健康コラム 文:ホン・ハナ(聴覚学博士修了)
耳のある者は聞くがよい
「耳のある者は聞くがよい(マタイによる福音書13:9、43、ヨハネの黙示録2:7)」、「聞く耳のある者は聞くがよい(マルコによる福音書4:9、ルカによる福音書8:8、14:35)」聖書を見るとこの言葉が本当にたくさん出てくる。耳があるから聞くのは当然だが、聖書ではこれを強調している。ここで耳は二種類を意味する。肉的な耳と霊的な耳。まず肉があるから神様の御言葉を伝えてくれる時代の代言者を通して聞かなくてはいけないし、これを聞いて霊的に覚めてその御言葉の根本を悟らなくてはいけないだろう。霊と肉が全て祝福されうまくいく成約時代を生きていく私たちにとって、この二種類の意味は非常に重要だ。聞くということは耳を傾けて理解し、心を開いて従順するという意味だ。さらには聞くということは命と祝福を意味し、聞かないことは裁きを意味する。ヨハネによる福音書5:24を見ると「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」とある。まずは聞いて信じることだ。ローマ人への手紙のまた別の聖句では、「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」と言った。まず聞くことができてこそ信仰を持つことができるという意味だ。それでイエス様は耳の聞こえない人たちを哀れに思われ天を仰いでため息をつき、「エパタ(開く)」とおっしゃって治して下さる働きもあった(マルコによる福音書7:34)。
肉で聞くことができ、時代の御言葉を聞く耳がある今、私たちにはそんなに難しい御言葉ではないだろう。むしろ祝福の御言葉であり、感謝の御言葉だ。しかしこの祝福と感謝を続けていくのは各自の責任分担だ。誰でも家族や友達の中に聴覚障害者がいれば、時代の御言葉を伝えたくても伝えられない困難を理解するだろう。現代の学問は障害の前でそれ以上障害者と正常者に区分しない。いつ誰に訪れるか分からない数多くの事故と、知り得ない病気が増えている今、私たちは正常という単語の代わりに非障害者と障害者に区分する。だとすれば祝福の時代に非障害者として生きていく責任分担を果たすために私たちはどんな予防と対策が必要なのだろうか。
音はどのように聞こえるのか
耳には二種類の器官がある。よく知っている聞くこと、聴覚を担当する蝸牛があり、もう一つ体の均衡を保ってくれる三半規管がある。まず聴覚器官は外部から伝達される音が外耳で集められ、外耳道を過ぎて鼓膜を振動させ、鼓室内の三個の小さな骨を動かし、この運動は蝸牛の中の有毛細胞を刺激するようになり、有毛細胞はこれを電気的な信号に変えて聴神経に伝達し、脳に到達して音として解析するようになる。このように音が伝達される過程で外耳や中耳、内耳の中のある一箇所でも異常があると音が弱く聞こえたり話し声の区別が難しくなって相手方との対話に支障を来す。
高齢化時代、老人の慢性疾患の3位、難聴
聴神経の損傷はただ聞こえないという問題だけでなく、意思疎通にとって一番大切な対話音の分別を難しくする。つまり、正確に聞き分けられなくて的外れな答えをするという間違いを犯すことになる。中耳炎等の中耳の異常がない感覚神経性難聴の場合ほとんどがこういった特性を持っているが、老化による老人性難聴と、周りの騒音による騒音性難聴がこれに属する。老人性難聴は老化に関連した疾患の中で高血圧と関節炎についで3位に該当する。老人性難聴の一番大きな特徴はおもに「ス」、「チュ」、「トゥ」、「プ」、「ク」等の高音の話し声(訳注:日本語では高音や、「ク」や「ソ」といったカ行やサ行の特定の音だそうです)を他の言葉と間違って解釈するようになって対話が難しくなり、しばしば聞き直したり繰り返すことで話し声が高くなり、結局は喧嘩につながったりもする。難聴は治療しても回復できなくて、予防だけがその方法である。老人性難聴の場合、騒音やストレスを避け、程よく栄養の供給をしながら、難聴を深めることになる高血圧、糖尿といった慢性疾患を予防したり管理することが大切だ。そして聴器毒性薬物である抗生剤、鎮痛剤、解熱剤、利尿剤、抗がん剤等は難聴を誘発し得るので注意しなくてはいけない。また1年に一度、定期的な聴力検査を受けるべきである。
イヤホンをしているうちに補聴器をすることに
その次に最近最も話題になっている騒音性難聴は全体の難聴原因のうち二番目に発病頻度が高い難聴である。時々バスや地下鉄で隣の人が何の音楽を聞いているのか分かった経験を誰でもしたことがあるだろう。このようにMP3、DMB等の過度な使用によって、わずか5〜6年前まででも騒音性難聴患者は騒々しい工場で働く30〜40代の勤労者がほとんどだったのに、最近イヤホンの使用が増えて10代の青少年にも大幅に増加している。騒音性難聴はトラックが通り過ぎる時に出る音くらいの80〜90dB異常の騒音に一日8時間以上さらされた時にかかりやすい。個人によって違いはあるが、地下鉄で隣りの人に音が聞こえるほどに大きく音楽を聞いたり、イヤホンで騒々しい音楽を一日3時間以上聞くと、耳はジェット機が通り過ぎる音と似た120dB異常の音を聞くのと同じ衝撃を受けるので、2〜3年後に騒音性難聴の初期症状が現れる。青少年がよく利用するカラオケやネットカフェの騒音も100dBに近い。騒音性難聴が進行するとまず周りの音を区別する能力が落ちる。隣で自分を呼んでも反応しなかったり、突拍子もない反応を見せやすい。テレビを見るときボリュームを上げ続け、電話を受けるとき相手方に聞き直す癖も生じる。特に高音に対する障害のために女性や子供の声を正しく聞けない。耳でこおろぎの声のようなものがぐるぐる回る耳鳴りが3〜4日続いたりもする。その他にも全身が疲労し、眠られず、ひどい場合、高血圧や消化不良、集中力の低下等のような身体症状も現れる。年を取るにつれてうつ病、認知能力障害が生じたりもする。アメリカの場合、青少年期にロック音楽に熱狂していた40〜50代のアメリカ人の6人中1人が聴覚障害で生活に不便を感じているという。騒々しいロック音楽に初めて接したこの世代は、青少年期から持続的にどんどんどんどん大きな音で音楽を聞いた結果、数十年後に騒音性難聴へと進行したのである。その例としてロック音楽マニアだったアメリカの前大統領クリントンも補聴器を着用しているという報道があった。韓国の場合、他の国と違って特別に軍の服務が必須である男性たちが、騒音性難聴の数が多いと報告されている。騒音性難聴もやはり治療方法はない。特に青少年の騒音性難聴は、その問題を認識できない場合、壮年層になった時に補聴器を使用しなくてはいけない等、その問題が次第に深刻になり得るし、また老化による難聴が並行する場合、難聴の程度と進行速度もより速くなるので、初期に難聴による不便を味わうことになる。よって外国の場合、MP3等に非常に大きな音に対する危険性を知らせる警告文を表示する等多角的な努力がなされている。MP3の使用は一日一時間以下の使用を勧めており、途中で耳を休ませることが望ましい。ボリュームは最大ボリュームの60%を超えないように勧め、インナーイヤー型イヤホンが7〜9dB以上の大きな音を伝達してくれるので、ヘッドホンを使うほうがより安全だ。また騒音にさらされたら1〜2日、騒々しい音が聞こえる環境を避けて耳を休ませるべきだ。耳鳴りがしてよく聞こえなかったり響く症状がある時は、すぐに検査を受けるべきだ。
ゴッホはなぜ自分の耳を切ったのだろうか
ゴッホが自分の耳を切って描いた自画像は、いろいろな逸話で有名だ。ほとんどゴーギャンとの喧嘩の末に自分の体を害したという見解が大勢だ。しかし後に彼の日記を追跡してみると、彼がメニエール病を患っていたと推定される。激しいめまいと嘔吐、そして獅子が吠え立てるような耳鳴りが続いて彼を苦しめていた。だから彼は、外耳がなくなればその苦痛が消えるだろうと思って自分の耳を切ったものと推測される。このように苦しいメニエール病は、難聴、めまい、耳鳴りの3大症状を特徴とする。その中で突発的に起こる難聴が最もよくある症状であり、最初は片方にだけ表れるが、進行すると20〜50%は両側に表れる。そして最も特徴的な症状であるめまいは、特別な前触れなくいつでもどんな場所でも突然表れるため、症状がひどい場合には社会生活をするのが難しいこともある。また耳の別の機能である平衡感覚が失われ、恐怖感を持つこともある。この治療のためには前庭抑制薬物、利尿剤、副腎皮質ホルモン剤、聴器毒性薬物等が使われる。しかし完治できる方法がなく、ただ突然訪れるめまいとその影響を避けたり最小化するために低塩食や禁煙、ストレスの調節等が要求される。最後に耳鳴りは難聴者の90%、正常者の70%が経験する症状で、不治の病に該当する。その原因と治療法が分からなくていまだに病名がつけられず、耳鳴り症状と呼ぶ。これは聴覚的な音以外に耳あるいは頭で音が響く感じで外部の音の刺激なしに自分の身体内部から聞こえる聴感覚で、虫の声、口笛の音、脈拍の音、機械音等、いろいろな音の高さと種類がある。耳鳴りは時々聞こえたりもするし、続けて聞こえる場合もあるが、長期間持続する耳鳴りは心理的あるいは社会的にひどい被害を抱き与えるので早く適切な治療が必要だ。この予防のためには大きな騒音にさらされることを避けるべきであり、定期健診をして糖尿や高血圧を治療し、塩分の摂取を減らし、適度な休息と運動を通して過労やストレスを避けるべきである。
散漫な児童、そのまま見過ごさないで下さい
最近になって10歳未満の児童の難聴が大きく増加していると報告されている。これは風邪による中耳炎等による一時的な難聴が最も大きな原因であるが、音を聞いて言語を学ぶ重要な時期には、一時的な難聴だとしても後に大きな問題へとつながることがある。小児難聴の場合、早期の発見と治療が最も重要であるが、これは教育的側面と社会的側面において岐路になるからである。初期に発見できなくて立ち遅れた治療を受けた児童は特殊学校へ進学するしかなく、一般の社会活動に迎え入れられないこともある。したがって児童が学校で授業に集中できなくて注意が散漫であったり、テレビをあまりにも近くで見るとか、音を上げて見る、あるいは大きな音で話さないと聞き取れない場合には、一度くらい検査を受けてみるのがよい。おもに児童の難聴は鼓膜の内側に水または膿がたまっているという滲出性と急性中耳炎が主な原因だ。急性中耳炎は痛み等を伴うため親たちが容易く耳鼻咽喉科を訪れることができるが、滲出性中耳炎の場合には特異な症状がない場合がほとんどなため長い期間放置することがしばしばある。滲出性中耳炎と急性中耳炎を適切に治療しなくなると、一部では鼓膜に穴が開いて持続的な耳漏を見せる慢性中耳炎に移行する場合がある。慢性中耳炎はすでに取り返しのつかない変化が鼓膜と中耳の粘膜にあるため薬物治療だけでは完治できない場合がほとんどなので、中耳内の炎症除去、聴力の維持および改善、合併症予防のための手術治療を勧める。新生児の難聴は遺伝的な原因による難聴と非遺伝的な原因による難聴に区分することができ、特異な病歴がない場合には親によっては発見が難しいので、早期発見と適切な聴力リハビリの機会を逃す場合がある。このためアメリカでは全ての新生児を対象に聴力検査を施行するように法が制定され、生まれさえすればとにかく聴力検査を無料で実施する。この過程で難聴が疑われると各分野の専門家たちが早期治療に入り、一般学級で教育を受けられるように多年間補聴器および人工蝸牛の着用と聴覚リハビリを助ける。アメリカの新生児難聴比率と同じ発病率を見せている韓国は新生児聴力選別検査がいくつかの大学病院で今試験施行段階だ。このため遺伝性難聴がある場合には妊娠と関連して産婦教育および薬物中毒防止について事前教育が必要であり、非遺伝的難聴が疑われたら選別検査を通しての早期発見および治療が必要であろう。
祝福された時代を生きていく私たち皆は貴い人だ。2000年前イエス様が耳の聞こえない人をご覧になって天を仰いでため息をついておられた時代と違って、現代は情報が満ち溢れ、少しでも関心を持って対処すれば難聴は事前に予防することができる。霊の耳も、肉の耳も全て開いて時代の御言葉に耳を傾けるべき時だ。これから私たちはそれにふさわしく聞くことの責任分担を果たす耳のある人にならなくてはいけない。(訳注:「貴い」という意味のクィハダのクィと「耳」という意味のクィは同じ発音)
難聴の自己診断
次の質問事項で「はい」という答えが3個以上あるなら聴力に問題があるかもしれないので専門家の相談を受けなくてはいけない。
