪魔たちのことを悟ってひたすら主と一体となって生きなくてはいけません。信じますか。アァメン!
天国は良いだけにその分、犠牲を払わなくてはいけないし、その法を守らなくてはいけません。ところが守ったら直ちに苦痛です。自分がしたいことを思い通りにできないからです。無条件、主の法を守ってこそ天国へ行くようになります。患難、苦痛、無念な思いによって本当に地獄の苦痛を味わってこそ、天国へ行くようになります。本当に主に従って世の中に打ち勝ち、狭い命の道を行かなくてはいけません。
主は私に「苦しくても私に従って命の道を行かなくてはいけない。そうしてこそあなたも救いの道へ行く。あなたについて来る人たちも命の御言葉を聴くようになり、命の道へ行く。」とおっしゃいました。
主は深刻におっしゃいました。「天国に行くには私の御言葉を守らなくてはいけないから、世の中で地獄の苦痛を受けて生きることになる。地獄は、世の中で天国のように自分の思い通りに生きて容易く行く所だ。」と、このように警告なさいました。
御言葉が正しいのではありませんか。本当にこの御言葉どおりに生きる人たちになることを、主の御名によって祝福します!




元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
page top
私の言葉は命だから守りなさい

本文 ヨハネによる福音書6:48、14:6、14:15、15:10、20:31、マタイによる福音書19:17


神様とイエス様が遣わした使命者たちは、主の精神に従って、世の中が自分たちがしたい通りにしたとしても絶対に屈せず行ないました。世の中が閉じ込めればそこで神様が働かれるとおりに御心を広げました。神様と主に属した人たちは、肉体を奪われてもその霊が永遠な天の国に行くので恐れることがありません。彼らの精神と思想はものすごいです。神様は彼らを遣わされ、すべきことを行なわれます。神様の御心でない道は死亡の道です。苦労しても命の道へ行くべきです。

イエス様はリンダを通して主の再臨を準備するようになさいました。天国の全てのものを準備して、いくらも残っていないことを警告し、天国に入る人々の名簿を呼んでくれるように、「引き上げられない人」について一つ一つ話して下さいました。1)くだらないうわさを立てる人、2)憎しみと悪意の心を抱いている人、3)赦さない心を持った人、4)全ての人々に対して哀れみが満ちていない人、5)失われた人、痛手を負った人、苦痛を受けている人たちに対して慈悲と哀れみを持たない人、6)イエス様が人々を判断し、自分の許しを通して罪をすすがれて悔い改めてあげるように長い時間祈らない人、7)世の中と世の中にあるものを愛する人、テレビや他の世俗的なものに中毒になっている人、8)肉体にしたがって情欲を持って肉体のことを愛する人、9)イエス様の真実な使役を中傷し、あざ笑い、嘲弄して悔い改めない人、10)世の中のことを楽しみ溺れて遅くまでそこにとどまり、イエス様を最後に置く人、11)他の人を色欲の目で眺める人や、他の人に属するものを貪ったり嫉妬しながら追い求める人、12)イエス様を最優先順位に置かない人がそこに該当します。

イエス様は深い悲しみで悔い改めて求め、全ての悪について許しを求め、敵までも愛して彼らのために祈って祝福し、戒めを重要に思ってその御言葉に従順しなさいとおっしゃっています。

恵みの時は早く過ぎ去るだろうし、延期する時限の終わりが迅速に迫って来ています。

イエス様の再臨の御言葉をいつも胸に抱いて一つ一つ行わなくてはいけません。毎日、毎時間、主を求めて呼び、話さなくてはいけません。主は全知全能な神でいらっしゃいます。




元記事はこちらですhttp://cgm.or.kr/
page top
Copyright © 2005 摂理のほんやくコンニャク. all rights reserved.