Q電話で話す際に問題がある。
Q騒々しい所で対話することに困難がある。
Q二人またはそれ以上の人と一度に対話するのが難しい。
Q他の人との対話を理解するために耳を傾けなくてはならない。
Q他の人が話すとき独り言を言っているように見える。
Q他の人が言ったことを間違って理解したり不適切に反応したことがある。
Q人々にもう一度言って下さいと要請したことがしばしばある。
Q女性や子供が話すのを聞くとき、理解する際に困難がある。
Qテレビの音が大き過ぎると周りの人が自分に不満を言ったことがある。
Q響く音、うなる声、あるいは「しっしっ」という声がよく聞こえる。
Qある音が大き過ぎると感じられたことがある。
Qよく聞こえないために多くの人々との集まりを避けたことがある。
Q親戚や友人たちと飲食店に行ったとき、対話の困難を経験したことがある。
Q人々と話したくてもよく聞こえないために、思ったほどよく対話に参加できない。
Q多くの人々と一緒にいる時に疎外感を感じたことがある。
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年11-12月号より
この記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
耳のある者は聞くがよい
「耳のある者は聞くがよい(マタイによる福音書13:9、43、ヨハネの黙示録2:7)」、「聞く耳のある者は聞くがよい(マルコによる福音書4:9、ルカによる福音書8:8、14:35)」聖書を見るとこの言葉が本当にたくさん出てくる。耳があるから聞くのは当然だが、聖書ではこれを強調している。ここで耳は二種類を意味する。肉的な耳と霊的な耳。まず肉があるから神様の御言葉を伝えてくれる時代の代言者を通して聞かなくてはいけないし、これを聞いて霊的に覚めてその御言葉の根本を悟らなくてはいけないだろう。霊と肉が全て祝福されうまくいく成約時代を生きていく私たちにとって、この二種類の意味は非常に重要だ。聞くということは耳を傾けて理解し、心を開いて従順するという意味だ。さらには聞くということは命と祝福を意味し、聞かないことは裁きを意味する。ヨハネによる福音書5:24を見ると「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」とある。まずは聞いて信じることだ。ローマ人への手紙のまた別の聖句では、「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」と言った。まず聞くことができてこそ信仰を持つことができるという意味だ。それでイエス様は耳の聞こえない人たちを哀れに思われ天を仰いでため息をつき、「エパタ(開く)」とおっしゃって治して下さる働きもあった(マルコによる福音書7:34)。
肉で聞くことができ、時代の御言葉を聞く耳がある今、私たちにはそんなに難しい御言葉ではないだろう。むしろ祝福の御言葉であり、感謝の御言葉だ。しかしこの祝福と感謝を続けていくのは各自の責任分担だ。誰でも家族や友達の中に聴覚障害者がいれば、時代の御言葉を伝えたくても伝えられない困難を理解するだろう。現代の学問は障害の前でそれ以上障害者と正常者に区分しない。いつ誰に訪れるか分からない数多くの事故と、知り得ない病気が増えている今、私たちは正常という単語の代わりに非障害者と障害者に区分する。だとすれば祝福の時代に非障害者として生きていく責任分担を果たすために私たちはどんな予防と対策が必要なのだろうか。
音はどのように聞こえるのか
耳には二種類の器官がある。よく知っている聞くこと、聴覚を担当する蝸牛があり、もう一つ体の均衡を保ってくれる三半規管がある。まず聴覚器官は外部から伝達される音が外耳で集められ、外耳道を過ぎて鼓膜を振動させ、鼓室内の三個の小さな骨を動かし、この運動は蝸牛の中の有毛細胞を刺激するようになり、有毛細胞はこれを電気的な信号に変えて聴神経に伝達し、脳に到達して音として解析するようになる。このように音が伝達される過程で外耳や中耳、内耳の中のある一箇所でも異常があると音が弱く聞こえたり話し声の区別が難しくなって相手方との対話に支障を来す。
高齢化時代、老人の慢性疾患の3位、難聴
聴神経の損傷はただ聞こえないという問題だけでなく、意思疎通にとって一番大切な対話音の分別を難しくする。つまり、正確に聞き分けられなくて的外れな答えをするという間違いを犯すことになる。中耳炎等の中耳の異常がない感覚神経性難聴の場合ほとんどがこういった特性を持っているが、老化による老人性難聴と、周りの騒音による騒音性難聴がこれに属する。老人性難聴は老化に関連した疾患の中で高血圧と関節炎についで3位に該当する。老人性難聴の一番大きな特徴はおもに「ス」、「チュ」、「トゥ」、「プ」、「ク」等の高音の話し声(訳注:日本語では高音や、「ク」や「ソ」といったカ行やサ行の特定の音だそうです)を他の言葉と間違って解釈するようになって対話が難しくなり、しばしば聞き直したり繰り返すことで話し声が高くなり、結局は喧嘩につながったりもする。難聴は治療しても回復できなくて、予防だけがその方法である。老人性難聴の場合、騒音やストレスを避け、程よく栄養の供給をしながら、難聴を深めることになる高血圧、糖尿といった慢性疾患を予防したり管理することが大切だ。そして聴器毒性薬物である抗生剤、鎮痛剤、解熱剤、利尿剤、抗がん剤等は難聴を誘発し得るので注意しなくてはいけない。また1年に一度、定期的な聴力検査を受けるべきである。
イヤホンをしているうちに補聴器をすることに
その次に最近最も話題になっている騒音性難聴は全体の難聴原因のうち二番目に発病頻度が高い難聴である。時々バスや地下鉄で隣の人が何の音楽を聞いているのか分かった経験を誰でもしたことがあるだろう。このようにMP3、DMB等の過度な使用によって、わずか5〜6年前まででも騒音性難聴患者は騒々しい工場で働く30〜40代の勤労者がほとんどだったのに、最近イヤホンの使用が増えて10代の青少年にも大幅に増加している。騒音性難聴はトラックが通り過ぎる時に出る音くらいの80〜90dB異常の騒音に一日8時間以上さらされた時にかかりやすい。個人によって違いはあるが、地下鉄で隣りの人に音が聞こえるほどに大きく音楽を聞いたり、イヤホンで騒々しい音楽を一日3時間以上聞くと、耳はジェット機が通り過ぎる音と似た120dB異常の音を聞くのと同じ衝撃を受けるので、2〜3年後に騒音性難聴の初期症状が現れる。青少年がよく利用するカラオケやネットカフェの騒音も100dBに近い。騒音性難聴が進行するとまず周りの音を区別する能力が落ちる。隣で自分を呼んでも反応しなかったり、突拍子もない反応を見せやすい。テレビを見るときボリュームを上げ続け、電話を受けるとき相手方に聞き直す癖も生じる。特に高音に対する障害のために女性や子供の声を正しく聞けない。耳でこおろぎの声のようなものがぐるぐる回る耳鳴りが3〜4日続いたりもする。その他にも全身が疲労し、眠られず、ひどい場合、高血圧や消化不良、集中力の低下等のような身体症状も現れる。年を取るにつれてうつ病、認知能力障害が生じたりもする。アメリカの場合、青少年期にロック音楽に熱狂していた40〜50代のアメリカ人の6人中1人が聴覚障害で生活に不便を感じているという。騒々しいロック音楽に初めて接したこの世代は、青少年期から持続的にどんどんどんどん大きな音で音楽を聞いた結果、数十年後に騒音性難聴へと進行したのである。その例としてロック音楽マニアだったアメリカの前大統領クリントンも補聴器を着用しているという報道があった。韓国の場合、他の国と違って特別に軍の服務が必須である男性たちが、騒音性難聴の数が多いと報告されている。騒音性難聴もやはり治療方法はない。特に青少年の騒音性難聴は、その問題を認識できない場合、壮年層になった時に補聴器を使用しなくてはいけない等、その問題が次第に深刻になり得るし、また老化による難聴が並行する場合、難聴の程度と進行速度もより速くなるので、初期に難聴による不便を味わうことになる。よって外国の場合、MP3等に非常に大きな音に対する危険性を知らせる警告文を表示する等多角的な努力がなされている。MP3の使用は一日一時間以下の使用を勧めており、途中で耳を休ませることが望ましい。ボリュームは最大ボリュームの60%を超えないように勧め、インナーイヤー型イヤホンが7〜9dB以上の大きな音を伝達してくれるので、ヘッドホンを使うほうがより安全だ。また騒音にさらされたら1〜2日、騒々しい音が聞こえる環境を避けて耳を休ませるべきだ。耳鳴りがしてよく聞こえなかったり響く症状がある時は、すぐに検査を受けるべきだ。
ゴッホはなぜ自分の耳を切ったのだろうか
ゴッホが自分の耳を切って描いた自画像は、いろいろな逸話で有名だ。ほとんどゴーギャンとの喧嘩の末に自分の体を害したという見解が大勢だ。しかし後に彼の日記を追跡してみると、彼がメニエール病を患っていたと推定される。激しいめまいと嘔吐、そして獅子が吠え立てるような耳鳴りが続いて彼を苦しめていた。だから彼は、外耳がなくなればその苦痛が消えるだろうと思って自分の耳を切ったものと推測される。このように苦しいメニエール病は、難聴、めまい、耳鳴りの3大症状を特徴とする。その中で突発的に起こる難聴が最もよくある症状であり、最初は片方にだけ表れるが、進行すると20〜50%は両側に表れる。そして最も特徴的な症状であるめまいは、特別な前触れなくいつでもどんな場所でも突然表れるため、症状がひどい場合には社会生活をするのが難しいこともある。また耳の別の機能である平衡感覚が失われ、恐怖感を持つこともある。この治療のためには前庭抑制薬物、利尿剤、副腎皮質ホルモン剤、聴器毒性薬物等が使われる。しかし完治できる方法がなく、ただ突然訪れるめまいとその影響を避けたり最小化するために低塩食や禁煙、ストレスの調節等が要求される。最後に耳鳴りは難聴者の90%、正常者の70%が経験する症状で、不治の病に該当する。その原因と治療法が分からなくていまだに病名がつけられず、耳鳴り症状と呼ぶ。これは聴覚的な音以外に耳あるいは頭で音が響く感じで外部の音の刺激なしに自分の身体内部から聞こえる聴感覚で、虫の声、口笛の音、脈拍の音、機械音等、いろいろな音の高さと種類がある。耳鳴りは時々聞こえたりもするし、続けて聞こえる場合もあるが、長期間持続する耳鳴りは心理的あるいは社会的にひどい被害を抱き与えるので早く適切な治療が必要だ。この予防のためには大きな騒音にさらされることを避けるべきであり、定期健診をして糖尿や高血圧を治療し、塩分の摂取を減らし、適度な休息と運動を通して過労やストレスを避けるべきである。
散漫な児童、そのまま見過ごさないで下さい
最近になって10歳未満の児童の難聴が大きく増加していると報告されている。これは風邪による中耳炎等による一時的な難聴が最も大きな原因であるが、音を聞いて言語を学ぶ重要な時期には、一時的な難聴だとしても後に大きな問題へとつながることがある。小児難聴の場合、早期の発見と治療が最も重要であるが、これは教育的側面と社会的側面において岐路になるからである。初期に発見できなくて立ち遅れた治療を受けた児童は特殊学校へ進学するしかなく、一般の社会活動に迎え入れられないこともある。したがって児童が学校で授業に集中できなくて注意が散漫であったり、テレビをあまりにも近くで見るとか、音を上げて見る、あるいは大きな音で話さないと聞き取れない場合には、一度くらい検査を受けてみるのがよい。おもに児童の難聴は鼓膜の内側に水または膿がたまっているという滲出性と急性中耳炎が主な原因だ。急性中耳炎は痛み等を伴うため親たちが容易く耳鼻咽喉科を訪れることができるが、滲出性中耳炎の場合には特異な症状がない場合がほとんどなため長い期間放置することがしばしばある。滲出性中耳炎と急性中耳炎を適切に治療しなくなると、一部では鼓膜に穴が開いて持続的な耳漏を見せる慢性中耳炎に移行する場合がある。慢性中耳炎はすでに取り返しのつかない変化が鼓膜と中耳の粘膜にあるため薬物治療だけでは完治できない場合がほとんどなので、中耳内の炎症除去、聴力の維持および改善、合併症予防のための手術治療を勧める。新生児の難聴は遺伝的な原因による難聴と非遺伝的な原因による難聴に区分することができ、特異な病歴がない場合には親によっては発見が難しいので、早期発見と適切な聴力リハビリの機会を逃す場合がある。このためアメリカでは全ての新生児を対象に聴力検査を施行するように法が制定され、生まれさえすればとにかく聴力検査を無料で実施する。この過程で難聴が疑われると各分野の専門家たちが早期治療に入り、一般学級で教育を受けられるように多年間補聴器および人工蝸牛の着用と聴覚リハビリを助ける。アメリカの新生児難聴比率と同じ発病率を見せている韓国は新生児聴力選別検査がいくつかの大学病院で今試験施行段階だ。このため遺伝性難聴がある場合には妊娠と関連して産婦教育および薬物中毒防止について事前教育が必要であり、非遺伝的難聴が疑われたら選別検査を通しての早期発見および治療が必要であろう。
祝福された時代を生きていく私たち皆は貴い人だ。2000年前イエス様が耳の聞こえない人をご覧になって天を仰いでため息をついておられた時代と違って、現代は情報が満ち溢れ、少しでも関心を持って対処すれば難聴は事前に予防することができる。霊の耳も、肉の耳も全て開いて時代の御言葉に耳を傾けるべき時だ。これから私たちはそれにふさわしく聞くことの責任分担を果たす耳のある人にならなくてはいけない。(訳注:「貴い」という意味のクィハダのクィと「耳」という意味のクィは同じ発音)
難聴の自己診断
次の質問事項で「はい」という答えが3個以上あるなら聴力に問題があるかもしれないので専門家の相談を受けなくてはいけない。
Q電話で話す際に問題がある。
Q騒々しい所で対話することに困難がある。
Q二人またはそれ以上の人と一度に対話するのが難しい。
Q他の人との対話を理解するために耳を傾けなくてはならない。
Q他の人が話すとき独り言を言っているように見える。
Q他の人が言ったことを間違って理解したり不適切に反応したことがある。
Q人々にもう一度言って下さいと要請したことがしばしばある。
Q女性や子供が話すのを聞くとき、理解する際に困難がある。
Qテレビの音が大き過ぎると周りの人が自分に不満を言ったことがある。
Q響く音、うなる声、あるいは「しっしっ」という声がよく聞こえる。
Qある音が大き過ぎると感じられたことがある。
Qよく聞こえないために多くの人々との集まりを避けたことがある。
Q親戚や友人たちと飲食店に行ったとき、対話の困難を経験したことがある。
Q人々と話したくてもよく聞こえないために、思ったほどよく対話に参加できない。
Q多くの人々と一緒にいる時に疎外感を感じたことがある。
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年11-12月号よりこの記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
科学コラム 文:クォン・ヨンワン博士
宇宙人とUFO
UFOと宇宙人は実存するのだろうか。
1982年にスティーブン・スピルバーグが監督したSF映画(空想科学映画)E.T.が封切られ、全世界的に旋風的な人気を呼び、話題になったことがある。映画E.T.は、宇宙船に乗って地球に来た宇宙人たちがいろいろ標本を採取していたときに人間たちが現れたので急いで発つときに、一緒に行けなくて残された宇宙人と地球人の子供たちとの友情を描いた映画で、最後の場面でE.T.が宇宙船に乗って再び自分の星へ帰って行きつつ「いつも君の傍にいるよ。」という言葉を残していくことで有名だ。そして当時、映画の主人公であるE.T.の人形が子供たちに相当な人気を呼んだ。この時E.T.が乗って来た宇宙船がUFO(Unidentified Flying Object)、すなわち未確認飛行物体だ。多くの人々がUFOを目撃したと言い、ある人は宇宙人に会ったとも言い、地球のどこかに宇宙人が不時着し、その死体をどこで保管していて、宇宙人の死体を解剖する映像がある等、人々の関心を呼ぶ話が絶えずある。それだけでなく最近は宇宙人を崇拝する宗教が出てきて一部の人々が従っているというほどだ。1950年代、ジョージ・アダムスキーが宇宙人に会ったと主張して以降、1960年代にはバリアント・トーという人は金星から来たと主張したりもする等、今までも宇宙人と地球外の文明体に関する話はずっと出てきており、多くの人々は地球以外の他の世界にまた別の文明を成して宇宙人が暮らしているだろうと想像している。そしてある時は宇宙人が地球を侵攻しないだろうかという杞憂に陥ってじたばたしていたときもあった。では一体UFOと宇宙人は実存するのだろうか。もしくは空想科学小説の中にも登場する主人公なのか。
人類が生きている地球のような星は存在するのか。
私たちは神様が創造なさった地球でものすごい文明を成して生きている。1984年アメリカは有名な科学ドキュメンタリーの進行者であり「コスモス」という本を書いた天文学者カール・セーガン博士の強力な主張によりNASAからモハビ砂漠に60mの電波望遠鏡を使ってSETI(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)という地球外の文明体の探査プログラムを始めた後、1992年からNASAは超短波観測事業という、より発展した方法で地球外の信号の探査を続けてきて、特別な探査結果を得られないと、このプロジェクトを1994年に結局中断することになる。NASAが探査をやめた1994年から民間人たちが参加してSETIに入ってきた電波資料をインターネットを通して各自が所有しているパソコンを利用して分析する方法を活用している。こういった方法による地球外電波の1次判読結果が2003年に出たが、参加した数多くの人々の期待とは違って、なんでもないものと判読された。鄭明析先生はすでに30年余り前から神様に祈って答えをもらい、イエス様に学び、UFOはないと20年前から話してきた。特に1995年のアメリカ巡回時、UFOに関する話で最も湧き立っていた時だったが、先生はアメリカの各地で講義なさる中でUFOはないとすっきりとおっしゃったことがある。
事実、地球外文明体を探すSETIというプログラムはフランク・ドレイクというアメリカの天文学者がドレイク方程式を1960年に提案したことがきっかけとなった。1967年にバーネルとヒューイッシュというイギリスの天文学者が正確な周期を持って瞬く星を初めて発見したが、それを一部の学者たちが宇宙人が送っている信号だと主張したりもした。しかし後に学者たちによってこの信号は宇宙人が送った信号ではなく中性子星だと明らかにされ、これをパルサー(Pulsar)と名付けた。ところで文明体探査の始発点となったドレイク方程式とは何なのか。ドレイク方程式は次の通りだ。
ドレイク方程式(N=R* X fp X ne X fl X fi X fc X L)
N:この銀河の中に存在する交信が可能な文明の数
R:この銀河の中で恒星が誕生する速度
fp:恒星が惑星系を持っている確率
ne:惑星系で生命体が生きられる惑星の数
fl:条件を備えた惑星で生命が発生する確率
fi:発生した生命が知的な生命体に進化する確率
fc:そのような知的な生命体が交信を望み、できる程度に発展する確率
L:そのような文明が存在できる期間
つまり、この銀河内に私たちと通信をやり取りできる文明を成す地球外文明体の数は、太陽のようにいつも光を発する星(恒星)を持っており、その恒星が水星、金星、地球、火星等の惑星系を持っていなくてはならないし、その惑星系で生命体が生きられる地球のような惑星が存在しなくてはならず、その地球のような条件を具えた惑星であるとしても生命が発生しなくてはならず、その生命体の中で人類のような知的な生命体が存在しなくてはならないし、その知的な生命体が人類が現在成している文明のような文明を成し、その文明が長い時間持続してこそ、そういう文明体が信号を送ることができるという意味だ。一言で話すと、この宇宙にこの太陽系とそっくりな太陽系があり、そっくりな地球があって、そこに人々が住んでいるだろうという考えだ。そしてそういう文明体があるとすれば必ず信号を送るだろうと信じてその信号をSETIというところで熱心に探しているのである。ところが先に言及したとおり、いまだに地球外文明体から送られて来た信号はたったの一件もない。最近の東亜日報の記事(2008年7月23日付)を見ると、アメリカでこれまで250個の恒星を調査したが、「太陽系は例外」という研究結果が出た。地球が属しているこの太陽系の環境があんまり独特なのでこれと似た他の太陽系を見つけるのは容易ではないという研究結果だった。分かりやすく話すと、地球外文明体はないということだ。そして最近アメリカのカリフォルニア大学バークレー校の研究陣がオリオン星雲に属する恒星250個を調査した結果、木星程度の大きさの恒星を形成し得る高密度のちりの円盤を周囲に持つ恒星は全体の6〜10%に過ぎず、これらの高密度のちりの円盤は太陽の1%以上になる質量を具えてこそ恒星の周囲を回る惑星を形成することができると説明した。研究チームのリーダーであるジョシュア・アイスナー博士はこの太陽系が一般的なものではなく、例外的な存在であるという事実を示唆するものだという記事が掲載された。事実、この太陽系で木星は地球より1300倍大きくて重力がものすごく大きい。したがって外部から飛んで来る宇宙岩石を木星が引き寄せて内側の軌道の惑星(特に地球)を保護し、火星と木星の間の小惑星を引きとめて地球に落ちないようにする、地球にあっては必須の守護神のような存在だと言うことができる。ところがこの木星の大きさの惑星を持った別の太陽系が存在し難いとすれば、地球以外の宇宙のどこかに生命体が存在する可能性はほとんどない。そしてSETIで地球外文明体を探すことを続けているが、いまだにどんな信号も観測されておらず、多くの科学者たちが地球のような人類が住んでいる星を見つけられずにいる。
肉的、霊的な無知から目覚めてこそ
空想科学映画にはいつも宇宙に地球のような生命体が住んでいて、ほとんど地球よりはるかに発展した文明を成して暮らしているように描写される。しかし先生は、人が住める星は地球しかないということをすでに30年前に分かって宇宙生命体の研究を終えたと説教の中でおっしゃり、宇宙は人間の頭で学ぼうとすると一部は分かっても、全て知るのは不可能だとおっしゃった。ただ天地を創造なさった神様だけがご存知だとおっしゃった。この宇宙に神様が創設なさった生命体が存在する唯一の天国はまさに私たちが住んでいる地球なのである。そして先生はイエス様と共に宇宙にある26個の星に霊で行って来られたという。星の世界へ行ってみてこそ特に用はないとおっしゃった。エゼキエル書やダニエル書等、聖書にもUFOと類似した記録がたくさん出てくる。ほとんど祈りの中で目撃したもので、霊的な現象である。人々が宇宙人だとかUFOだとかいうものに惑わされるのは、霊的な無知によるものだ。仮に宇宙人がいるとしても太陽系から一番近い星は4.3光年も離れたセンタウルスの位置だという。光の速度で4.3年も行かなくてはならない、ものすごく遠い距離だ。現在1977年に発射された無人宇宙船であるボイジャー1号は30年が過ぎた今もまだ太陽系を抜け出せずにいる。まもなく機能が停止して廃棄されるという。人類がいくら良い性能の宇宙船を造るとしても太陽系を抜け出すのは不可能だと思うべきだ。反対に地球外から地球に到達するのも難しいということだ。
最近人々がよく話すことの中にユビキタスという言葉がある。その用語の起源は宗教改革者マルティン・ルターのUbiquitarianism(キリストの臨在論)と見ることもあり、「いつもどこにもある、偏在する」という意味を持っている。神様と主は霊でいつもどこにも私たちと共にいらっしゃり、いつも霊的なメッセージを送っておられる。私たちは霊と肉を持っていながらも霊的な信号に鈍感だ。今日、人類が霊と肉の無知から覚めるには、地球外の信号に関心を持つのではなく、私たちにいつも共になさる神様のメッセージに耳を傾けるべきではなかろうか。霊的な無知と肉的な無知によって過ぎた時間NASAとSETIで注がれたお金だけでも天文学的な額である。いくら科学をよく勉強しても霊的に無知であれば一生をとんでもない研究をすることにお金と時間ばかり浪費することになる。UFOと宇宙人を探すことは蜃気楼を探すのと同じだ。先生のUFOに関する御言葉が科学者たちに伝えられていたなら、その多くの人力と学問が人類のためにより良いことに使われたであろうにという残念さがある。私たちはこの時代に先生から科学と宗教が一つになる、神様とイエス様の明快な真理の御言葉を通して霊的な無知と肉的な無知から抜け出て世の中に惑わされない人生を生きるようになった。摂理人生がどれほど幸せで感謝すべき人生であるか!
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年11-12月号より
この記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
宇宙人とUFO
UFOと宇宙人は実存するのだろうか。
1982年にスティーブン・スピルバーグが監督したSF映画(空想科学映画)E.T.が封切られ、全世界的に旋風的な人気を呼び、話題になったことがある。映画E.T.は、宇宙船に乗って地球に来た宇宙人たちがいろいろ標本を採取していたときに人間たちが現れたので急いで発つときに、一緒に行けなくて残された宇宙人と地球人の子供たちとの友情を描いた映画で、最後の場面でE.T.が宇宙船に乗って再び自分の星へ帰って行きつつ「いつも君の傍にいるよ。」という言葉を残していくことで有名だ。そして当時、映画の主人公であるE.T.の人形が子供たちに相当な人気を呼んだ。この時E.T.が乗って来た宇宙船がUFO(Unidentified Flying Object)、すなわち未確認飛行物体だ。多くの人々がUFOを目撃したと言い、ある人は宇宙人に会ったとも言い、地球のどこかに宇宙人が不時着し、その死体をどこで保管していて、宇宙人の死体を解剖する映像がある等、人々の関心を呼ぶ話が絶えずある。それだけでなく最近は宇宙人を崇拝する宗教が出てきて一部の人々が従っているというほどだ。1950年代、ジョージ・アダムスキーが宇宙人に会ったと主張して以降、1960年代にはバリアント・トーという人は金星から来たと主張したりもする等、今までも宇宙人と地球外の文明体に関する話はずっと出てきており、多くの人々は地球以外の他の世界にまた別の文明を成して宇宙人が暮らしているだろうと想像している。そしてある時は宇宙人が地球を侵攻しないだろうかという杞憂に陥ってじたばたしていたときもあった。では一体UFOと宇宙人は実存するのだろうか。もしくは空想科学小説の中にも登場する主人公なのか。
人類が生きている地球のような星は存在するのか。
私たちは神様が創造なさった地球でものすごい文明を成して生きている。1984年アメリカは有名な科学ドキュメンタリーの進行者であり「コスモス」という本を書いた天文学者カール・セーガン博士の強力な主張によりNASAからモハビ砂漠に60mの電波望遠鏡を使ってSETI(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)という地球外の文明体の探査プログラムを始めた後、1992年からNASAは超短波観測事業という、より発展した方法で地球外の信号の探査を続けてきて、特別な探査結果を得られないと、このプロジェクトを1994年に結局中断することになる。NASAが探査をやめた1994年から民間人たちが参加してSETIに入ってきた電波資料をインターネットを通して各自が所有しているパソコンを利用して分析する方法を活用している。こういった方法による地球外電波の1次判読結果が2003年に出たが、参加した数多くの人々の期待とは違って、なんでもないものと判読された。鄭明析先生はすでに30年余り前から神様に祈って答えをもらい、イエス様に学び、UFOはないと20年前から話してきた。特に1995年のアメリカ巡回時、UFOに関する話で最も湧き立っていた時だったが、先生はアメリカの各地で講義なさる中でUFOはないとすっきりとおっしゃったことがある。
事実、地球外文明体を探すSETIというプログラムはフランク・ドレイクというアメリカの天文学者がドレイク方程式を1960年に提案したことがきっかけとなった。1967年にバーネルとヒューイッシュというイギリスの天文学者が正確な周期を持って瞬く星を初めて発見したが、それを一部の学者たちが宇宙人が送っている信号だと主張したりもした。しかし後に学者たちによってこの信号は宇宙人が送った信号ではなく中性子星だと明らかにされ、これをパルサー(Pulsar)と名付けた。ところで文明体探査の始発点となったドレイク方程式とは何なのか。ドレイク方程式は次の通りだ。
ドレイク方程式(N=R* X fp X ne X fl X fi X fc X L)
N:この銀河の中に存在する交信が可能な文明の数
R:この銀河の中で恒星が誕生する速度
fp:恒星が惑星系を持っている確率
ne:惑星系で生命体が生きられる惑星の数
fl:条件を備えた惑星で生命が発生する確率
fi:発生した生命が知的な生命体に進化する確率
fc:そのような知的な生命体が交信を望み、できる程度に発展する確率
L:そのような文明が存在できる期間
つまり、この銀河内に私たちと通信をやり取りできる文明を成す地球外文明体の数は、太陽のようにいつも光を発する星(恒星)を持っており、その恒星が水星、金星、地球、火星等の惑星系を持っていなくてはならないし、その惑星系で生命体が生きられる地球のような惑星が存在しなくてはならず、その地球のような条件を具えた惑星であるとしても生命が発生しなくてはならず、その生命体の中で人類のような知的な生命体が存在しなくてはならないし、その知的な生命体が人類が現在成している文明のような文明を成し、その文明が長い時間持続してこそ、そういう文明体が信号を送ることができるという意味だ。一言で話すと、この宇宙にこの太陽系とそっくりな太陽系があり、そっくりな地球があって、そこに人々が住んでいるだろうという考えだ。そしてそういう文明体があるとすれば必ず信号を送るだろうと信じてその信号をSETIというところで熱心に探しているのである。ところが先に言及したとおり、いまだに地球外文明体から送られて来た信号はたったの一件もない。最近の東亜日報の記事(2008年7月23日付)を見ると、アメリカでこれまで250個の恒星を調査したが、「太陽系は例外」という研究結果が出た。地球が属しているこの太陽系の環境があんまり独特なのでこれと似た他の太陽系を見つけるのは容易ではないという研究結果だった。分かりやすく話すと、地球外文明体はないということだ。そして最近アメリカのカリフォルニア大学バークレー校の研究陣がオリオン星雲に属する恒星250個を調査した結果、木星程度の大きさの恒星を形成し得る高密度のちりの円盤を周囲に持つ恒星は全体の6〜10%に過ぎず、これらの高密度のちりの円盤は太陽の1%以上になる質量を具えてこそ恒星の周囲を回る惑星を形成することができると説明した。研究チームのリーダーであるジョシュア・アイスナー博士はこの太陽系が一般的なものではなく、例外的な存在であるという事実を示唆するものだという記事が掲載された。事実、この太陽系で木星は地球より1300倍大きくて重力がものすごく大きい。したがって外部から飛んで来る宇宙岩石を木星が引き寄せて内側の軌道の惑星(特に地球)を保護し、火星と木星の間の小惑星を引きとめて地球に落ちないようにする、地球にあっては必須の守護神のような存在だと言うことができる。ところがこの木星の大きさの惑星を持った別の太陽系が存在し難いとすれば、地球以外の宇宙のどこかに生命体が存在する可能性はほとんどない。そしてSETIで地球外文明体を探すことを続けているが、いまだにどんな信号も観測されておらず、多くの科学者たちが地球のような人類が住んでいる星を見つけられずにいる。
肉的、霊的な無知から目覚めてこそ
空想科学映画にはいつも宇宙に地球のような生命体が住んでいて、ほとんど地球よりはるかに発展した文明を成して暮らしているように描写される。しかし先生は、人が住める星は地球しかないということをすでに30年前に分かって宇宙生命体の研究を終えたと説教の中でおっしゃり、宇宙は人間の頭で学ぼうとすると一部は分かっても、全て知るのは不可能だとおっしゃった。ただ天地を創造なさった神様だけがご存知だとおっしゃった。この宇宙に神様が創設なさった生命体が存在する唯一の天国はまさに私たちが住んでいる地球なのである。そして先生はイエス様と共に宇宙にある26個の星に霊で行って来られたという。星の世界へ行ってみてこそ特に用はないとおっしゃった。エゼキエル書やダニエル書等、聖書にもUFOと類似した記録がたくさん出てくる。ほとんど祈りの中で目撃したもので、霊的な現象である。人々が宇宙人だとかUFOだとかいうものに惑わされるのは、霊的な無知によるものだ。仮に宇宙人がいるとしても太陽系から一番近い星は4.3光年も離れたセンタウルスの位置だという。光の速度で4.3年も行かなくてはならない、ものすごく遠い距離だ。現在1977年に発射された無人宇宙船であるボイジャー1号は30年が過ぎた今もまだ太陽系を抜け出せずにいる。まもなく機能が停止して廃棄されるという。人類がいくら良い性能の宇宙船を造るとしても太陽系を抜け出すのは不可能だと思うべきだ。反対に地球外から地球に到達するのも難しいということだ。
最近人々がよく話すことの中にユビキタスという言葉がある。その用語の起源は宗教改革者マルティン・ルターのUbiquitarianism(キリストの臨在論)と見ることもあり、「いつもどこにもある、偏在する」という意味を持っている。神様と主は霊でいつもどこにも私たちと共にいらっしゃり、いつも霊的なメッセージを送っておられる。私たちは霊と肉を持っていながらも霊的な信号に鈍感だ。今日、人類が霊と肉の無知から覚めるには、地球外の信号に関心を持つのではなく、私たちにいつも共になさる神様のメッセージに耳を傾けるべきではなかろうか。霊的な無知と肉的な無知によって過ぎた時間NASAとSETIで注がれたお金だけでも天文学的な額である。いくら科学をよく勉強しても霊的に無知であれば一生をとんでもない研究をすることにお金と時間ばかり浪費することになる。UFOと宇宙人を探すことは蜃気楼を探すのと同じだ。先生のUFOに関する御言葉が科学者たちに伝えられていたなら、その多くの人力と学問が人類のためにより良いことに使われたであろうにという残念さがある。私たちはこの時代に先生から科学と宗教が一つになる、神様とイエス様の明快な真理の御言葉を通して霊的な無知と肉的な無知から抜け出て世の中に惑わされない人生を生きるようになった。摂理人生がどれほど幸せで感謝すべき人生であるか!
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年11-12月号よりこの記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
寄稿 文:チョン・ミギョン
ゲームが脳に及ぼす影響
ゲーム産業を奨励する社会
インターネット強国!500万のゲーム族、100万のチャット族!大韓民国のこの地にインターネットがどの国より発達するようになったのは、明らかに神様が下さったプレゼントだ。しかし、刃物を子供の手に持たせるときは、どう使えば有益であり、誤って使う場合どんな問題点が発生するのか事前に徹底的に教育し教えるのが順序であろう。しかしただインターネットを活用する人口を増やすことを急いだまま、それによって病んでいく青少年たちの文化についてあまりにも無責任な大人たちが、今日の多くの青少年のゲーム中毒者を作り出したと言っても過言ではない。
韓国の満3〜5歳の間のインターネット使用人口は50%を超えるという。この年齢でインターネットを接続してできることがあるだろうか。幼い幼児たちまでコンピュータの前に座って「かたつむり捕り」ゲームに没頭していて、子供たちはもうゲームがなければ退屈で生きられない子供たちに変わりつつある。親たちが、幼い年齢でマウスを触って自らインターネットに接続する子供を見て感心しているうち、子供は自分も気づかないうちにゲームが与える魅力に溺れてしまうようになるということを看過してはいけない。子供たちが単純な暇つぶしとして始めたゲームは、年々より刺激的なゲームへと発展するようになり、小学校高学年くらいにもなると武器を使って残忍に相手を殺すゲームを楽しんでいるのが、子供たちの現実だ。
2005年以降、100億以上投資して作ったゲームは10種を超えるが、こういったインターネットゲームに接続してゲームを楽しむにはお金がかからない。メイプルストーリー等の無料ゲームをサービスする会社は、有料ゲームがないにもかかわらず年刊キャッシュアイテム販売等によって上げた収益が3千億ウォンに達し、2004年の全てのベストセラーを押さえて最高にたくさん売られた本が「メイプルストーリー解説集」だというから、私たちの社会の病的な文化の実態を端的に見せてくれる例ではないかと思う。ゲーム産業で外貨を稼ぐ韓国の経済の現実について見る時、なぜ幼児期から無料ゲームを楽しむようになるのか、その答えはそれほど難しくない。青少年たちの教育と人性問題は後回しにしたまま経済の論理によってゲーム産業を奨励せざるを得ない大人たちに、このまま子供たちを任せてばかりはいられない。
ゲームと脳
「人間は聞いたとおりに話し、見たとおりに行ないます。」
学校と塾を行き来する子供たちは、余暇の時間をどのように過ごすのだろうか。韓国青少年相談院の2008年青少年の余暇実態調査の結果によると、青少年たちは学校と塾の生活を除いた余暇の時間の大部分をテレビの視聴(78.9%、複数回答)とインターネット(一日2時間未満55.3%、2時間以上24.1%)で過ごしていた。そして25歳未満の若者たちのうち80%がオンラインゲームを楽しみ、コンピュータを使用する小中高生の10人中3人はコンピュータ中毒だという。
日本の脳神経科学者である森昭雄博士の研究結果によると、「ゲームをたくさんする人の脳波は、痴呆患者の脳波と同じだ。」という。人間の脳の領域は機能面で知・情・意という三要素に区分することができる。いるかのような動物を見ると分かるように、人間以外の動物にも「知」の要素はある。しかし人間の脳と動物の脳を区分する最も決定的な要素は「意」の部分をつかさどる、私たちの脳の前側に位置している前頭葉にある。この前頭葉は人間に最も人間らしい品性を持たせてくれて、多様な知識に照らして最も望ましい表現や行動を判断し、衝動を抑制し、最終的な意思決定を下す良心の高等裁判所のような役割をする所だ。だから前頭葉前部皮質の機能が低下すると、判断力を喪失し、状況や周囲に配慮しない行動が出るようになる。では、ゲームをたくさんする人たちの脳はなぜ痴呆患者の脳と同じだというのだろうか。
テレビやコンピュータゲーム、携帯用ゲームを通しての画像刺激は、ほとんど後頭葉に位置する視覚野を経て、図のように神経回路に乗って伝達される。テンポが速いゲームでも遅いゲームでも、前頭葉前部皮質には信号が到達しない。つまりテレビゲームを通して情報を受け入れる過程には、前頭葉の思考活動がほとんど介入しない。映像に馴れ過ぎた脳を持った人間の類型の場合、ふだん視覚情報を毎度受け入れるために前頭葉をあまり使わない。言うなれば、ゲーム機を操作するときは一つ一つ考えずに機械的に手の動作をするようになり、そうしてみると後頭部中心の神経回路が強くなって、前頭葉前部皮質の脳細胞活動の必要性が減る。従ってゲームをする間、前頭葉はほとんど機能しないが、これは視覚系神経回路の活動があまりにも強力で前頭葉前部皮質の細胞活動が停止してしまったためだ。前に先生は私たちに御言葉の中で「脳は精神のエンジンと同じだ。」とおっしゃった。エンジンに異常があると機械がそれ以上正常に作動できないように、脳に異常があるとすれば当然行動に障害を来すしかないのである。実際に研究結果によると、ゲームをよくする子供たちは、そうではない子供たちに比べて前頭葉の機能が大きく低下して、学習能力はもちろん、小さなことにもよく興奮し、暴力性、攻撃性が高く現れた。そして中毒になった子供たちの場合、ゲームによって家族や友達と対話が減ってうつ病の症状が現れたりもする。
ゲームに中毒になった学生の実例を見ると、1年生の時に成績が80点以上だった子供が、1年間ゲームに溺れた後、3年生の成績は50点台の下位圏から抜けられずにいる。この学生の場合、親とゲームによる葛藤が非常に深刻な水準に来ており、治療センターに通ってみたりもしたが、特別な変化がない状態だ。一日30分から1時間くらいしかしないからといって安心すべきことではない。学年が上がれば上がるほど親の統制は難しくなり、毎日1〜2時間以上ずつやり始めるとだんだんゲームの沼にはまって出て来るのはより難しくなる。ゲーム中毒は麻薬中毒のように禁断症状がひどく現れるため、何よりも徹底した予防教育だけがその解決策である。
2007年上半期に青少年が最も多くやるインターネットゲームの上位20個を見ると「サドンアタック(Suddenattack)」を始めとして、拳や刃物(刀剣類)、そして銃器類を利用して相手方を殺すゲームが80%に及ぶという。こういった暴力的で残忍なゲームを楽しむ子供たちに「むごたらしくないか。」と質問を投げかけると、子供たちは「面白いじゃないですか!ストレスが解れます。」と答える。
数年前ゲームに中毒になっていたキム・イルビョンが同じ軍の部隊の軍人たちにまるでゲームの中の場面でのように銃器を無差別乱射した事件や、昨年バージニア工科大学であった銃器殺人事件、全てゲームに夥しく中毒になって仮想と現実を区別できなかったところから起こったむごたらしい事件だったということを私たちはよく知っている。またわずか1500ウォンのゲームアイテムのために怒って小学校5年生の双子の兄弟が友達を屋上に呼び出し、凶器で数十回刺した事件や、小学生が自動車競走ゲームを真似て他人の自動車を盗んで乗って事故を起こした事件等は、ゲームが脳(前頭葉)にどんな影響を及ぼすのかよく分かる事例だ。
先生は「脳の作用は録音機と同じで録音するとおりに入っていく。私たちの脳は良い言葉を聞き、良いものを見てこそ脳でよい刺激を受ける。」とおっしゃり、人が見る通り、聞く通りにどんどん考えが変わって行動するようになるのだとおっしゃった。
10代たちはこの民族のビジョンであり、天の歴史の希望だ。「彼らの精神に何を入れるのか、彼らの脳に何を入れるのか」について私たち大人は頭を突き合わせて深刻に悩むべきだ。水準の低いテレビの画面は親たちから果敢に消してしまおう。大人たちから私たちの子供たちの見本にならなくてはいけない。少なくとも親がゲームを楽しんだりテレビの前に気をとられている姿を見せるなら、それ以上子供たちに話せることがなくなる。そして必ず必要な場合でなければコンピュータの前に座っているようにするよりは、家族たちと対話し、読書をするようにしたり、汗を流して外で健康に跳び回るようにすべきだ。結局、子供たちに何を聞かせてやり、何を見させるのかは、彼らを養育する親の任務であり、この時代の御言葉を聴いた人がすべきことだ。
ご飯を盛るなら茶碗、水を入れるならコップ、師の御言葉と教えに従ってひたすら私たちの頭の中には神様の愛と精神、キリストの愛と精神で満たさなくてはいけない。夢がある人は人生を浪費しない。10代!何を見て何を聞き、何を考えるのかによって人生の成功と救いが左右される。私たちの人生、私たちの子供たちの人生、誰に使われることを望むのか。
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年10月号より
この記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
ゲームが脳に及ぼす影響
ゲーム産業を奨励する社会
インターネット強国!500万のゲーム族、100万のチャット族!大韓民国のこの地にインターネットがどの国より発達するようになったのは、明らかに神様が下さったプレゼントだ。しかし、刃物を子供の手に持たせるときは、どう使えば有益であり、誤って使う場合どんな問題点が発生するのか事前に徹底的に教育し教えるのが順序であろう。しかしただインターネットを活用する人口を増やすことを急いだまま、それによって病んでいく青少年たちの文化についてあまりにも無責任な大人たちが、今日の多くの青少年のゲーム中毒者を作り出したと言っても過言ではない。
韓国の満3〜5歳の間のインターネット使用人口は50%を超えるという。この年齢でインターネットを接続してできることがあるだろうか。幼い幼児たちまでコンピュータの前に座って「かたつむり捕り」ゲームに没頭していて、子供たちはもうゲームがなければ退屈で生きられない子供たちに変わりつつある。親たちが、幼い年齢でマウスを触って自らインターネットに接続する子供を見て感心しているうち、子供は自分も気づかないうちにゲームが与える魅力に溺れてしまうようになるということを看過してはいけない。子供たちが単純な暇つぶしとして始めたゲームは、年々より刺激的なゲームへと発展するようになり、小学校高学年くらいにもなると武器を使って残忍に相手を殺すゲームを楽しんでいるのが、子供たちの現実だ。
2005年以降、100億以上投資して作ったゲームは10種を超えるが、こういったインターネットゲームに接続してゲームを楽しむにはお金がかからない。メイプルストーリー等の無料ゲームをサービスする会社は、有料ゲームがないにもかかわらず年刊キャッシュアイテム販売等によって上げた収益が3千億ウォンに達し、2004年の全てのベストセラーを押さえて最高にたくさん売られた本が「メイプルストーリー解説集」だというから、私たちの社会の病的な文化の実態を端的に見せてくれる例ではないかと思う。ゲーム産業で外貨を稼ぐ韓国の経済の現実について見る時、なぜ幼児期から無料ゲームを楽しむようになるのか、その答えはそれほど難しくない。青少年たちの教育と人性問題は後回しにしたまま経済の論理によってゲーム産業を奨励せざるを得ない大人たちに、このまま子供たちを任せてばかりはいられない。
ゲームと脳
「人間は聞いたとおりに話し、見たとおりに行ないます。」
学校と塾を行き来する子供たちは、余暇の時間をどのように過ごすのだろうか。韓国青少年相談院の2008年青少年の余暇実態調査の結果によると、青少年たちは学校と塾の生活を除いた余暇の時間の大部分をテレビの視聴(78.9%、複数回答)とインターネット(一日2時間未満55.3%、2時間以上24.1%)で過ごしていた。そして25歳未満の若者たちのうち80%がオンラインゲームを楽しみ、コンピュータを使用する小中高生の10人中3人はコンピュータ中毒だという。
日本の脳神経科学者である森昭雄博士の研究結果によると、「ゲームをたくさんする人の脳波は、痴呆患者の脳波と同じだ。」という。人間の脳の領域は機能面で知・情・意という三要素に区分することができる。いるかのような動物を見ると分かるように、人間以外の動物にも「知」の要素はある。しかし人間の脳と動物の脳を区分する最も決定的な要素は「意」の部分をつかさどる、私たちの脳の前側に位置している前頭葉にある。この前頭葉は人間に最も人間らしい品性を持たせてくれて、多様な知識に照らして最も望ましい表現や行動を判断し、衝動を抑制し、最終的な意思決定を下す良心の高等裁判所のような役割をする所だ。だから前頭葉前部皮質の機能が低下すると、判断力を喪失し、状況や周囲に配慮しない行動が出るようになる。では、ゲームをたくさんする人たちの脳はなぜ痴呆患者の脳と同じだというのだろうか。
テレビやコンピュータゲーム、携帯用ゲームを通しての画像刺激は、ほとんど後頭葉に位置する視覚野を経て、図のように神経回路に乗って伝達される。テンポが速いゲームでも遅いゲームでも、前頭葉前部皮質には信号が到達しない。つまりテレビゲームを通して情報を受け入れる過程には、前頭葉の思考活動がほとんど介入しない。映像に馴れ過ぎた脳を持った人間の類型の場合、ふだん視覚情報を毎度受け入れるために前頭葉をあまり使わない。言うなれば、ゲーム機を操作するときは一つ一つ考えずに機械的に手の動作をするようになり、そうしてみると後頭部中心の神経回路が強くなって、前頭葉前部皮質の脳細胞活動の必要性が減る。従ってゲームをする間、前頭葉はほとんど機能しないが、これは視覚系神経回路の活動があまりにも強力で前頭葉前部皮質の細胞活動が停止してしまったためだ。前に先生は私たちに御言葉の中で「脳は精神のエンジンと同じだ。」とおっしゃった。エンジンに異常があると機械がそれ以上正常に作動できないように、脳に異常があるとすれば当然行動に障害を来すしかないのである。実際に研究結果によると、ゲームをよくする子供たちは、そうではない子供たちに比べて前頭葉の機能が大きく低下して、学習能力はもちろん、小さなことにもよく興奮し、暴力性、攻撃性が高く現れた。そして中毒になった子供たちの場合、ゲームによって家族や友達と対話が減ってうつ病の症状が現れたりもする。
ゲームに中毒になった学生の実例を見ると、1年生の時に成績が80点以上だった子供が、1年間ゲームに溺れた後、3年生の成績は50点台の下位圏から抜けられずにいる。この学生の場合、親とゲームによる葛藤が非常に深刻な水準に来ており、治療センターに通ってみたりもしたが、特別な変化がない状態だ。一日30分から1時間くらいしかしないからといって安心すべきことではない。学年が上がれば上がるほど親の統制は難しくなり、毎日1〜2時間以上ずつやり始めるとだんだんゲームの沼にはまって出て来るのはより難しくなる。ゲーム中毒は麻薬中毒のように禁断症状がひどく現れるため、何よりも徹底した予防教育だけがその解決策である。
2007年上半期に青少年が最も多くやるインターネットゲームの上位20個を見ると「サドンアタック(Suddenattack)」を始めとして、拳や刃物(刀剣類)、そして銃器類を利用して相手方を殺すゲームが80%に及ぶという。こういった暴力的で残忍なゲームを楽しむ子供たちに「むごたらしくないか。」と質問を投げかけると、子供たちは「面白いじゃないですか!ストレスが解れます。」と答える。
数年前ゲームに中毒になっていたキム・イルビョンが同じ軍の部隊の軍人たちにまるでゲームの中の場面でのように銃器を無差別乱射した事件や、昨年バージニア工科大学であった銃器殺人事件、全てゲームに夥しく中毒になって仮想と現実を区別できなかったところから起こったむごたらしい事件だったということを私たちはよく知っている。またわずか1500ウォンのゲームアイテムのために怒って小学校5年生の双子の兄弟が友達を屋上に呼び出し、凶器で数十回刺した事件や、小学生が自動車競走ゲームを真似て他人の自動車を盗んで乗って事故を起こした事件等は、ゲームが脳(前頭葉)にどんな影響を及ぼすのかよく分かる事例だ。
先生は「脳の作用は録音機と同じで録音するとおりに入っていく。私たちの脳は良い言葉を聞き、良いものを見てこそ脳でよい刺激を受ける。」とおっしゃり、人が見る通り、聞く通りにどんどん考えが変わって行動するようになるのだとおっしゃった。
10代たちはこの民族のビジョンであり、天の歴史の希望だ。「彼らの精神に何を入れるのか、彼らの脳に何を入れるのか」について私たち大人は頭を突き合わせて深刻に悩むべきだ。水準の低いテレビの画面は親たちから果敢に消してしまおう。大人たちから私たちの子供たちの見本にならなくてはいけない。少なくとも親がゲームを楽しんだりテレビの前に気をとられている姿を見せるなら、それ以上子供たちに話せることがなくなる。そして必ず必要な場合でなければコンピュータの前に座っているようにするよりは、家族たちと対話し、読書をするようにしたり、汗を流して外で健康に跳び回るようにすべきだ。結局、子供たちに何を聞かせてやり、何を見させるのかは、彼らを養育する親の任務であり、この時代の御言葉を聴いた人がすべきことだ。
ご飯を盛るなら茶碗、水を入れるならコップ、師の御言葉と教えに従ってひたすら私たちの頭の中には神様の愛と精神、キリストの愛と精神で満たさなくてはいけない。夢がある人は人生を浪費しない。10代!何を見て何を聞き、何を考えるのかによって人生の成功と救いが左右される。私たちの人生、私たちの子供たちの人生、誰に使われることを望むのか。
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年10月号よりこの記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
健康コラム 文:パク・ギョンイル(内科専門医)
神様の贈り物「運動」
「適度さと続けること」が大切
「健康管理」とは何だろうか。病気の予防のための活動は本人が自らすることだとすれば、病気の早期発見および治療は医療人が担当することになる。このように、本人と医療サービスが統合されて成される、本人の保護活動全部を健康管理と言うことができる。先生は、自分が自分を治療する医者になって自分の管理をし、常識的な医学知識さえあれば基本的なことは予防できるとおっしゃった。ここでは病気の予防のための本人の活動の中で、運動に関して話そうと思う。
「適度な運動」は身体が耐えられ、体に負担を与えない程度の運動のことを言う。過度な運動によって身体が耐えられず、体に負担を与えるとすれば、良い運動と言うことはできない。全世界的に有名な合気道の選手が年を取って関節炎でひどく苦労していたというエピソードは、示唆する所が多い。身体が耐えるに適当な活動は、脈拍数によって見定められる。年齢によって許容する最大脈拍数がある。最大心拍数(脈拍数)は220から自分の年齢を引くと算出できる。つまり本人の年齢が40歳なら「220-40=180」で、運動を激しくやっても毎分180回の脈拍数は本人の身体が耐え得るという意味だ。ここで「適度さ」とは、最大脈拍数の70〜75%だ。
220−年齢=最大心拍数
適切な運動量=最大心拍数×(0.7〜0.75)
ところで運動をしてみると、現在の運動量に満足できず、次第に運動量を増やしていく場合が多い。運動を持続しながら運動中毒で行き過ぎた運動をするようになるのだが、このとき、上の数式は自分の運動量がどれだけ適当であるかを確認する指標になる。また運動量を漸次増やしていく場合にも、適当な活動の指標を提示する。
特に運動中毒が多く生じる活動が、ジョギング、長距離走等である。走ることは燃焼させる作用をするが、あまりに速く走るからといって効果がさらに現れるわけではないので、ゆっくり走るのが良い。走っている途中に膝や足首に無理がかかって痛める場合が多いので、準備運動のときに十分に解してやらなくてはいけない。適当な走りは、一週間に3回以上、15〜30分程度、持続的に走り、走っているときに一番つらい瞬間が、最大脈拍数の70〜75%を超えないようにすると良い。肥満の人の場合、走ることがむしろ膝の損傷を誘発することもあるので、膝に負担を与えない運動をするのが良い。代表的なものが自転車に乗ることだ。
自転車に強い強度で短く乗るのは、体脂肪の減少効果もなく、運動効果も不完全だ。適切に自転車に乗るには、運動前後に5分程度ストレッチをして、一週間に3回以上、30〜45分程度で約6〜13kmを走ると良い。体力が弱い場合、20〜30分程度で約5〜8kmを走るようにし、腰や膝の痛みがある場合、室内自転車を利用すればよい。
運動の程度を単純に脈拍数で決定することはできない。4時間ゆっくり歩くだけの場合、脈拍数の変化がほとんどないが、運動をしていないわけではない。しかし4時間歩く運動が、1時間やったのに比べてむしろ膝の関節等をもっと悪くする原因になることもあるので、適度な運動と言うことはできない。適度に歩く運動は、一度歩くとき30〜45分程度で、一週間に3〜5回以上歩くが、歩幅をできるだけ広げて速い歩行で歩くことだ。
適度な運動が健康維持に影響を及ぼすために一番大切なことは、運動量や運動時間も大切ではあるが、もっと大切なことは、たゆまず運動することである。短い時間でもたゆまず運動することは効果的に心臓と肺の機能を向上させ、強い血管組織を持つようにする効果があるので、成人病を予防できるだけでなく、肥満解消に良く、老化現象を遅らせることができる。
先生が、運動は「神様の贈り物」だとおっしゃった。運動をするにあたって、時間と環境は問題ではない。信仰の健康のために祈って讃美し聖書を読むように、肉体の健康のためには運動をたゆまずすべきだとおっしゃった。「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス․キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。」(テサロニケ人への第一の手紙5:23)という御言葉のように、霊肉の運動を通しての全ての人たちの健康を祝福する。
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年10月号より
この記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
神様の贈り物「運動」
「適度さと続けること」が大切
「健康管理」とは何だろうか。病気の予防のための活動は本人が自らすることだとすれば、病気の早期発見および治療は医療人が担当することになる。このように、本人と医療サービスが統合されて成される、本人の保護活動全部を健康管理と言うことができる。先生は、自分が自分を治療する医者になって自分の管理をし、常識的な医学知識さえあれば基本的なことは予防できるとおっしゃった。ここでは病気の予防のための本人の活動の中で、運動に関して話そうと思う。
「適度な運動」は身体が耐えられ、体に負担を与えない程度の運動のことを言う。過度な運動によって身体が耐えられず、体に負担を与えるとすれば、良い運動と言うことはできない。全世界的に有名な合気道の選手が年を取って関節炎でひどく苦労していたというエピソードは、示唆する所が多い。身体が耐えるに適当な活動は、脈拍数によって見定められる。年齢によって許容する最大脈拍数がある。最大心拍数(脈拍数)は220から自分の年齢を引くと算出できる。つまり本人の年齢が40歳なら「220-40=180」で、運動を激しくやっても毎分180回の脈拍数は本人の身体が耐え得るという意味だ。ここで「適度さ」とは、最大脈拍数の70〜75%だ。
220−年齢=最大心拍数
適切な運動量=最大心拍数×(0.7〜0.75)
ところで運動をしてみると、現在の運動量に満足できず、次第に運動量を増やしていく場合が多い。運動を持続しながら運動中毒で行き過ぎた運動をするようになるのだが、このとき、上の数式は自分の運動量がどれだけ適当であるかを確認する指標になる。また運動量を漸次増やしていく場合にも、適当な活動の指標を提示する。
特に運動中毒が多く生じる活動が、ジョギング、長距離走等である。走ることは燃焼させる作用をするが、あまりに速く走るからといって効果がさらに現れるわけではないので、ゆっくり走るのが良い。走っている途中に膝や足首に無理がかかって痛める場合が多いので、準備運動のときに十分に解してやらなくてはいけない。適当な走りは、一週間に3回以上、15〜30分程度、持続的に走り、走っているときに一番つらい瞬間が、最大脈拍数の70〜75%を超えないようにすると良い。肥満の人の場合、走ることがむしろ膝の損傷を誘発することもあるので、膝に負担を与えない運動をするのが良い。代表的なものが自転車に乗ることだ。
自転車に強い強度で短く乗るのは、体脂肪の減少効果もなく、運動効果も不完全だ。適切に自転車に乗るには、運動前後に5分程度ストレッチをして、一週間に3回以上、30〜45分程度で約6〜13kmを走ると良い。体力が弱い場合、20〜30分程度で約5〜8kmを走るようにし、腰や膝の痛みがある場合、室内自転車を利用すればよい。
運動の程度を単純に脈拍数で決定することはできない。4時間ゆっくり歩くだけの場合、脈拍数の変化がほとんどないが、運動をしていないわけではない。しかし4時間歩く運動が、1時間やったのに比べてむしろ膝の関節等をもっと悪くする原因になることもあるので、適度な運動と言うことはできない。適度に歩く運動は、一度歩くとき30〜45分程度で、一週間に3〜5回以上歩くが、歩幅をできるだけ広げて速い歩行で歩くことだ。
適度な運動が健康維持に影響を及ぼすために一番大切なことは、運動量や運動時間も大切ではあるが、もっと大切なことは、たゆまず運動することである。短い時間でもたゆまず運動することは効果的に心臓と肺の機能を向上させ、強い血管組織を持つようにする効果があるので、成人病を予防できるだけでなく、肥満解消に良く、老化現象を遅らせることができる。
先生が、運動は「神様の贈り物」だとおっしゃった。運動をするにあたって、時間と環境は問題ではない。信仰の健康のために祈って讃美し聖書を読むように、肉体の健康のためには運動をたゆまずすべきだとおっしゃった。「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス․キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。」(テサロニケ人への第一の手紙5:23)という御言葉のように、霊肉の運動を通しての全ての人たちの健康を祝福する。
摂理の月刊誌「チョウンソリ」2008年10月号よりこの記事はこちらのサイトでも読めますhttp://cgm.or.kr/
科学コラム 文:クォン・ヨンワン博士
土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。
人間を始めとする大部分の生物を構成しているたんぱく質を作るには、アミノ酸たった20種類だけが必要である。これらのアミノ酸が正確な順序で連結してこそ一つのたんぱく質が作られ、このたんぱく質が人体だけで100万種類にもなるという。そしてこれらの特別な順序で連結したアミノ酸がまた特別な形でつながっていてこそ、適切な機能を発揮することができる。このたんぱく質をつくるのがDNAだ。DNAの中に入っている命の設計図がRNAに転写され、このRNAが20種類のアミノ酸を持って生命体に必要な様々なたんぱく質を正確な順序どおりに作り出す。地球上の全ての植物と動物を多様につくっているその全てのものの中心にはDNAがある。DNAには生命体それぞれについての全ての情報が入っているのである。先生は、神様が地球上の生命体を遺伝子で創造なさったとおっしゃった。つまり、生命の種がすなわち遺伝子DNAなのである。種は命の最も基本単位だ。種がなければ木が存在することはできない。地球上に存在する全ての植物と動物は、その形と種類がみな異なる。サルも種類がとても多様で多く、海に棲むクジラとサメも、空を飛ぶ鳥たちも、様々な形と習性を持っている。動物園や植物園に行くと、寒帯地方から熱帯地方まで、様々な動物と植物を代表的なものだけ連れて来て見物できるようにしてある。一つずつ見て回ると、とても不思議ではないか。
DNAは直径が2nm(1nmは10−9m)に過ぎず、長さは生命体によって異なるが、人間の場合には1.5mくらいである。その中に入っている情報は、A4用紙に文字の大きさ10ポイントでぎっしり詰めて1000ページの1350巻に該当する量が入っている。ところがそれほど多くの情報が平常には精巧に閉じられて細胞内の染色体の中に入っていて、必要であれば使用されるというから、驚きだ。一日に約5%の情報の細胞が消滅しては再び作られる。約一ヶ月が過ぎると私たちの体の全ての細胞は新しい細胞に変わる。そのとき新しい細胞を作り出すたびに、この細胞の中のDNAは複製され続け、再び新しい細胞の中に次回の複製のために保管される。神様が地球を創造なさり、創世記1:11−12の御言葉で、地をして地上に青草と種をもつ草と木をはえさせられたと言っているし、創世記1:20−25を見ると、その次に魚類と鳥類、そして陸上の動物を全て創造なさったと言っている。聖書を見ると「地が植物をはえさせ、地は生物をその種類にしたがってはえさせ…」とある。普通、今までの科学者たちは生命の根源を海と見ていたが、先生は、生命体は土と水と温度が合えば生命体が生じるとおっしゃった。たとえば、寒帯地方の氷を溶かして熱帯地方の環境で維持し続けてやると熱帯地方で生える木々が生じ、温帯地方の温度では温帯地方の植物が生じるとおっしゃった。つまり、温度と水が土に適切に作用すると生命体が生じるということになる。どうしてそんなことが起こり得るのだろうか。土の中にいったい何が入っていて、生命体がつくられるのだろうか。
土は岩石や動植物の遺骸が長い期間の浸食と風化を経て生成された、地を構成する物質だ。土は粒の大きさが非常に小さい。砂利、砂、および粘土を区分する基準は粒の大きさだ。原則的に砂利は直径が2mm以上の粒のことを言い、砂は2〜1/16mmまでを言い、粘土は1/16mm以下と見る。土の平均組成は、もちろん地域によって異なるが、水が30%、ミネラルが47.5%、空気が20.4%、有機物2.0%、そして生きている有機体が0.1%程度である。ある人は、ミネラルの表面には非常に小さな穴があって、この穴に生命を作るのに必要な前駆物質が、太陽の紫外線を避けて安全に保管されていると主張している。では、この生命の前駆物質である水とアミノ酸、たんぱく質、DNAを構成する化学物質等はいつどのようにつくられたのだろうか。水は、太陽系が生成されるときに一緒に生成され、隕石と共に地球に落ちて海を形成した。ところがそのときに落ちた隕石には水だけが含まれていたのではなく、70余種にもなるアミノ酸が含まれていた。そしてDNAやRNAを構成する物質も、隕石が存在する環境と同じ条件でよく生成されるということを、NASAの研究陣が発見した。
1953年、ミラーはフラスコに若干の水(原始の海に該当)とメタン、アンモニア、硫化水素という気体の混合物(初期の地球の大気に該当)が入ったフラスコをゴム管でつないだ後に放電(雷に該当)を起こし、アミノ酸のような有機物を作り出した。それを見て人々は、初期の地球と同じ大気の条件でアミノ酸がつくられるのだといって喜んだ。しかしその実験は、現在の多くの科学者たちがその実験の可能性に疑問を提起している。なぜなら、初期の地球の大気は反応性が低い窒素と二酸化炭素が混合されていて、ミラーの実験よりはるかに反応性が低かったので、原始的なアミノ酸が作られただけでなく、作られたアミノ酸も当時の地球の環境と同じく、巨大な火山が爆発して塩酸や硫酸のような物質がいっぱいの環境で保存されるのは難しく、すぐに分解されてしまうからだ。ところがマーチソン隕石から数十種のアミノ酸とたんぱく質が発見され、宇宙の外から生命に必要な多くの化合物が生成され得るということを発見した。これは生命が作られるための根源物質は宇宙で生成されて隕石の中に入っていて、水と共に地球上に落ちたということだ。実際に宇宙が生命に必要な物質を作る化学工場だということになる。そうすると、初期の地球の大気には水と共に多くの生命の前駆物質が存在していて、地上に落ちて冷えた地の上の多くのミネラルの中に有害な紫外線からうまく保管されていて、それぞれに合う温度で生命体を作り出したということが説得力を得ることになる。現在の科学者たちの主張の中で、宇宙に生命体の起源があるという宇宙胞子説は、こういった前駆物質が初めから宇宙でDNAをつくって地球に落としたのであろうということに根拠を置いている。しかし先生ははっきりと、生命体は土から生じたとイエス様がおっしゃったと言い、聖書にも地が植物と動物、魚類と鳥類を生じたと出ている。そして人間も土で創造したとおっしゃった。
いずれにせよ、今、土の中には生命をつくることのできる物質がいっぱい入っているということになる。では、一体どうやってその材料を持って生命をつくることができるのだろうか。RNAがあればたんぱく質をつくることができ、たんぱく質があれば生命体をつくることができる。そしてこれらのたんぱく質が酵素をつくって触媒作用をし、再びDNAをつくって複製することもできる。ところが最近はこういった酵素の役割をRNAが果たすこともできるということが明らかになった。これを明らかにした人々は、ノーベル賞を受賞する栄光を享受したりもした。
また別の興味深い結果は、2006年に有名な科学雑誌であるJACSに発表されたが、Ferris教授が粘土の中から多く発見されるモンモリロナイト(montmorillonites)というミネラルを触媒として使い、RNAオリゴ(50mer)を合成することに成功した。それで実際に粘土の中でRNAとDNAがつくられ得るという主張をした。そして最近ロバート・ハーゼンという科学者が、方解石がアミノ酸を左手型と右手型に区分することができるということを明らかにした。右手と左手を見ると、親指、人差し指、中指、薬指、小指が、数も形も同じである。ところが配列された順序が異なる。左手は小指が一番左側にあり、親指が一番右側にある。右手は親指が一番左側だ。このように、配列された順序だけが異なるアミノ酸が、右手と左手のようにあり、これを左手型、右手型に区分する。ところが化学的な方法で合成をすると、右手型と左手型が一緒に作られ、区分し切るのが容易ではない。ところで生命体を構成するたんぱく質は、不思議にも全て左手型のアミノ酸だけで構成されている。先に述べたミラーの実験でも、左手型と右手型を区分して作り出すことができず、隕石から発見された多くのアミノ酸も左手型と右手型が共に入っていた。ところが方解石で実験してみると、方解石の互いに異なる表面に、左手型と右手型が別々に吸着されているという事実が明らかになったのである。これは、生命体の誕生に、地面を構成する土の中のミネラルが非常に重要な役割を果たしているということを暗示している。まだ多くの連結の輪がさらに明らかにされなくてはならないが、粘土のミネラルの中でRNAが合成されると、RNAがアミノ酸を特別な順序に従って生命体に必要なたんぱく質をつくることができるようになる。そしてRNAが触媒として作用したり、粘土の中のミネラルが触媒として作用して、生命の種であるDNAがつくられる。先生がおっしゃった、土と水と温度が生命体を作るという御言葉は、化学反応で考えると、土の中に入っているアデニン、グアニン、シトシン、チミン、そしてウラシルといった、DNAとRNAの前駆物質が、粘土の中のモンモリロナイトのようなミネラルが適正な温度で触媒作用によって水を溶媒として生命の設計図であるDNAを作り出すことができるということになる。そしてこれらのDNAが各生命の設計図をRNAに転写して生命体に必要なたんぱく質を作り出し、最終的に生命体が誕生したのであろう。いまや土から生命体が生じうる可能性についての連結の輪が少し見えるようだ。しかしこれからも容易に生命の全ての秘密を解明するのは容易くはないだろう。現在の人類の学問の水準は、神様が施された生命の神秘を解き明かすには、盲目の人が象を触って解明するくらいの水準に過ぎないと思われる。
ともあれ、私たちは神様が与えて下さった美しい地球に住んでいる。創世記1:26−30に、神様はこの全てのものを創造し、人間に食物として下さったとある。ある人々は、どうして苦労した農夫、漁師たちに感謝しないで神様に感謝するのかという。神様がこの全ての植物と動物、魚類と鳥類を創造なさらなかったなら、人類がこの世の中に存在することができるだろうか。人間の体を維持するのに必ず必要なアミノ酸やビタミン等は、直接私たちの体で生成されないので、植物や動物が合成したものを摂取しなくてはならない。神様は植物や動物をして人間が必要なものを作らせ、人間は必要な分を摂取するように、法則として定めておかれた。私たちは毎日少なくとも二食以上の食事をして、野菜や果物、肉類や魚類等を楽しむ。私たちは食べる前に、日用の糧を下さった神様に必ず感謝のお祈りをすべきだ。もし神様が野菜や木を先に創造なさらず、人類を先に創造なさったなら、どうなっていただろうか。人類が生存することができただろうか。必要な順序に従って創造なさり、準備なさったのに、信じない人たちは自ら生じたと言うから理屈に合わない。
創世記2:7に「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」とある。神様は人類の肉体だけ創造なさったのではなく、霊魂も創造なさった。霊魂も進化の産物だとは誰も言えないだろう。ただ人間だけが霊魂を持っている。神様は肉体と霊魂を持った、この世の中で最も高貴な存在として、人間を創造なさった。神様は肉の糧を予め豊富に供えられて肉を創造なさったように、私たちの霊のためにも糧を豊富に準備なさった。今も神様は、農夫が田んぼにあふれるほど水を満たすように、私たちの霊魂に神様の命の御言葉を豊富に満たして下さっている。命の水のような真理の御言葉は、私たちの霊魂を蘇らせ、復活させ、結局私たちの人生を変化させ、救いに至らせる。値なしに下さる神様のとても大きな恵みだと言わざるを得ない。私たちは、肉の世界と霊の世界に至るまで、この全てのものを計画なさり豊富に与えて下さったすばらしい神様に、この世とあの世の終わりの日まで、感謝に感謝を重ねても足りないだろう。
摂理の月刊誌2008年10月号より
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土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。
人間を始めとする大部分の生物を構成しているたんぱく質を作るには、アミノ酸たった20種類だけが必要である。これらのアミノ酸が正確な順序で連結してこそ一つのたんぱく質が作られ、このたんぱく質が人体だけで100万種類にもなるという。そしてこれらの特別な順序で連結したアミノ酸がまた特別な形でつながっていてこそ、適切な機能を発揮することができる。このたんぱく質をつくるのがDNAだ。DNAの中に入っている命の設計図がRNAに転写され、このRNAが20種類のアミノ酸を持って生命体に必要な様々なたんぱく質を正確な順序どおりに作り出す。地球上の全ての植物と動物を多様につくっているその全てのものの中心にはDNAがある。DNAには生命体それぞれについての全ての情報が入っているのである。先生は、神様が地球上の生命体を遺伝子で創造なさったとおっしゃった。つまり、生命の種がすなわち遺伝子DNAなのである。種は命の最も基本単位だ。種がなければ木が存在することはできない。地球上に存在する全ての植物と動物は、その形と種類がみな異なる。サルも種類がとても多様で多く、海に棲むクジラとサメも、空を飛ぶ鳥たちも、様々な形と習性を持っている。動物園や植物園に行くと、寒帯地方から熱帯地方まで、様々な動物と植物を代表的なものだけ連れて来て見物できるようにしてある。一つずつ見て回ると、とても不思議ではないか。
DNAは直径が2nm(1nmは10−9m)に過ぎず、長さは生命体によって異なるが、人間の場合には1.5mくらいである。その中に入っている情報は、A4用紙に文字の大きさ10ポイントでぎっしり詰めて1000ページの1350巻に該当する量が入っている。ところがそれほど多くの情報が平常には精巧に閉じられて細胞内の染色体の中に入っていて、必要であれば使用されるというから、驚きだ。一日に約5%の情報の細胞が消滅しては再び作られる。約一ヶ月が過ぎると私たちの体の全ての細胞は新しい細胞に変わる。そのとき新しい細胞を作り出すたびに、この細胞の中のDNAは複製され続け、再び新しい細胞の中に次回の複製のために保管される。神様が地球を創造なさり、創世記1:11−12の御言葉で、地をして地上に青草と種をもつ草と木をはえさせられたと言っているし、創世記1:20−25を見ると、その次に魚類と鳥類、そして陸上の動物を全て創造なさったと言っている。聖書を見ると「地が植物をはえさせ、地は生物をその種類にしたがってはえさせ…」とある。普通、今までの科学者たちは生命の根源を海と見ていたが、先生は、生命体は土と水と温度が合えば生命体が生じるとおっしゃった。たとえば、寒帯地方の氷を溶かして熱帯地方の環境で維持し続けてやると熱帯地方で生える木々が生じ、温帯地方の温度では温帯地方の植物が生じるとおっしゃった。つまり、温度と水が土に適切に作用すると生命体が生じるということになる。どうしてそんなことが起こり得るのだろうか。土の中にいったい何が入っていて、生命体がつくられるのだろうか。
土は岩石や動植物の遺骸が長い期間の浸食と風化を経て生成された、地を構成する物質だ。土は粒の大きさが非常に小さい。砂利、砂、および粘土を区分する基準は粒の大きさだ。原則的に砂利は直径が2mm以上の粒のことを言い、砂は2〜1/16mmまでを言い、粘土は1/16mm以下と見る。土の平均組成は、もちろん地域によって異なるが、水が30%、ミネラルが47.5%、空気が20.4%、有機物2.0%、そして生きている有機体が0.1%程度である。ある人は、ミネラルの表面には非常に小さな穴があって、この穴に生命を作るのに必要な前駆物質が、太陽の紫外線を避けて安全に保管されていると主張している。では、この生命の前駆物質である水とアミノ酸、たんぱく質、DNAを構成する化学物質等はいつどのようにつくられたのだろうか。水は、太陽系が生成されるときに一緒に生成され、隕石と共に地球に落ちて海を形成した。ところがそのときに落ちた隕石には水だけが含まれていたのではなく、70余種にもなるアミノ酸が含まれていた。そしてDNAやRNAを構成する物質も、隕石が存在する環境と同じ条件でよく生成されるということを、NASAの研究陣が発見した。
1953年、ミラーはフラスコに若干の水(原始の海に該当)とメタン、アンモニア、硫化水素という気体の混合物(初期の地球の大気に該当)が入ったフラスコをゴム管でつないだ後に放電(雷に該当)を起こし、アミノ酸のような有機物を作り出した。それを見て人々は、初期の地球と同じ大気の条件でアミノ酸がつくられるのだといって喜んだ。しかしその実験は、現在の多くの科学者たちがその実験の可能性に疑問を提起している。なぜなら、初期の地球の大気は反応性が低い窒素と二酸化炭素が混合されていて、ミラーの実験よりはるかに反応性が低かったので、原始的なアミノ酸が作られただけでなく、作られたアミノ酸も当時の地球の環境と同じく、巨大な火山が爆発して塩酸や硫酸のような物質がいっぱいの環境で保存されるのは難しく、すぐに分解されてしまうからだ。ところがマーチソン隕石から数十種のアミノ酸とたんぱく質が発見され、宇宙の外から生命に必要な多くの化合物が生成され得るということを発見した。これは生命が作られるための根源物質は宇宙で生成されて隕石の中に入っていて、水と共に地球上に落ちたということだ。実際に宇宙が生命に必要な物質を作る化学工場だということになる。そうすると、初期の地球の大気には水と共に多くの生命の前駆物質が存在していて、地上に落ちて冷えた地の上の多くのミネラルの中に有害な紫外線からうまく保管されていて、それぞれに合う温度で生命体を作り出したということが説得力を得ることになる。現在の科学者たちの主張の中で、宇宙に生命体の起源があるという宇宙胞子説は、こういった前駆物質が初めから宇宙でDNAをつくって地球に落としたのであろうということに根拠を置いている。しかし先生ははっきりと、生命体は土から生じたとイエス様がおっしゃったと言い、聖書にも地が植物と動物、魚類と鳥類を生じたと出ている。そして人間も土で創造したとおっしゃった。
いずれにせよ、今、土の中には生命をつくることのできる物質がいっぱい入っているということになる。では、一体どうやってその材料を持って生命をつくることができるのだろうか。RNAがあればたんぱく質をつくることができ、たんぱく質があれば生命体をつくることができる。そしてこれらのたんぱく質が酵素をつくって触媒作用をし、再びDNAをつくって複製することもできる。ところが最近はこういった酵素の役割をRNAが果たすこともできるということが明らかになった。これを明らかにした人々は、ノーベル賞を受賞する栄光を享受したりもした。
また別の興味深い結果は、2006年に有名な科学雑誌であるJACSに発表されたが、Ferris教授が粘土の中から多く発見されるモンモリロナイト(montmorillonites)というミネラルを触媒として使い、RNAオリゴ(50mer)を合成することに成功した。それで実際に粘土の中でRNAとDNAがつくられ得るという主張をした。そして最近ロバート・ハーゼンという科学者が、方解石がアミノ酸を左手型と右手型に区分することができるということを明らかにした。右手と左手を見ると、親指、人差し指、中指、薬指、小指が、数も形も同じである。ところが配列された順序が異なる。左手は小指が一番左側にあり、親指が一番右側にある。右手は親指が一番左側だ。このように、配列された順序だけが異なるアミノ酸が、右手と左手のようにあり、これを左手型、右手型に区分する。ところが化学的な方法で合成をすると、右手型と左手型が一緒に作られ、区分し切るのが容易ではない。ところで生命体を構成するたんぱく質は、不思議にも全て左手型のアミノ酸だけで構成されている。先に述べたミラーの実験でも、左手型と右手型を区分して作り出すことができず、隕石から発見された多くのアミノ酸も左手型と右手型が共に入っていた。ところが方解石で実験してみると、方解石の互いに異なる表面に、左手型と右手型が別々に吸着されているという事実が明らかになったのである。これは、生命体の誕生に、地面を構成する土の中のミネラルが非常に重要な役割を果たしているということを暗示している。まだ多くの連結の輪がさらに明らかにされなくてはならないが、粘土のミネラルの中でRNAが合成されると、RNAがアミノ酸を特別な順序に従って生命体に必要なたんぱく質をつくることができるようになる。そしてRNAが触媒として作用したり、粘土の中のミネラルが触媒として作用して、生命の種であるDNAがつくられる。先生がおっしゃった、土と水と温度が生命体を作るという御言葉は、化学反応で考えると、土の中に入っているアデニン、グアニン、シトシン、チミン、そしてウラシルといった、DNAとRNAの前駆物質が、粘土の中のモンモリロナイトのようなミネラルが適正な温度で触媒作用によって水を溶媒として生命の設計図であるDNAを作り出すことができるということになる。そしてこれらのDNAが各生命の設計図をRNAに転写して生命体に必要なたんぱく質を作り出し、最終的に生命体が誕生したのであろう。いまや土から生命体が生じうる可能性についての連結の輪が少し見えるようだ。しかしこれからも容易に生命の全ての秘密を解明するのは容易くはないだろう。現在の人類の学問の水準は、神様が施された生命の神秘を解き明かすには、盲目の人が象を触って解明するくらいの水準に過ぎないと思われる。
ともあれ、私たちは神様が与えて下さった美しい地球に住んでいる。創世記1:26−30に、神様はこの全てのものを創造し、人間に食物として下さったとある。ある人々は、どうして苦労した農夫、漁師たちに感謝しないで神様に感謝するのかという。神様がこの全ての植物と動物、魚類と鳥類を創造なさらなかったなら、人類がこの世の中に存在することができるだろうか。人間の体を維持するのに必ず必要なアミノ酸やビタミン等は、直接私たちの体で生成されないので、植物や動物が合成したものを摂取しなくてはならない。神様は植物や動物をして人間が必要なものを作らせ、人間は必要な分を摂取するように、法則として定めておかれた。私たちは毎日少なくとも二食以上の食事をして、野菜や果物、肉類や魚類等を楽しむ。私たちは食べる前に、日用の糧を下さった神様に必ず感謝のお祈りをすべきだ。もし神様が野菜や木を先に創造なさらず、人類を先に創造なさったなら、どうなっていただろうか。人類が生存することができただろうか。必要な順序に従って創造なさり、準備なさったのに、信じない人たちは自ら生じたと言うから理屈に合わない。
創世記2:7に「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」とある。神様は人類の肉体だけ創造なさったのではなく、霊魂も創造なさった。霊魂も進化の産物だとは誰も言えないだろう。ただ人間だけが霊魂を持っている。神様は肉体と霊魂を持った、この世の中で最も高貴な存在として、人間を創造なさった。神様は肉の糧を予め豊富に供えられて肉を創造なさったように、私たちの霊のためにも糧を豊富に準備なさった。今も神様は、農夫が田んぼにあふれるほど水を満たすように、私たちの霊魂に神様の命の御言葉を豊富に満たして下さっている。命の水のような真理の御言葉は、私たちの霊魂を蘇らせ、復活させ、結局私たちの人生を変化させ、救いに至らせる。値なしに下さる神様のとても大きな恵みだと言わざるを得ない。私たちは、肉の世界と霊の世界に至るまで、この全てのものを計画なさり豊富に与えて下さったすばらしい神様に、この世とあの世の終わりの日まで、感謝に感謝を重ねても足りないだろう。
摂理の月刊誌2008年10月号よりこの記事は、こちらのサイトでも読むことができます。http://cgm.or.kr/



